第一話
 今の時代、女は男以上に生き抜くのは大変なことだ。どんなに危険であろうとも家を守り続け、夫を支え、子を生むことが女の仕事だと、皆、口をそろえて言う。女は独立して生きることができず男の影になるしかない。その象徴とも言えるのが貧しい村で育った女達だ。家計のために物心がつかぬうちに売られ、使えなくなれば、あっけなく捨てられる。
 そんな女達の中でも美しく名哲な者は、大名や名のある権力者の妾となっていたが、これは滅多にないことで女達の唯一の憧れと夢でもあった。

***


今日は大事な日よ。
絶対に間違えてはいけない。今まで辛抱して毎日練習してきたのだから。

虫の垂れ衣姿に身をやつし、初めて舞をする場所へ向かうために準備をしていた私は、心の中で決意していた。

「そんなに引き締めなくても大丈夫よ。あんた、あんだけ頑張ったじゃない。」

隣で同じく準備をしていた"姉さん"が私に言った。
"姉さん"――実の姉という意味ではない。芸妓の世界では、自分より芸歴が長い先輩のことを指して、そう呼んでいた。

「でも、やっぱり…あのうちは一族の宴会で初めて舞をするとは……思ってもいませんでした。姉さん達と違ってまだまだなのに…」
「あんた今まで三味線弾いてただけだからね……まぁ、心配することはないよ。」

私は、今まで姉さん達の傍らで琴や三味線を弾いていただけだった。私と同期で音曲をする子はいなかったので、自分でも琴や三味線の才はあるのかと自惚れていた。そんな矢先に、舞をしてみたらどうかと私が働く梅川屋の楼主から頼まれた。お客様から前からあった要望だったそうで、それを聞いた時は本当に嬉しかった。何より早く出世することで、この店に売られた時にできた借金を返すことができると思っていたからだ。この世界から早く出ていきたかった。
芸妓となってからは、様々な知識と芸を朝から晩まで教え込まれた。辛い修行に毎日耐え続け、上達する度に姐さん達から受ける酷い苛めも耐え抜いた。
やっと一人前に踊れるようになった時には、今まで知らなかった男女の営みについても教え込まれた。以前の私は、芸を売るだけで良いのだと思っていたが、この妓楼にいる限り、表上では“芸”のみで売りつつも、身体まで売らなければならなかった。所謂「枕芸者」だ。衝撃的ではあったが、耐えるしかない、自分にはこの道しかないのだと奮い立たせていた。

「今夜はどんな宴会か知ってる?」
「いいえ…知りません……。」
「うちはの頭領様の就任式なんだってさ。若い頭領様はなかなかの色男らしいよ。あんた、目をつけられたらどうする?」
「それはないです…!絶対!姉さん達こそ……」
「わかってないねぇ、あんた。まぁ今夜誰から御呼びだしがかかるか楽しみだわ。弟のイズナ様もなかなかの美男子らしいわよ。私頑張っちゃうわ!」
「…………。」

私は姉さんみたいに楽しみにしていなかった。男の人に夜に呼ばれた経験はなく、酌をした経験しかない私にはあまり実感がなく、それと同時に怖かった。失敗してしまえばどうなることか。借金は増えるのだろうか。心配でならなかった。


芸妓である私達は支度を終えると、番頭と共に人目を避けながら、河岸まで辿り着いた。そこには数人の曳き子が待機しており、近くに一つの小舟が泊まっていた。私達はその舟に乗ると、ゆっくりと上り始めた。曳き子は大柄な男達ばかりで、私達の為に舟を一所懸命に引っ張り上げる。
川の流れが速く、少し古びた小舟で大丈夫なのかと心配になったが、それどころではなかった。船酔いが酷く何度も倒れそうになった。

なんと深くて恐ろしい川なのだろう――

川の底を見てみると、体が勝手に吸い込まれてしまいそうだった。まるで、あの世と繋がっているかのような真っ黒な世界が広がっている気がした。

川岸に着くと、日が西へ傾いて辺りが暗くなり始めた頃だった。道の先を見てみると、提灯を持った男が手招きをしていた。目を凝らして見ると、その男はうちはの家紋が入った服を着ている。

「俺はうちはの者だ。お前達を案内しに来た。この先は少し険しい林道を通るから気を付けろ。」

と言って、男は私達を案内した。

「今日はマダラ様の就任式だ。素晴らしい芸を期待している。まぁ、お前たちは、かの有名な梅川屋の芸妓だからな。皆楽しみにしている。」
「嬉しいことをおっしゃるのね。精一杯頑張らせていただきますわ。」
「うちも、うちはの皆様に早よう会いたいわぁ。」

姉さん達は、その男と上手く会話を紡ぐ。
男の話す口調や雰囲気から、私は今まで会ってきた大名様や他の権力者の方々と比べて、忍の人は少し恐い感じがした。
私達は男の後ろに連なるようにして林道を歩いた。ふと顔を上げてみると、この一帯の集落で一段と目立つ屋敷が視界に入ってくる。その屋敷がうちはマダラ様の邸宅なのだろうと思うと、私の胸の鼓動は次第に早くなった。
暫くの間歩いていると、大きなうちはの家紋が描かれた門が見えてきた。非常に大きな屋敷で、私が会ってきたどの権力者の屋敷よりも大きく見えた。そして、やはり就任式らしく日は降りたというのに、昼間のごとく、辺り一面火が立ち上っている。人の声もかなり聞こえる。上等な唐車が門に入っていく様子も垣間見れた。

「お前達は正門ではなく裏方から回れ。入り口に案内してくれる女中がいるはずだ。」

そう言われ、私達は裏手の門を通ると、男の言った通りに女中が出迎えてくれた。女中は私達に部屋を案内する。建物の中に入り、私は周りを見回した。想像以上に上質で大きな屋敷だった。

うちはマダラ――彼はどのような人なのだろうか。

そこらの権力者よりも大きな屋敷に住み、盛大な就任式を挙げることのできる御方。嗚呼、やはり、それ程まで偉い御方の前で完璧に舞うことができるだろうか――

「マダラ様はとても強い忍だって聞いてたけど、ここまで盛大だとはねぇ。」
「お呼びがかかったら、どうしましょう…。」
「私なんてなんて酌を頼まれたら昇天してしまうわ。」
「そうねぇ。何せ、お顔まで美しいと聞くよ。楽しみで仕方がないねぇ。」

姉さん達は頬を赤くして熱く語っていた。
姉さん達がここまで胸を踊らせて語り出すなんて……マダラ様はやはり偉い方なのだろう。
年はいくつなのだろうか。どんな顔立ちをしているのだろうか。
私も緊張はしているものの、姉さん達の話を聞いては少し胸を踊らせていた。

私達は化粧をすると、宴会用の着物を着て身仕度を終えた。部屋の外に耳を傾けると、女中たちが慌ただしく足音を立てている。何人もの女中が行き交う程に、盛大な式なのだろう。

――嗚呼、どきどきする…。だけど、頑張らなくては…

私は緊張を抑え、下に向けていた目線を変えて、前を見る。部屋の襖がすっと開くと、襖の近くにいる女中に招かれた。

「お待たせしました。では、こちらへ」

私は女中の後について行くと、姉さんが私の手をぎゅっと握ってくれた。

「大丈夫。あたしも緊張してるから。さっ頑張ろう」

「はい……!」

私は姉さんの助言を聞いて、少し緊張が解かれた気がした。長年この職に就いている姉さんの隣にいると、頼もしいと思えたのだった。そして、私は少し心に余裕を持ち始めると、背筋を伸ばし、胸を少し張りながら、姉さん達の後ろについて行った。

長い廊下を歩き、私達は目的の部屋に着くと、目の前には豪華絢爛な絵が描かれた大きな襖があった。私はその襖を見つめながら、静かに深く息を吸う。そして、精一杯努めようと心に決めた。

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