「ただいまー」
「おかえり!」

ひょこりと顔を出して名前を迎えた、そばかすのあるガタイのいい男。恋人とか甘い類いの関係ではないが、名前は気にした様子もなく部屋に転がり込むようにあがり、バタンとソファーに身を沈めた。

「疲れたあああ!」
「なあなあ!買ってきてくれたか?」
「ちょっと、二言目にそれ?仕事帰りの社会人を労る言葉くらいかけなさいよね」
「おう、お疲れ!」

言えばいいってもんじゃないでしょう、と名前は、じと目で男を見やるが、にこにこわくわくとお土産を楽しみにしている姿に小さくため息をついた。
そして鞄から、本屋のマークが入ったナイロン袋を取り出して、男に渡す。

「ほら」
「おおー!サンキュ!」

はしゃいだ様子で袋を受け取り、男はいそいそと中の本を取り出す。本の表紙を見たとたん、また歓声をあげるものだから、思わず笑いをこぼしてしまう。すぐに本を包む透明の包装紙を破り捨て、男は本の世界へと入っていった。
真剣な表情で読み耽る男をしばらく見つめた後、名前は身を起こし、早く部屋着に着替えてゆっくりするためにお風呂に向かった。
化粧を落とし、体と頭も洗い終えて、ゆったりと湯船に浸かる。男はいつもあの漫画だけはじっくりと読むから、一時間は固い。二度は絶対読み直すため、読み終わるまで合計二時間はかかるだろう。
ふいーと息を吐いて、首まで湯に浸かった。ふと思い出したのは、同居人がやってきた頃のこと。
首に大きな数珠みたいなものを掛け、上半身は裸で背中には刺青、短パンに靴を履いた姿で男は突然現れた。お互い呆然としていたが、いきなり男は「自分は死んだんだ」とか、「なんで俺は生きているんだ」とか、酷く錯乱しだして。言葉をかけたり放置したりお茶を出したりといろんな手を使ってどうにか宥めて、そうして男はようやく名乗った。
自分は、ポートガス・D・エースだと。海賊をやっていて、たった今死んだんだと。
どんな冗談だよ、と思ったが、今にも泣き出しそうな顔で、血管が浮かびあがるくらい手を固く握りしめている姿を見たら、笑うことなんて出来なかった。
行くあてのないエースを私は引き取ることに決め、そうして同居を始めたある日、たまたま訪れた本屋でエースは我を失った。暴れるエースを羽交い締めにして、声がかれそうなほど叫び声をあげるエースの口を手で塞いで。野次馬はたくさんくるし、警察は呼ばれるしで、あの時は本当に大変だった。
家に無理矢理連れ帰って、ようやく落ち着いたエースから聞いたのは、信じられないような事実。
「あの本の中に俺がいた」
ワンピースというタイトルの漫画の存在は知っていたが、詳しいことは知らなかった。エースは、自分がその漫画の中の登場人物だと言うのだから、そりゃあたまげた。今度こそ冗談だと思いたかったが、あの取り乱しようを見れば、信じざるを得なかった。それからしばらくエースは塞ぎ込み、私はどう対応していいか分からず、結局エースをそっとしておくことにした。言い換えると放置。この対応が正解だったのかは分からないが、数日経ってエースは復活した。そして、吹っ切れたような顔で私に告げた。
「これを描いている人は、きっと俺の世界と通じてるんだ。あの人があの世界の運命を作ったんじゃない。ただ、あの世界がどうなっていくかを知っていただけ。俺の運命だって、その人に決められたんじゃない。あの世界でのことは全部、作られたものじゃないし、何一つウソじゃない。俺は俺のやりたいように生きたんだ」
エースは宣言するようにそう言って、それから笑った。
「名前、俺、あの本読みたい。他には何もいらないから、あの本を買ってください」
そうして頭をさげたエースに私が慌てたのは記憶に新しい。それからすぐにワンピースの全巻を集め、エースと一緒に読み耽った。今では私もすっかりワンピースの虜である。
ざぱりと湯からあがって、部屋着に着替えたのち、名前は風呂場を後にした。いまだに漫画にかじりついているエースを一瞥して、エースが用意してくれていた晩御飯をいただく。豚肉の生姜炒めをご飯にのせて頬張っていると、存分にワンピース最新刊を読み終わったらしいエースが、興奮を押さえ切れない様子で名前を見た。

「名前!今回はやべェぞ!ルフィがやべェ!」
「そのセリフ毎回聞いてるって。また弟自慢?」
「ふっふっふ、今回のルフィはなあ、」
「はいストップ、ネタバレ禁止!」

その話は私が読み終わってからにしなさい、と名前が素早く話を止めると、エースは「ちぇー」と唇を尖らせた。

「早く読めよ名前」
「今はご飯中です。私が食べてる間にお風呂入っておいでよ。まだ入ってないんでしょ?」
「おー、そんじゃ、そうする」

素直に頷き、持っていた漫画を優しく机の上に置いて、エースは立ち上がった。
お風呂場に向かおうと部屋を出かけて、そこで突然くるりと名前を振り返る。

「今回のルフィはホントにやべェからな。間違っても惚れるんじゃねェぞ」
「はいはい、それも毎回聞いてるってば。とっととお風呂入っておいで」
「早く食って読めよ。俺が出てくるまでにな!」

何度目かになる忠告を受け、それを適当にあしらうと、今度は一方的な約束を取り付けられた。エースは長風呂じゃないし到底無理だと言おうとしたが、それよりも早く彼はお風呂場へと駆けって行ってしまった。

「…無理だっての。エースのお風呂はカラスの行水でしょうに」

普段でさえ早くお風呂をすませるというのに、今日なんてお風呂上がりに楽しみがあるのだから、尚更入浴時間が短いだろう。
仕方ないなあ、という顔をして、名前は小さく笑った。
私だって、きれいな表情をしたエースから、ルフィの話を聞くときが、堪らなく好きなのだ。





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