名前は、多くをしゃべる。
昔からそうかと言えば、そうではなく、本当はどちらかというと静かな子であった。



だから、そっちは危ないっての。

進もうとする足をせき止めるように、するりとこの身をすべらせる。
柔らかな体がクッションとなって、名前の足並みを優しく受け止めた。

「なあに?レントラー」

宙をふらふらと彷徨い、たどたどしく背に到達した手。ゆっくり辿っていくように背から頭に向けて、ぽん、ぽん、と登って行くそれを、こちらから迎えに行ってやる。
差し入れた頭を手のひらで感じている名前に、ゆったりとこうべを振って示した。

「いいえ?」

ふるふる。

「だめなの」

足と触れ合う横っ腹を、名前がひっくり返らない程度に押し付けてやれば、ようやく合点がいったようだった。

「行くのが、だめなのね」

ぐるる。

当たりだ。喉を鳴らせば、名前の口もとは弧を描く。
その手がやんわりとたてがみを握ったのを感じて、ゆっくりと先導していく。名前の足を引っかけてしまいそうだった道の起伏を無事に回避し、もとの道に戻った。
安全と判断したところで、一度足を止める。

「もう大丈夫なのね」

ぽんぽん、と首すじを叩いて、ありがとうを伝えてくる。それに鳴き返して、肯定の意を知らせた。


また杖で道を叩いて行きながら、少しずつ歩を進め始めた名前のとなりに並び、半歩先を行く。
伏せらたまつげが、ふるりと動いた。

「何を話していたんだっけ。……あ、買い物リストね!ええと、ミルクとパンと、トマト、チーズ。味噌も欲しい。あとは……豆腐だったかな」

白くてうまいのと、パサパサしたやつと、赤いの、黄色、茶色。とうふ……また白か。

「ああ、そうだ。はちみつも、あと少しだったっけ」

はちみつ、あの甘いやつな。

「平皿もひとつ買わなくちゃ。割っちゃったものね」

木のやつにしよう。白くてピカピカしたのは、粉々になると刺さる。

「ほかになにかあったかな……」

木の実はどうだ。

「レントラー、なにか思いついた?」

木の実、木の実。つぶがたくさんついてるやつ。ちょっとだけ、背筋がぶるっとするようなのがいい。

「うーん……何を思いついてくれたのか、思いつかないや。お店に行ったら渡してみせてちょうだいね」

そうするよ。

鳴き声を返せば、名前の話題は街並みへと移った。


名前はしゃべる。
相手の表情が分からないかわりに耳を澄まし、心を知るために手をのばす。

目が見えなくなってから、そのすべての動きが口に移ったかのように、くるくると言葉を紡ぐようになった。言葉が名前の心を代行し、返ってくる音と感触が、彼女を取り囲むすべてのものを伝えていく。
けれど、そうやっても補えない部分はあって、そのどうしようもないところを、どうにかするのがレントラーの役割であった。
空いた穴を埋めるように。名前の目となれるように。
レントラーがいからこそ、名前は家にこもらず、いろんなところへ行ける。
そうして役に立てるのは嬉しい。けれどその反面、寂しくも思う。

――この先もずっと、名前と同じ景色を見て、一緒に分かち合えたなら、もっと良かったのに。パートナーである自分の姿を、もっとずっと、見ていて欲しかったのに。

こちらを見つめて、目の奥にあたたかな光をともしながら、ほのかな笑みを浮かべてなでてくれる、その姿が好きだった。
ひとつ、ゆっくりと瞬きをすれば、同じように返してくれる、そんなひとときが。

今では、名前とまっすぐに視線を合わせることはできなくなってしまった。

寂しいと思うことも、見えたならと思うことも、何度もあるけれど。
でもその奥に、ずっと変わらないぬくもりがあると、レントラーは知っている。


ぐるるるる。

「なあに、ご機嫌ね、レントラー」

くふりと、やわらかな春風を集め含んだように、名前が笑う。

「なにかいいものでも見つけたの?」


見つけたよ。見つけていた。
ずっと、ずっと前から。


見えなくたって、レントラーと名前のなにかが変わるわけじゃないのだ。

遠くだって見通せるこの金の瞳には、昔から変わらない名前の笑顔と光を、確かにとらえていた。





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