花のつぼみ 第二章

私がうちはの屋敷に勤め始めて、五年の歳月が流れた。

私は日々休むことなく仕事をこなし続けた結果、頭領であるタジマ様に認められ、水回りの仕事だけではなく、奥の仕事も少しずつ任されるようになった。
ここまで頑張れたのは、全てイズナ様のお陰だった。
イズナ様は頭領の息子として日々修行に励み、数々の戦に出て、生きるか死ぬかの狭間にいる生活を送っているにもかかわらず、私の事をよく気にかけて下さった。辛い時に、何度も何度も手を差し伸べて下さり、何度救われたことだろう。
私にとって、イズナ様は心の拠り所だった。
イズナ様の恩義に報いる為にも、私は毎朝欠かさず、近くの山奥にある神社に足を運び、願掛けをしていた。些細なことでも良いから、イズナ様の為になりたかった。
そして今日も、私は早朝に神社に行って願掛けを終えると、多くの女中たちと共に、炊事場で朝食を作っていた。

女中達は忙しなく、出来上がった食事を箱膳に置いていき、全てが出揃った瞬間に、一族が集まる広間へと運んでいく。私もその女中達と同じ様に箱膳を運び、広間へと向かった。
襖が開き、大きく解放された広間の中心部には、頭領であるタジマ様とその両隣にマダラ様とイズナ様が座っていた。
女中達はタジマ様から順番に食事を置いていく。私も同じように配膳をしていると、近くにいたイズナ様が私に小さな声で話し掛ける。

「おはよう、加代」

私は顔を上げると、イズナ様は優しい笑みを浮かべて私を見ていた。

「おはようございます…!イズナ様…」

私は妙に照れ臭くなり、たどたどしく言ってしまった。あまり長居はできないので、食事を置いた瞬間、私は軽くイズナ様に一礼をして、その場から立ち去った。
胸がどくんどくんと、波打つように鳴っている。

――まただ。

最近、私はイズナ様と会っただけで、胸の鼓動を感じ、その時のイズナ様の表情が脳裏に焼きつき、中々消えなかった。
私は胸元を押さえ、目を思い切り瞑った。

――いけない、いけない。……仕事に集中しないと。


私は炊事場の仕事を終えると、他の女中達と共に洗濯物が入った桶を持って、屋敷の一角にある洗濯場に向かっていた。

「イズナ様って、最近本当に逞しくなられたわよねぇ。」
「そうよねぇ。しかも、あの女人のような顔立ち!とても美しくって、見かける度に見惚れてしまうわぁ。」
「あら!貴方もなの?私もいっつもイズナ様を見かける度に、見とれてしまって…」

女中達はイズナ様の話題に花を咲かせていた。ここ最近、イズナ様が戦地に出られ、功績を出すようになってから、女中達の間でイズナ様の話題が持ちきりだった。

「あら貴方達、イズナ様が好きなの?私はマダラ様が好きだわぁ。とっても勇ましくて、男らしい顔立ちだもの…」
「マダラ様も素敵よねぇ。お二方とも違った美しさで、見る度に幸せな気持ちになれるわぁ」
「そうよね!あんな美しい殿方を目にして働けるなんて、幸せよ!」

イズナ様だけではなく、いつものようにマダラ様の話題も出ていた。昔からマダラ様は女中達の間では話題が絶えない程に、女人に好まれる方だった。
確かに、マダラ様とイズナ様はとても整った顔立ちをしている。女中達の話題に上るのも無理はなかった。
マダラ様は戦で数々の功績を残し、タジマ様よりもお強いと聞く。その強さと相まって、あの威厳に満ちた整った顔立ちは、全ての女人の心を掴んでいた。そして、弟君であるイズナ様はあの若さで、マダラ様の次に力を持ち、一族内の重鎮として活躍されていた。しかも、女人と見間違えてしまう程の美しい顔立ちは…どの女人が見ても、放っておけなくなってしまうだろう。
女中達は顔を赤らめながら、夢物語を描くように御二方について色々と語っていた。私はその話を端の方で聞いていると、イズナ様が遠い人物のように感じられて、少し悲しい気持ちになった。

「わぁ、見て見て!!マダラ様とイズナ様が修行されているわ!!」
「え!どこどこ?」

女中達は黄色い歓声を上げながら、屋敷の庭園で修行をされているマダラ様とイズナ様の姿を見ていた。
マダラ様とイズナ様に気付かれないよう、女中達は集団を作りながら屋敷の隅から見ていたので、私は中々イズナ様の御姿を見ることができなかった。一所懸命に背伸びをしながら、その中に入ろうとするが、女中達はひしめき合いながら見ていたので、すぐに追い出されてしまった。あまりの人気に驚いてしまう。

私もイズナ様の修行をしている姿を見たい――

私は思い切り身体を押して、女中達の中に入って行った。女中達はマダラ様とイズナ様に夢中になっていたので、身体を押しても思いの外、前の方に進むことができた。そして、その集団の中間辺りに進むことができたので、私は背を伸ばしてイズナ様を見た。

マダラ様と組み手をしているイズナ様の御姿は、私にとって眩しい光景だった。

技を俊敏にかわす度に、長く美しい髪を靡かせ、舞い散る汗が太陽の光に照らされ煌めいている。
逞しい御姿に思わず見とれてしまった。次第に胸の鼓動が高まり、熱を帯びていく。イズナ様の動きに呼応するように、瞳が動いていた。

「ちょっと休憩しよう、兄さん」
「ああ。」

イズナ様がマダラ様に話しかけると、御二人は一度中断をして、休憩をとっていた。
女中達は御二方の様子を見終えると、次第に仕事場へと向かい始めていた。私は暫くの間、イズナ様の御姿に見とれていた。何度も何度も先程の勇ましい姿が脳内の中で蘇り、何も考えられなくなっていた。私の視界には、イズナ様のみが映っていた。

「…加代、行くよ!」

他の女中に肩を叩かれた瞬間、私はふと我に帰った。

「…はい…!今行きます!」

私は慌てて桶を持ち、女中達の群れに連なるようにして並んだ。その時、私は後ろを振り返り、イズナ様の御姿を少しだけ垣間見た。


屋敷の片隅にある洗濯場へと着くと、女中達は桶に水を入れて、灰汁を含ませながら着物の汚れを落としていた。私もその女中達と同じ様に、大量の着物や布を洗っていた。
女中達は洗濯をしながら、噂話に花を咲かせている。そして、いつの間にかマダラ様とイズナ様の話になり、より一層話が盛り上がる。私はその話を片耳で聞きながら、黙って仕事をしていた。

「ねえねえ、マダラ様とイズナ様はどんな方と婚礼を挙げられるのかしらねぇ。そろそろ良い歳だし、良い縁談が来そうよね」

――婚礼…

私はその言葉を聞いて、胸に釘が突き刺さるような痛みを感じた。

「この前、イズナ様に告白をした、くノ一がいるらしいけど…」
「私も聞いたわ。イズナ様ってモテるのねぇ」
「マダラ様もよくその手の話を聞くわよ。まあ、あれ程の御顔で力も持っていたら、くノ一も放っておけないでしょうに」
「でも、不思議なことに御二人とも浮いた話は一切聞かないわよね」

浮いた話はない――心の隅で安心している自分に、私は少し動揺していた。本来なら、一族のためにイズナ様に相応しい奥方となられるような方が現れる事を望まないといけない筈だ。

「でも、マダラ様とイズナ様には、きっと…身分も高くて美しい女人がお似合いなのでしょうね」
「そうねぇ…私達なんて手が出せないわよ、きっと。あははは」
「私達は想像するだけで満足よ」

女中達は笑いながら言った。

――身分も高くて、美しい女人…

私は桶に映る自身の顔を見た。洗い物を中断し、泡に塗れた手で思わず自身の頬に触れた。日中、外での仕事が多いからか、ここ最近頬に沢山のそばかすが増えてしまった。しかも、髪も酷く縮れており、イズナ様の美しい髪と比べると、酷い有様だ。「身分も高くて、美しい女人」から程遠い自身の姿に、私は余計に悲しくなってしまった。
何故、私は悲しくなっているのだろう。
もともと、イズナ様と私は身分が違う。しかも、私はイズナ様に恩を頂いているのもかかわらず、大それた考えを持ち始めている自分自身を嫌悪感を感じた。
私は仕事を頑張って、イズナ様の恩義に報いることができれば、それで良いのだ。
それ以上の感情を持ち合わせてはいけない。

込み上げてくる辛い気持ちを飲み込みながら、私は頭を振って、洗濯板に思い切り着物を擦り付けて再び洗い始めた。


夕方になり、昼間の洗い仕事や掃除を終えると、女中達はすぐに夕御飯の支度に取り掛かった。私は炊事場での仕事を終えると、外で風呂の湯を沸かす為に薪を炊いていた。木の筒に何度も息を吹き込みながら、火を焚かせるので、顔が毎回、炭で真っ黒になっていた。
今日も同じ様に、額に流れる汗を拭いながら薪を炊いていると、肩を軽く叩かれた。
誰だろうか。私はゆっくりと振り返ると、イズナ様が背後に立っていた。

「…イズナ様!何故、ここにっ…!?」

私は思わず立ち上がった。イズナ様はいきなり立ち上がった私に少し驚きつつ、いつもと同じように優しい表情を浮かべていた。

「加代が元気にしてるかなぁって思って、見に来たんだ!」
「…イズナ様…」

私は顔を俯かせると、イズナ様は私に近付き、首を傾けながら私の顔を覗いた。

「加代、今日もお仕事お疲れ様!ちょっと顔を上げてみて…」
「えっ…」

私は顔を上げてみると、イズナ様は布を取り出して私の顔にこびりついている黒炭を取って下さった。

「今日も沢山働いたんだね…加代は偉いよ」
「…そんな…」

目の前にいるイズナ様の長くて細い睫毛。透き通った鼻筋。艶やかな唇。あまりにもイズナ様の顔が近かったので、私は次第に頬が赤くなった。

「ほら、綺麗になったよ!」
「イズナ様…こんな事までさせてしまって、すみません…」
「いいんだ!せっかくの可愛い顔が台無しになったままだと、俺も嫌だから」

その時、私は目を一際大きくしてイズナ様を見つめた。思わぬ言葉に動揺してしまい、心臓が飛び出してらしまいそうな程に拍動する。

「御冗談はやめて下さい…!私なんて…可愛くないです…」

イズナ様の目線から逃れるように、私は視線を逸らせながら、嘘の笑みを浮かべた。

「何を言ってるの!加代は可愛いよ」
「からかわないで下さい…!私なんて…」
「それ以上は言っちゃ駄目だよ」

イズナ様は私の口元に人差し指を添えると、優しい笑みを浮かべながら、私の言葉を遮るように言った。イズナ様のさり気ない仕草に、私は胸が熱くなり、息を呑んだ。

「加代!明日さ、少し俺に付き合ってもらってもいいかな?」
「えっ…明日ですか?」

私は思いも寄らない言葉に驚いてしまった。

「そうそう!明日は仕事入ってる?」
「すみません、イズナ様…明日も仕事が入っておりまして…」
「そうなの?じゃあ、マツさんに明日加代に暇を与えるよう伝えとくよ!」
「えっ…!そんな…マツさん怒らないかしら…」
「大丈夫!俺が言えば、マツさんも怒らないよ」

イズナ様はふふっと軽く笑うと、夕焼けで橙色になった空を見上げた。

「最近、加代と全然話していなかったからなぁ」
「イズナ様…」
「戦に出るようになって忙しくなったしね…でも、俺が頑張れているのは、君が頑張っている姿を見ているからなんだよ」

イズナ様は先程の表情とは一変して、真剣な瞳で私を見つめた。私はイズナ様の言葉を聞いて嬉しくなると同時に、自分自身のイズナ様に対する思いを告げたくなってしまった。

「わ、私も…です…イズナ様が頑張っているから、私も頑張れるんです…。イズナ様にどれ程勇気付けられているか…」

私は波打つ心臓を抑えるように胸元に手を添えながら、イズナ様に告げた。

「加代…」

イズナ様は少しずつ歩むと、私の肩を握った。
初めての事で私は思わず胸が高鳴る。自分でも想像している以上に顔が赤くなっているに違いない。かなり動揺してしまい、イズナ様の顔を見ることができなかった。

「加代は俺のこと、どう思っているの…?」
「えっ……」

私は思わず顔を見上げると、イズナ様が私の視線を捉えるように力強い瞳で私を見つめていた。
何と答えれば良いのだろうか。様々な気持ちが入り乱れており、言葉が全く出てこなかった。

私はイズナ様のことを…どう思っているのだろうか。


「……あー…やっぱり、なんでもないや!」

イズナ様は腰に両手を添えて、体を回転させて私に背を向けた。

「……明日が楽しみだよ!じゃあね、加代!おやすみ!」

イズナ様は慌てるようにして、その場から立ち去ってしまった。私は暫くの間、呆然とイズナ様の背中を見つめていた。


『加代は俺のこと、どう思っているの…?』


あの時のイズナ様の言葉には、どのような意味が込められていたのだろうか。この言葉が脳裏に何度も過るが、その度に私自身の身の上を考えると、そんな事はないだろうと思い直した。しかし、僅かな甘い想いが私の心の中を照らし始め、明日に期待してしまっていた。


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