学ぱろ/トウヤとベル

数時間前まで賑やかだった教室は、大半の生徒が帰宅したことによりしいんと静まりかえっている。半分だけ閉まっているカーテンを通して差し込む夕暮れに照らされた机と椅子は、お世辞にも綺麗に整頓されているとは言えない。部活動の真っ最中なのであろうクラスメートの机には、スクールバッグが口を開いた状態で無造作に置かれていた。これではまるで盗んでくださいと言っているようなものだぞ、と思いながらも俺はそれを見なかったことにした。

夕暮れの教室に一人きり。文字にするとどこか洒落たシチュエーションのようだが、実際は全くそんなことはない。チェレンは委員会の仕事だし、トウコはNとどこかへ行ってしまった(二人にはどうやら秘密の場所があるらしい)。ベルは先生に呼び出しをくらったらしく、今の俺は寂しく教室で待機中というわけだ。別に約束をしているわけじゃないから、ここで待っていたところで誰かが俺を迎えに来るという確信もなかったけれど、どうしてだかここを離れることが出来なかった。
自分の席に座って、つめたい机に上半身をぺたりとつけて、足をぶらぶらさせながらぼうっと窓の外を眺めていた。グラウンドから野球部の声が聞こえる。風に吹かれて擦れる木々のざわめき、笑いながら廊下をぱたぱたと駆けてゆく女子たちの声。この学校の中には、今この瞬間にもたくさんの音が溢れかえっているのに、どうしてだかこの教室だけは外の世界から隔離されたみたいだった。聞こえる音はすべてがBGMで、ほんものはどこにもないような気さえした。俺だけがひとり輪の外側に追い出されてしまったような感覚に支配された。
そんな風に被害者ぶる自分が嫌いで、だからこそいつも笑っているのに、そのときは本当にほんとうに楽しいのに、時たまこんな瞬間が訪れる。それが嫌で嫌で仕方がなかった。ひとり自己嫌悪に陥っているなか、がらり、という音とともに教室の後ろのドアが開いた。びくり。小さく肩を揺らして振り返ると、見慣れた金髪が目に入った。

「っびっくりしたー、電気ついてなかったから誰もいないんだと思ってて」
「ベル」
「あたし図書室の本ずっとかりっぱだったから、先生に怒られちゃった。すぐ戻ってこれると思ったのに長くってねえ」

えへへ、と笑いながらこちらへと歩みを進めていたベルは、ふと気が付いたかのように首をかしげた。

「あれ、トウヤだけ?トウコ達は?」
「あー…トウコはNとどっか行ってる。チェレンは委員会じゃねえかな」
「そっかあ、つまんないのー」

ベルの一言が俺のこころの隅っこをちくちくと刺激する。何も痛い言葉ではない。きっとベルには悪気なんてありっこない。それくらい理解できているにもかかわらず、俺のこころはやけに傷つきたがるから厄介だ。どうしてマイナスの意味ばかりしか拾ってこられないんだろうか。いつもならこんなことはないはずだ。それなのに、なぜだか今日はそんなちいさな痛みすら無視できないほどに俺は弱くなっていた。

「あっじゃああたしトウコのこと探しに行ってこようかな!どうせチェレンが委員会終わるまでは帰れないし」
「……」

ああ俺はいやなやつだなあ。はっきりとそう思った途端、頬をぬるい液体が伝うのを感じた。目前のベルは驚いたようにぱちぱち、と大きな瞳で何度か瞬きをすると、そのふっくらとした柔らかな指先をこちらへのばして……。

「!」

ぴく、と自分の頬が強張るのを感じた。ベルの指先は俺の頬に触れると、そのぬるい液体を拭うように肌上をすべったのだ。俺はベルが何をしているのか理解できなくて、目を白黒させていたが、ベルがこちらを見つめる表情が不安げだったのを見てようやく気付いた。俺は泣いていたのだ。大した理由もなしに、怪我もなしに。それをベルの指先が拭ってくれた。

「トウヤってばもしかして疲れてる?」

そんなことない、今のには大した理由なんてないんだ。そう言おうと思うのに、口はぱくぱくと動くだけで思うような言葉を発してはくれなかった。まるで打ち上げられた魚みたいだ。ベルはそんな俺を見ると、何かを思いついたのか、自分の机脇にかけてあるスクールバッグを何やらごそごそと漁り始めた。そしてお目当てのものを見つけると、俺の手のひらにそれをころんと置いた。

「疲れてるときはねえ、甘いものを食べるといいんだよ」

一口サイズのチョコレート。口に含むとどろどろと溶けだして、口内はその甘さに支配される。

「元気出してねぇ。トウヤが元気ないと私も悲しいもん」
「……ベル」
「なあにー?」
「ありがと」
「あっチョコ美味しかった?どういたしまして!」

天然で危なっかしくて、ちょっと目を離すとどっかへふらっと消えてしまいそうな幼なじみ。そんな、甘えん坊で、花みたいな笑顔で笑うベルのことを好きなんだ、と自覚するのはあともう少し先でいい。

―――
チロルは二十円
(120922)

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