相澤先生には、生徒たちには名前を伏せてください匿名でお願いしますと頼んだから、A組の面々は私のことを知らない。でも、彼らと鉢合わせることがあれば、それも無駄になるだろう。感情が暴発するに決まっているから。急に猛烈な好意と体調の変化を感じたら、普段から訓練し何度も敵と遭遇しているA組のことだ。即座に現状から推理して、もしかしてこの女子生徒の個性か!?と正解を導き出すだろう。
そうなる前に、なるべく早く、制御を少しでもできるようになりたい。
なるべく早くというのは、相澤先生に呼び出された際、特にお咎めや注意はなかったけれど、少なくともA組の人たちは体調の変化を感じ取っていて、ある生徒の個性だと認識をした。そして、心操くんからは透田の個性に頼るようになってはまずいから、個性をかけるのをやめて欲しいと言われた。
この二つを繋げると、A組の人たちに「なんだ普通科の女子、変な個性をかけやがって」と迷惑がられて嫌われる可能性があると言うことだ。
……大好きな人から冷たい視線で見られると想像しただけで顔がへしゃげそうになる。
以上のことから、一刻も早い個性の制御が求められるわけだ。主に私が嫌われないようにするために。
心操くん個人だけでいうなら、私としては心操くんを推さない日が来るはずもない、つまり個性が解ける日は私が命を落とさない限りは来ないので、現状のままでいいと思うのだけど。訓練に邁進する心操くんの精神面体調面で手助けができる!と思ったけどそれは違っていて。本人が自分の力で上に上がるためにやめて欲しいというなら、仕方がないのだ。善意の押し付けは自分のエゴでしかない。
逆に考えてみよう。ここぞという時に、私が個性全開で推せば、いつもの何倍のパワーを発揮して危機一髪で乗り越えることができた、というふうになるかもしれない。常にブーストするのもいいが、私の個性が最終秘密兵器となるのだ。
うんうん。これは我ながらいい考えじゃないか。制御と同時に、いつでも全力開放できるように特訓する、を目標にしよう。
そう結論付けた。

それにしても、心操くん優しかったな。私が個性で傷付かないように、今思い返すとすごく慌てて否定してくれてた。
彼はたぶん、ヴィラン方面だけでなく恋愛面でも言われたのかもしれない。例えば、好きな子に対しても洗脳すれば何でもできるよな、とか。
私が傷付かないよう慎重に言葉を選んでくれていたのが分かった。
本当に、優しい人だなあと思いながら、寮の共同リビングで掃除機をかける彼の背を見る。動くたび、紫色の髪の毛先がふわふわ揺れていた。平均より少しボリュームのある癖っ毛は、髪の毛と言うより毛並みにも見えて、なでたらどんな心地だろうと時たま思う。猫か犬かに例えるなら、彼は絶対猫だな、と勝手にほっこりしたところで、見ていた背中が不自然に一瞬止まった。
あ。と瞬時に把握してパッと顔を背けた視界の端に、心操くんの視線が突き刺さってくるのが微かに見える。
……セーフ。嘘、アウトだけど、心操くんを見ていたからじゃなくて無意識に想いを馳せていたからセーフ、ということにする。彼を見てなんていません、私は真面目に掃除をしていますよ。

「おしょー、ごみ捨てに行こー」
「うーん!たまちゃんもなんだねー!」
「そうよ、一緒にいこ!」

間延びしたたまちゃんの言葉に、同じように伸ばして返す。
毎週末は寮の掃除時間がある。自室は各自の管理となっているが、共同スペースだったり、トイレやお風呂場、廊下なんかは、決まった時間にみんなで掃除することになっていた。今週はリビングの当番だったので、私はちいさなキッチンが備え付けられている水回りを掃除して、小物を整えたりごみをまとめたりしていた。別の場所を掃除していたたまちゃんも、ごみ捨てを買って出たのだろう。ハイツアライアンスのごみ捨て場に向かう途中、私を見かけて声をかけてくれたというところみたいだ。
大きなごみ袋の両端を引き結んで、持ち上げる。一週間分となれば、丸っとぱんぱんに膨れているが、中身は食べ物のパッケージだったり紙だったりなので見た目ほど重量はない。ごみ袋を持った腕を、ぐるんと肩回しできるくらいには軽いし、私もか弱くない。
試しに人がいないのを確認して、たまちゃんが歩いている隣と反対側の手にごみ袋を持ち替えて、肩回しをしてみた。回ったけれど、たまちゃんにはばっちりばれた。

「すっとんでったらどうするの。おしょー何歳?女子高生でしょ?」
「へへ、五歳!」
「こんなに大きい五歳がいるわけなにゃあでしょ」

中身のない軽口を叩きあいながら、寮の共同外用スリッパの踵を擦り減らして歩く。
建物沿いを歩いている時だった。
目の前を、壁から、窓も扉もない真っ平らのただの壁から、人が飛び出て来た。前触れもなく、にゅっ、と。
びっくりした、なんてものじゃない。
ホラー的要素と考えもしなかった突発的な驚き要素とで、体がびょいん!とバネのように跳ねた。跳ねた自分にもびっくりした。
飛び退く動作と似ていつつ、意志を持っての反応ではなかったので、着地を失敗。そして履いているのは足にフィットしていないゆるゆるのスリッパだ。ぐにゃりと柔らかいゴム状スリッパの形が歪むとともに、足首が変に傾いてバランスを崩す。
倒れる、と思った瞬間、重力に従って落ちていた体が、ぐんと持ち直された。

「わー!ごめんよ!大丈夫かい?」

目の前に男子の顔。背中を支える熱。感じられる面積から考えるに、腕だろうか。
金髪の向こうに青空が見える。

「にゃによあんた!」

フシャー!っと毛を逆立てて、牙を剥き出し、瞳孔を細くしたたまちゃんが威嚇している。
猫は繊細だ。驚き過ぎて、時にはショック死をすることもある。そんなことをふと思い出して、威嚇する元気があるのはとりあえず見て取れたので、ほっとした。

「驚かせるつもりはなかったんだ、ごめんね!ちょっと寮までショートカットしたくて!」

彼は私の背を正させて、自立できたことを確認後、そっと手を離した。
そして、本当にごめんね!とこちらを見て両手を顔の前で合わせて謝りながら、足早に向かいの壁に消えて行った彼に向かって、たまちゃんが尾をぶわりと立たせて唸る。

「にゃんて失礼なやつ!」

ふんすふんす。鼻息荒く怒るたまちゃんは、失礼ながら猫感ましましで可愛い。口には出さないけれど。驚きからか、鋭く爪が伸びた手で宙を引っ掻いている。
――さて。まだ頭の理解が追いついていないのだけれど、ひとつ落ち着いて整理をしよう。
男子生徒が壁から突然現れ、そしてまた壁の中に消えて行ったのは、彼の個性だろう。容姿は金髪と青い目。向かって行った寮の方向から、おそらく上の学年であることが予想される。
以上のことから推測すると。あの人は、通形ミリオではないでしょうか。
壁をすり抜けていく個性、なんてあまりお目にかかれない。ヒーロー科の一年生にいないことは確実に把握している。二年生はよく分からないし、他の科のこともよく分からないけれど。金色の短髪を後ろに流し、ぱっちりとした青い目で、さっぱり爽やかな性格となれば、ミリオである可能性はとても高いと考えていいと思うのだ。
ひとつ懸念があるとするなら、漫画では黄色の丸に手足が生えたキャラクターのような目だった、言い方を変えれば、他のキャラよりも簡単な顔のつくり、みたいな描かれ方だったけど。
こちらの世界は外見が本当に様々で、私の思う人間という概念基準を超えてしまう人もいる。でも今出会った男子生徒は、二次元でしかありえない目ではなく、ちゃんと白目の部分もまつ毛もあった。
ただ、漫画では特徴をとりわけ強調して描かれていた、と考えるなら、いわゆる普通の目の彼もあり得るわけで。実際、漫画では女の子の目はほぼ顔の半分をしめるくらい大きなぱっちりとした描き方だったけれど、いくら異形の人が多くいても、個性が目にまつわるものならともかく、あんなに目が大きな子を見かけたことはない。
総合すると、やはり、さっきの男子は通形ミリオの可能性はとても高い。
一分にも満たなかった邂逅を思い出す。鍛えていると分かる、制服に包まれた身からのぞく大きな掌と太い首。眉は太く凛々しく、鼻は丸っこくて、前髪は上に向かって跳ねていておでこが剥き出しだった。
――普通に、かっこいいのでは?世間一般で考えると、イケメンには入らないのかもしれないが、それは顔だけ見た時の話だ。人は精神と行動、つまり中身が一番大事。顔が良くたって普通だったって、信念や努力や心のありようが素敵なものであると知れば、外見はより良く輝いて見えてくる。
彼だってそうだ。物語の主人公になってもいいくらいの心と、力と、エネルギーをもっている。
先ほど支えてくれた腕から、体を鍛えているのが直に伝わってきた。片手だけで私の体を受け止め支えていたのがその証拠。カラッとさっぱり、夏の青空のように爽やかな性格で、優しい声のトーンも落ち着くもので。
そして、師匠と同じ信念であり、元から持っている彼のユーモアのセンスが好きだった。鬱々とした境遇だって、シリアスな状況だって、彼がいれば、ああもう大丈夫だ、と思えた。
元気とユーモアのない社会に明るい未来はやって来ない。過去や思い出を忘れず抱きながらも、上を向いて前へ進もうとする姿は、緑谷出久と似ていて異なる、だけれど同じ、みんなを明るい方へ導く太陽みたいだ。
ちょっとばかしの出会いだったが、思い返すと脳裏に浮かんだ彼は眩くて、通形ミリオだと名付けると途端に感情がぐるぐると混じり暴れ始める。――出会っちゃった!触っちゃった!と憧れのヒーローと握手した少年のように、ぽこぽこと気分が高揚していく。……ああだめだ、こんなに感情が揺さぶられているとなると、現在進行形で、ミリオに個性が向かっていってしまっているだろう。害はないし、休日だから迷惑にはならないとは思うけれど。ごめんなさい、どうか許してね。
心を少しでも落ち着かせるために、深く深く息をはいた。

「心臓が止まるかと思った!おんにゃの子を転ばせるなんて男としてバツよ!ばってんバツ!おしょー大丈夫?」
「う、ん。びっくりしただけだし。助けてくれたし」
「助けてくれたって、あの人が元凶じゃにゃいのよ!」

やっぱり猫にとってびっくりするということは相当なストレスなのだろうか。珍しくぷんすか怒っているたまちゃんを、まあまあと宥めながら、本来の目的であるゴミ捨て場に向けて歩き出す。
……そういえばデクくんは、初めてミリオと出会った時、顔だけの遭遇だったよね。確か、壁からと、地面から。前触れもなく突然に。そして謎のまま消える。コミカルに描かれていたけれど、真っ当に考えるとホラーだ。私は全身だったしその後実体とも触れ合ったから怖さはなかったけど。――とっさに攻撃も、気絶もしなかったなんて嘘でしょ?デクくんのメンタルは鋼だ……。私が同じ境遇なら、気絶するか、その場から動けなくなるか、もしくは恐怖で大号泣だろうなと思った。







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