グリーンとレッド
俺とレッドはマサラという町に生まれた。たまたま家が隣同士で、たまたま年が一緒で、たまたま他に同年代の子供がいなかった、そんなたまたまが重なりに重なって、俺とレッドは友達になった。
そんな関係を友達と呼んでよいのか、友達とはそんな風にしてなるものなのかはよく知らないが、とにかく俺はそう思っていた。レッドに面と向かって聞いたことはなかったけれど、多分あいつも俺のことを友達として認識していたのだと思う。…多分。とにかく、どんな偶然が重なった結果であれ、俺たちは幼少期をほぼ毎日一緒に遊んで過ごした。追いかけっこ、かくれんぼ、ヒーローごっこ、テレビゲーム…。二人で出来る遊びは一通りこなしたし、それらに飽きたときには二人で新しい遊びを考え出したりもした。大抵は俺が発案者だったけれど、たまにレッドが俺では想像もつかないような面白いゲームを編み出したりして、驚かされたものだ。とはいっても所詮子供が考え出す遊びなんてそんな大層なものじゃない。それでも、あの頃の俺たちにとってはとても画期的なものだったのだ。
そうしてぐるぐると巡る毎日を過ごしているうちに、俺たちは11歳になった。ある日じいちゃんの研究所に呼び出された俺たちはそれぞれ一匹、じいちゃんからポケモンをもらい旅立つこととなる。その頃にはもう俺たちの関係は友達ではないなにかへと変化していた。そう、一言で言うならライバルだ。俺はレッドに対して色んな面で対抗心を燃やしており、それはポケモンに関しても例外ではなかった。俺は出来るだけ強いポケモンが欲しいと思った。強くなりたいと思った。それと同時にたくさんのポケモンを見て、捕まえて、図鑑を完成させたいとも思った。俺にはどちらかを選ぶことは出来ず、そしてどちらも絶対にレッドにだけは負けたくないと思った。
それから俺はがむしゃらに走り出した。レッドには負けない。あいつにだけは絶対に負けない。世界中の誰よりも、一番に、レッドよりも上に。いちばん、という単語はいつも脳内にあったはずなのに、思い返してみると俺の旅はいつもレッド一色だった気がする。いつだってレッドより一歩先を進んでいる自信があったが、あいつにはすぐに追いつかれるんじゃないか、追い越されるんじゃないかという心配はいつもついて回った。一方レッドは俺が自らのことをこれほど気にしているとは露ほども思わずに、旅を続けていたかもしれない。しかし、俺だけが一方的にライバル視していたなんてことになれば、恥ずかしいことこの上ないので、この話はレッドには一生しないつもりだ。
そんなこんなでレッドには絶対に負けるものかと思っていた俺は、チャンピオンとしてレッドと戦い、そして負けた。俺の強さは本物だったはずだ。何故なら、俺はポケモンリーグの頂点に立ったのだ。これで俺がカントー地方の一番だと証明されたはずだ。だからこそレッドにも勝てると思った。俺のほんとうの強さでレッドなんか軽く倒して、そして。
どうして負けたのか、何がいけなかったのか。俺にはわからなかった。俺はこの状況の中で、最善の戦いをしたはずだった。ポケモン達の力を最高まで引き出し、相性、技、スピード、タイミング。すべて整っていたはずの状況で負けたことは、俺がレッドより下だという、言い訳すら出来ない証明に他ならなかった。
一度家に戻った俺はまるで出口を見失った子供のように、悔しさや悲しさ、羞恥が入り混じった迷路に捕われた。この先自分はどうすればいいのか、まったく見当がつかなかった。俺にとってのゴールは、チャンピオンになること。そして、レッドに勝つことだった。チャンピオンの座についていたのは人生の一秒にも満たない時間だったが、それでも俺はひとつのゴールを迎えてしまったのだ。そんな俺が次にするべきことはなんなのだろう。目指すべき目標は?もう一度チャンピオンリーグに挑戦するか?
いや、それは違う。俺が負けたのはレッドだ。レッドは俺からチャンピオンの座を奪ったくせに、ポケモンリーグに留まる気はないらしい。あれ以来俺も直接レッドに会ったわけではないから真偽の程は分からないが。ただ、それを聞いて妙にしっくりきた。レッドならそうするだろうな、とも思った。それは小さな頃から一緒に過ごしてきたからなのか、理由は分からなかったが、ただ漠然とそう感じたことだけは覚えている。そして、それに対してぐちぐち文句を言うつもりはなかった。ただ、なんだかとてもずるいと思った。俺はいまこんなにも進む方向を見失って同じところをぐるぐると回っているのに、レッドは確実に前へ進んで行っている。悔しさで枕を濡らす夜もあったが、絶対に嗚咽は漏らさなかった。母さんや姉ちゃんに気づかれないように震える唇をぎゅっと噛みしめて、窓から差し込む月明かりのなかで静かに頬が濡れてゆくのを感じていた。
そんな日々が一週間程続いたある日の午後、ピンポーン、という音が階下のリビングに響いた。生憎その日は母さんも姉ちゃんも出掛けており、家には俺一人だった。綺麗に磨かれたモンスターボールはホルダーについたまま、腰から外され机の上に置いてあった。もう何日相棒たちの姿を見ていないだろう。俺は少し隈が出来た顔のまま、リビングへと続く階段をトントン、とゆっくり降りた。こんな田舎の町に誰だろう。じいちゃんの研究所の研究員が何か研究資料でも取りに来たのだろうかと、通話ボタンを押して「はーい」とだけ言ってから、玄関のドアを開けると、そこには見慣れた赤い帽子を目深に被った黒髪が立っていた。
「グリーン、久しぶり」
俺の目に映ったのは、紛れもないレッド本人の姿だった。
「……っ」
レッドの姿をこの目に捉えた瞬間、俺は反射的にドアを勢いよく閉めた。がちゃん!という大きな音が響いたが、そんなことは気にもならなかった。まさかレッドが俺に会いにくるとは思っていなかったのだ。何の根拠もないのにどうしてそんな確信めいたものを抱いていたのかわからない。この通りレッドは俺の気持ちなんかこれっぽっちも知らずに、いつもと変わらない口調で俺の名前を呼んだ。俺ばかりが意識して、悔しかったり悲しかったり恥ずかしかったり…、そんなの、。
「…グリーン?」
「…、かえれよ。俺はお前に会いたくない」
「話があるんだ」
「帰れって言ってんだろ…」
「…話が、あるんだ」
「だから…」
「グリーンに、聞いてほしい」
「……っ」
レッドのいつになく真剣な声に、俺は次の言葉を絞り出すことが出来なくなってしまった。
「このままでいいから、きいて」
今すぐドアの前から立ち去ってしまいたくなったが、やはり俺の両足はいうことをきかなかった。棒のようにぴくりとも動かず、俺は仕方なくレッドの声に耳を傾けた。
「僕、チャンピオンにはなったけど、ポケモンリーグに留まるつもりはないんだ」
知ってる。
「このままあそこにいても僕は成長出来ないと思うし、まだまだ見たいものがたくさんあるから」
知ってる。
「だから…僕、シロガネ山へ行くことにしたよ。あそこに籠って、色々と考えたいんだ。今までのこと、これからのこと。ポケモン達と一緒に」
知ってる。お前がどんな奴で、どんな風に思って、今俺にその話をしているのか。子供の頃からずうっと傍にいた俺が、一番良く知ってる。俺たちは過去を振り返ってる場合じゃないくらいに子供のままで、いくら一人で旅をしてチャンピオンになったとしても、中身はまだまだ子供で。目標も夢もころころ変わるし、一直線に突っ走っていけたり、些細なことをきっかけに、ずるずると崩れてへたり込んでしまったり。それでも、俺たちは子供だからこそまだまだ、もっとずっと成長出来る。ただ強くなるだけじゃなくて、自分に必要な、自分が大切にしてきたこと、していきたいことに、めいっぱい自分の全てを注ぎ込んで頑張れる。俺だって、そんな子供の、一員だ。
「…俺、なにを気にしてたんだろう」
「え?」
「っあーあ!すっげぇ時間ムダにした気分!」
「…グリーン?」
「…なんかすっきりした。ありがとな、レッド」
「グリーンがお礼言うなんて珍しい…」
「お前俺をなんだと思ってんだよ!」
感情が明るく高まってゆくままに、玄関のドアを開ければ、真ん前にはレッドの顔。突然開いたドアに驚いたのか、少し目を丸くしながらもレッドは言った。
「、ライバル」
「…っそーだな!」
忘れていた。レッドが俺にとっての最高のライバルだってこと。それはこれまでも、多分これからだって、ずっと。どれだけ俺たちが成長して、大人になって、もう気軽に夢なんて語れない年齢になったとしても、この関係だけは、今と変わらないままずっと続けばいいと思った。
「今に見てろよ。またすぐにお前なんか追い越してやっからな!」
それからしばらくして、グリーンのもとにトキワジムリーダー就任要請の知らせが舞い込むのは、もう少し後の話。
―――
俺たちは永遠のライバル
(110328)