花々が広がる美しい大地に、一人の女がいた。

その女の名は小夜と言い、この世を治めるアシュラという男と恋仲であった。そして、今日もこの花畑に座り、恋人を待ち続けている。


ふと、その女が手を伸ばせば、暖かな優しい風が吹き始め、今まで眠っていた動物達が彼女の元へとやって来る。彼女を中心として、この広い大地に美しい花々が咲き誇り、忍が荒らしていた自然を甦らせ、生きとし生ける物に魂を与えるのだ。



「……小夜…いつまで、其処にいるつもりだ…?」


ふと、その女が振り向けば、ある男が木の陰から現れた。
――その男の名はインドラと言い、アシュラの兄であった。
インドラはアシュラと恋仲である小夜を昔から好いており、いつも陰ながらに小夜を見つめていては実らぬ恋に苦しんでいた。



「……インドラ様…」


「……小夜…」



手に沢山の花束を持った美しく妖艶な小夜を見たインドラは、思わず小夜の体を自身へと引き寄せた。



「……インドラ様…! やめて下さい…私は……」


「……オレは彼奴よりもお前を愛している…」


「……インドラ様…私はアシュラ様をお慕いしております…」



小夜はインドラから体を離すと、僅かに愁いを含んだ様な表情でインドラを見つめていた。



「……オレが諦めるとでも思っているのか…?」


「……インドラ様…貴方様には既に奥方様がいらっしゃるではありませんか…」


「フッ…あの女など、お前に比べれば取るに足りん…」



インドラは再び小夜を抱き寄せると、頭に手を添えて腰に腕を回すと、無理矢理口付けをした。


「……っあ…、んっ……」


「……何故、お前は…我が弟を愛する? 」



インドラは少し顔を遠ざけると、小夜の透き通った目を見つめながら、小声で囁いた。



「アシュラ様は私を深く愛して下さいます……」


「それならば、此方とて同じだ……オレは彼奴よりも昔から……お前を好いている」


「……ですが…私は貴女様の御気持ちに応えることは出来ません……」



小夜は顔を俯かせると、インドラは中々手に入れる事が出来ない小夜に対して、少々、苛立ちの様なものを感じ始め、再び小夜を強く抱き締める。



「……オレがお前に対して並々ならぬ恋慕の情を抱いている事を知らぬと言うのか…」


「……存じあげております…ですが、喩え…私がインドラ様をお慕いしていたとしても……貴女様は何れ、私をお捨てになりますわ……」


「……何故…そんな事が言える……?」



インドラは更に顔を近付けると、小夜は目を背けて、何も言わずに…その場でじっとしていた。これ程までに愛しく思っている女が何故、自分ではなく弟を選んだのかが分からずにいたインドラは嫉妬の情にかられ、どうすれば、この愛しい女を我が物にできるのかと、途方もない事を考え始めていた。



「……このままで済むと思うな…」


「…………。」



インドラは小夜を突き飛ばすと、森の中へと去って行った。
地面に叩きつけられた、小夜はインドラの悲しげな後ろ姿を見つめながら、ゆっくりと体を起こし、再び、恋人の訪れを待ち続けた。



――…‥




「小夜! 御免な…随分と待たせてしまった……」


長らく待ち続けたいた小夜の元にアシュラが丘を走ってやって来ると、小夜を抱き上げて、花畑に向かって仰向けに倒れると、小夜の腰に腕を回し、頬に触れ始めた。



「小夜……会いたかった…お前がオレの側に居ないと、凄く心配でな……」

「……アシュラ様…」


「また、近々戦が始まる……小夜、誠にすまないが…あの屋敷で待っていてくれないか……?」


―あの屋敷というのは、アシュラが小夜に与えた美しい邸宅だった。そこは、二人が愛を育んだ思い出の場所とも言えるだろう。



「はい……。アシュラ様……」


「…どうした? 少し、顔色が悪いぞ?」



アシュラがそう言った瞬間、ふと、小夜は先程のインドラの後ろ姿を思い出し、無意識の内に体が震えてしまった。
何故だか分からないが、とてつもなく…不安で仕方がなかったのだ。



「……いいえ…何でもありません……」


「……そうか…。戦が終われば、またゆっくりと屋敷でお前と二人っきりで…過ごす事が出来るからな……」



アシュラは小夜を抱き寄せると、優しい口付けを交わした。




――……‥



すっかり夜が更けて、アシュラは小夜を屋敷に連れて行くと、僅な時間を小夜と共に屋敷で過ごし、近々行われる戦の準備のため、夜更けに屋敷を出る事になった。

少し寂しそうな表情を浮かべている小夜はアシュラを見送る際に、何度もアシュラと抱擁を交わした。



「アシュラ様……どうか…御無事で帰って来て下さいませ……」


「……案ずるな、小夜…。」



アシュラは名残惜しい様に深い口付けを交わすと、小夜に見送られながら、戦へと向かった。

小夜は悲しげな表情を浮かべたまま、自室へと戻ると、アシュラを想いながら琴を弾き始める。美しく、そして悲しげなその音色は木々の間をすり抜けて、戦へと赴くアシュラの元へと辿り着き、より二人の絆は深まっていく……





だが、そんな二人の間を引き裂くかの如く、アシュラの兄であるインドラは小夜の部屋へと忍び込み、彼女の目の前に現れた。


「……インドラ様! 何故、此処に……あっ…!」



インドラは怪しい笑みを浮かべ、小夜を畳の上に縫い付けるように組み敷くと、顔を近付けて小さく囁き始める。



「フッ…こう易々と部屋に忍び込む事が出来るとは……我が弟ながらに呆れるな」


「どうして……こんな事をなさるのですか…?!」


「どうもこうもないだろう…まぁ、お前はオレの物だ。嗚呼…小夜……やっとお前を手にする事が出来るのだな……」


小夜はインドラの胸板を押して、抵抗するが、その抵抗も虚しく…インドラは嫌らしく小夜の頬をなぞり、着物に手を忍ばせていく。



「……嫌です!! 離して下さい…!!」


「……小夜、小夜……」




小夜は恋人と共に育んだ思い出の屋敷で、恋人の兄であるインドラに手籠めにされ、行為が終わった頃には生気を失いかけた目で、哀れな男を見つめていた。



「小夜…お前の美しい髪も、体も…全てオレの物だ…」


「……これで…満足なのですか……? 私は…もう……アシュラ様に顔向けできぬ女です……」


"殺してください"と小夜は目に涙を溜めながら、アシュラに呟いた。

この哀れな男は「殺すわけがないだろう」と、妖しい笑みを浮かべる。そして、小夜の頬を撫でながら、

"お前は我が手中にあるのだ"

と耳元で囁き、歪んだ愛を小夜に注いだ。

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