其の日は、妙に月が美しく、庭には虫の音が鈴のように泣き、静寂な夜を迎えていた。

私は、傍らで寝ているまだ一歳にも満たない小さな我が子を、其のあどけなく、可愛らしい寝顔を見ながら、あやしていた。
夫との間に出来た、私の大切な息子。夫とよく似ていて、きっと将来は賢くなるのだろうと思い、私はより愛しく思えた。
其の時、すっと襖が開かれて、私はゆっくりと後ろを振り返ると、夫が私と息子を一瞥し、部屋に入って来た。夫は息子を挟んだ私の向かい側に座ると、すやすやと眠っている息子を一心に見つめていた。



「……よく眠っているな。」


「……ええ。先程、授乳を致しましたから、御腹が一杯なのでしょう」


「……そうか。」



それきり、夫は一言も話さなかった。

私は、夫が里に対して不満がある事や、一族の皆から見限られている事を知っていた。そして、今夜、夫が此の里から抜ける事も……。
夫は私を里から抜けるよう、一度も忠告しなかった。私が何も知らないと思っているようで、何も言わずに私から去ろうと思っているのだろう。




私は政略結婚で夫の元に嫁ぎ、夫婦となって間もない頃から、夫と心を通わす事が出来なかった。私が世間知らずの寡黙な娘だったからか、夫は私をつまらない女だと思っていたに違いない。初夜も体を交える事なく、互いに背を向けたまま、一夜を過ごした。
そんな冷めきった間柄だったが、私は夫を幼い頃から愛していた。私がまだ幼い頃、父に「お前の許嫁だ」と夫を紹介され、懸命に修行している夫を見て、其の姿が頭に焼き付いたのか、其の日から私は夫を愛するようになった。そして、時は経ち、暫く見ないうちに、夫はとても逞しく、美しく成長していた。私は夫と顔を見合わせた時、自分が如何に夫とは不釣り合いの何も取り柄がない女だと思え、婚儀を挙げる事が出来る喜びよりも、寧ろ、自分への疎ましさが増したのだった。
婚儀を挙げて、2、3年が過ぎた或る日の事だった。夫は戦に赴くようになり、夫婦として共に居られる時間がなくなっていき、益々夫婦関係が冷めきっていた頃、イズナさんが深い傷を負われて、兄である夫に自ら目を差し出し、亡くなったのだ。夫は、其の日から狂ったように戦に身を投じ、酒に溺れていた。その頃、私は夫を何とかして支えたいと思い、夫と共にいようと、危険を省みず自ら、夫がいる本陣へと付きの者と共に向かった。其の時は、日が暮れて夜を迎えていたからか、辺りは真っ暗だった。私は、夫がいる天幕に向かい、彼のために拵えた小料理を繰るんだ風呂敷を持って、天幕へと入った。



『……何故、お前が此処にいる? 屋敷を飛び出したのか』



私が黙って頷くと、夫はクツクツと笑い、酒を一気に飲み干した。嫌な雰囲気を漂わせている中、私は夫の近くに歩み、風呂敷を広げようとすると、夫が其の瞬間、私の手首を乱暴に掴み、無理矢理、体を抱き上げたのだった。



『何をなさいます!?』


『フン、愚問だな。お前はオレを慰めるために来たのだろう? 違うか?』


小料理が添えられていた皿を夫が蹴飛ばし、皿の割れる音が辺りを響かせ、私は一気に体が固まってしまった。そして、夫に抱かれながら、一段上がった御簾で隠れている簡易な寝室へと向かった。私は此れから夫に何をされるのかが分かり、何度も離れようとするが、女の力など一切効かないのか、夫は私を乱雑に布団の上に寝かせた。



『嫌です!! こんな……酷い事をなさるなんて……!』


『……酷い事だと? 何を言っている。夫婦が体を交える事は当たり前だ。』



其の時、私は夫の言葉に胸が高鳴った。"夫婦"と思っていたのは、私だけではなかった……私を妻…女として見てくれているのだ。


……普通の夫婦が迎えるような甘い一時ではなかったが、私と夫はあの時初めて結ばれた。夫は無理矢理行為に及んだからか、罪悪感が残っているのか、其の後、一切私とは体を交える事はなく、会話も途絶えてしまった。だから、あの夜は私にとって特別な夜だった。そして、愛している夫と結ばれた結晶である、息子は私の命よりも大切な子供なのだ。




昔の事を思い出していると、本当に自分は不器用な女だと思い、反省していた。

夫と私の間には長い沈黙が訪れ、冷たい風が流れる。

夫を愛しているにも関わらず、何故、私はこれ程まで冷たくしてしまうのか。



「……お前はオレの元に嫁いで、幸せだったか?」



其の時、夫は小さな声でひっそりと言った。

私は、息子を撫でながら、ゆっくりと答えた。



「はい……。とても幸せでした……。」



其の言葉の通りで、私は幸せだった。

たとえ夫に愛されていなくても、普通の夫婦としての生活を送れなくても、私は愛している夫の妻として居られて、息子も産む事ができて、充分幸せだった。


すると、夫は立ち上がって、私と息子の側から離れると、縁側に立ち、月を眺めながら、こう言った。



「……オレも幸せだった。……お前や息子の側に居られて…」



私は其の言葉を聞いて、思わず立ち上がった瞬間、夫は私が見えぬ速さで屋敷の塀を越えて、屋敷……里から去ってしまった。



‥……貴方に一言、愛していると伝えたかった。

もっと、私が美しく、素直に想いを告げられる女であったなら、貴方との生活も変わっていたのかもしれない。貴方を食い止める事が出来たのかもしれない。




儚き永遠、望んだ未来
……‥私は、愛する貴方と息子と、貴方が作った此の里で幸せに、ずっと暮らしたかった‥‥…




題名;『秋桜』様より

戻る

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -