喫茶店でバイト臨也と知り合い客静雄

昨日のシズちゃんがおかしいのは、誰の目からしても明らかだった、と思う。昨日は生憎土曜日で、つまりは今日は日曜日。学校が休みじゃあ会話に出すことが出来ない。態々電話するようなことでもないし、かといって新羅辺りにメールしたら長々と説明を求められる。それは面倒だし、鮮度が命の情報って訳でもないから月曜にでも話せばいいかなと思ったのが昨日の夜。そうして俺は、現在絶賛後悔中だったりする。ああ、面倒くさがらずに相談しておけばよかった。

「いらっしゃいま…、うわ、シズちゃん」
「文句あんのか」
「はいはいないよ。今日のオススメはね、」
「昨日の」

メニューを差し出す暇もなくカウンターに座ったシズちゃんの切り返しに、俺の笑顔はひきつった。またあのくそ甘いやつかよ、と口内でこっそり呟いた。

どうぞ、と小さく呟いてコーヒーを差し出せば、シズちゃんは無言でそれを口にした。一、二、三秒。特に何かを喋る訳でもないのに、食器を拭く俺へじっと視線を向けてくる。一体なんなんだと思ったが、時折ちびちびとコーヒーを飲むだけで、別に何かしらのアクションを起こすわけでもないので、害はないっちゃあないのだ。だからこそ意味が分からない。それが俺にとってどうしようもなく不快だった。

「……なんかさあ、シズちゃん変」
「………あ?どこがだよ」
「俺がここでバイトしてるの知ったくせに今日も来るし」
「コーヒーが美味えんだから仕方ねえだろ」
「キレないし、つっかかってこないし」
「……別にいいだろ。お前にとっちゃあ万々歳じゃねえか」
「………それは、」

そうだけど、なんて思いながらも不服なので声にして肯定はしない。シズちゃんが言ったことは別におかしな所があるという訳でもないから、気にしなければいいだけなのだ。そう、たったそれだけ。それだけだと分かっているのに、どうしてこんなにも納得がいかないのか。なんだかいいように誤魔化されている気がしてならない。そんなことをしてシズちゃんに何の得があるのかって言ったら、まあ、ないんだけど。

そうして一人悶々としている俺の空気を壊したのは、すみません、というお客さんの声。シズちゃんはそちらをちらりと見ると、何事もなかったかのようにコーヒーをもう一度啜った。俺はそんな訳の分からない感情を振り払い、客の元へと向かった。

「お決まりですか」
「えー、といつものコーヒーと、あとこれを。昨日食べた奴美味しかったよ。折原くんが作ってるんだって?すごいねえ」
「ああいえ、ちょっとかじってるだけで、まだまだですよ。それでは少々お待ちください」

俺にとっては見慣れた常連の客が指差したのは、マスターが新しくメニューに加えてくれた、俺の作っているケーキセット。昨日のチーズタルトはなかなかの自信作だったので、その言葉はただ安直に嬉しかった。ついつい緩んでしまう頬を引き締めながらカウンターへと戻ると、コーヒーを飲み終えたらしいシズちゃんのカップがずいと差し出された。

「…えっと、ごちそうさま?」
「おかわり」
「ああ、ちょっと待ってね」
「それとメニューよこせ」
「え。別にさっきと何も変わってないけど」
「つべこべ言わずにさっさとしろよ」
「…はいはい」

どうやら今日はコーヒー一杯で入り浸るつもりはないらしい。それは店側の利益としてはとても有難いのだが、俺としてはシズちゃんを追い返す口実を失ったとも言える。
はあ、と小さくため息をつくと、マスターに声をかけてメニューをシズちゃんに差し出した。後は勝手に見ているだろうとシズちゃんは放っておいて、俺は冷蔵庫から作っておいたタルトを取り出すと、包丁で綺麗に一人分を切ってゆく。さくり、という音と共に切り分けられたタルトが皿の上に乗った。上に乗っている赤が鮮やかで、自ら評価しても美味しいと言える自信はある。コーヒーの準備が出来ているのを確認すると、俺はコーヒーとタルトをトレーに乗せ、先程の客の元へ向かうために再びカウンターを後にした。

*

カウンターに戻ると、こちらを見ているシズちゃんとばっちり目が合った。
(げ。なんでこっち見てんのさ)
どう見たって俺を睨んでいるようにしか見えないその視線に口元がひきつる。何かイラつくことがあったのか何なのか知らないけれど、頼むから店内でキレるのだけは止めてくれ。ああデジャブ。
しかしシズちゃんの口から出たのは、俺を殴る宣言だったり、キレた際に発する唸り声ではなかった。

「…さっきもって行ったやつ、」
「え?ああ、タルトのこと?」
「あれ、お前が作ったのか」

まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかった俺は、一瞬戸惑った後「そうだよ」と頷いた。

「フルーツタルトで、上にチェリーのコンポートが乗ってるの。まあ、シズちゃんはいらないと思うけど」
「……食う」
「…え?」
「だから食うっつってんだろ!早く持ってこいよ」
「ちょ、でかい声出さないでよ…。今持ってくるから」

耳を疑った。いくらシズちゃんが甘党だからって、大嫌いな俺の作ったものを食べたいわけないと思っていたから。そういえば昨日もシズちゃんは、俺が似たようなことを口走ったせいでキレたんだっけ。ああ、そっか。つまりはきっと、食べ物を無駄にするなんて信じられねえとかそういう思考なんだろう。食物に罪はない、ということだ。それでも、どうしてだろう。シズちゃんが自ら俺の作ったものを食べたいと言ったとき、なんだか頬が少しだけ上気した気がした。

そんなことを思いながら、先程のタルトを切り分ける。切り分けながらシズちゃんのカップに目をやると、どうやらもう二杯目を飲み終えたらしく、カップは空だった。それを見て、ちょうどいいと思った俺はタルトを皿に移すと、そのままの足でマスターの元へと向かった。二言用件を延べ、数分後にマスターから一杯のコーヒーを受け取る。それをタルトと一緒にシズちゃんの眼前へと差し出した。

「はい、どーぞ」
「…なんだこれ」
「ブラック。苦いけど、折角だから飲んでみなよ」

笑みを浮かべながらそう言えば、シズちゃんは嫌そうに眉間に皺を寄せた。別に期待はしていなかった。ただ、飲んでくれたらちょっとでもブラックの良さが分かるかなあなんて思って。だから本当にシズちゃんがそれを口にした時は少し驚いた。シズちゃんは数秒黙り込んだ後、小さく「………にげえ」と呟いた。

「あは、そこがいいのに。シズちゃんはお子様だなあ」
「うっせえ」

シズちゃんは不服そうに息を吐きながら、フォークでタルトを一口大に切ると、そのまま口へ運ぶ。俺の作ったタルトがシズちゃんの口内へ吸い込まれて、咀嚼された。たったそれだけのことなのに、なんなのだろうか。どうして目が離せない?
シズちゃんは表情を変えることもせずに、「けど」と口にした。そうして、

「これの甘さが引き立って、たまにはいいかもしれねえな」

そんなことを言って笑うものだから、正直俺は認めざるを得ない嬉しさでいっぱいになってしまって、何一つ口に出来なかった。

それから俺が今日は店内の二人席ががら空きであったことに気づくのは、シズちゃんが店を後にしてすぐのことだった。

―――
タイトル→ミラクルワールド
BGM:Trick Art!
(100503)

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