慟哭の末に欲したものは。

 ヴァレッツハイヴの西の外れ。錆び付いて傾きかけた看板の店が、温い午後の風に晒されて立っていた。
 看板は時折強く吹くそれに歪んだ叫びを上げ、静寂を一層不気味なものにする。
 閉ざされた木炭の扉に小さく嵌められた窓にはカーテンがかかり、中の様子はうかがえない。
 人影のないがらんどうな通りに、今一人の男が現れた。
 右足を引き摺りながら、芋虫の這うようにゆっくりと通りを行く。ずる、ずる、と足をずる音が風の中に消える。
 それから堅く閉ざされたその扉の前で足を止め、息を整えながら看板を一度仰いだ。
 決意を固めるように喉仏が上下し、酷く荒れた手が躊躇いがちに扉を押す。
 消えかけた「All purpose」の文字。それが、この店の名前だった。
 
「「いらっしゃいませ」」
 
 乾涸びた空間に似合わぬ明るい声が、男を出迎える。それも、二つ。
 声の方へ視線を下げると、この辺りでは珍しい上等な服を来た少年少女が男の前でお辞儀をした。声の主はこの二人のようだ。
 綺麗な栗色の髪を揺らして面を上げた二人は、そっくりな顔をしていた。
 少年はリボンタイを結ったシャツにベスト、膝丈のズボンを履き、少女は裾を膨らませた可愛らしいドレスを着て、前髪をリボンで結んでいる。
 色の基調はどちらも黒とダークグレー、そしてリボンだけが深紅だった。
 寸分違わず同じタイミングで、小さな口が開かれる。
 
「「本日はどのようなご用件でしょうか」」
「あ、え…」
 
 突然切り出される本題に、男は言葉に詰まってしまう。まさかこの子供達もこの店の従業員なのだろうか。
 もっと厳つい連中が屯しているのを想像していた男は張りつめた緊張感を早くも切らせながら、取り敢えず目の前に居る彼らに確認をとった。

「なあ、巷で噂の「何でも貸し出してくれる店」ってぇのはここで合ってるか?」
「噂?ムッシュ知ってる?」「知らないよマダム」

 二人は顔を見合わせて互いに首を傾げ、またもやぴったり同じ動作で男の方に向き直る。
 紫色の瞳が二対。鏡のように男の顔を映し出す。二人はにっこりと笑った。

「でも貴方が望むのならば」「「All purpose」は何でも貸し出します」
「望むものを」「望む通りに」
「その対価さえ」「支払って頂けるのなら」
「巨万の富でも」「恐ろしい権力でも」「誰も抗えない戦闘能力でも」「明晰な頭脳でも」

「「何でも」」
 
 言葉を挟む隙間も与えずにそこまで言い終えて、少年少女は再び「「ご用件は」」と問いかけた。
 その有無を言わせぬ空気に男は漸く、この店が噂に聞く貸し出し屋だと悟る。ならば用件を話す必要があろう。
 
「借りたいものがあってここに来た。都合してくれるか」
「勿論」「何でも」
「…「力」だ。戦力になる人員を貸して欲しい。対価は俺の命、頼めるか」
「「かしこまりました」」

 神妙な顔でそういう男に、二人は顔色一つ変えず頷いた。それから少年の方がカウンターに、少女の方がその奥の扉に向かう。
 そのまま待っていると少年が一枚の紙と、ペンを持って戻って来た。契約書です、と言う声に、頷いて受け取る。
 続いて少女が、一人の青年を連れて戻って来た。
 いや、一人じゃない。その奥にもう一人、車椅子の男性が続いていた。
 目立つ銀髪を逆立てた青年は長身に筋肉質で、一振りの刀を握っている。
 椅子に座って契約書に今しがたペンを走らせようとしていた男につかつかと歩み寄ると、向かいに腰を下ろした。
 
「アダム・キャフリーだ。今日からアンタの下で”戦力”として働く。オレ一人じゃ足りねえか?」
「とびきりに腕前がいいなら構わない」
 
 疲弊気味な男の言葉にアダムは整った顔を歪めて「保証する」と笑う。
 そうか、と返したその視線は刀の方へと一瞬向けられるが、すぐにアダムへと向き直った。

「それで、どのくらいの期間働いてくれる」
「アンタは命を対価にと言ったな、だったら半年ぐらいは入れるが」
「…いや、そんなに長くなくていい」
 
 書面の最後、慣れた手つきでサインをしながら男は首を振る。書き終えた用紙を少年が受け取り、車椅子の男性に渡す。
 男性はそれを一瞥し頷くと、車椅子を動かし男の方へと近寄った。地面に引き摺る程長い亜麻色の三つ編みを、少女の方が抱える。
 思慮深い深緑の双眸が、男を捉えた。

「…パトリックさん、仕事の詳しい内容について、訊いても宜しいですか」
「…あんたは、」
「失礼、申し遅れました。私はジョシュア・アシュレイ。このAll purposeの店長です」
「そうか、あんたが」

 男、パトリックは深く息を吐くと、淡々と話し始めた。

「俺はルナルディファミッリャの構成員だ。近い内に起こるであろう抗争の為に、戦力を借りに来た」

 ルナルディファミッリャ、その名前はアダム達もきいた事があった。
 もう随分古くからあるマフィアだ。
 ヴァレッツハイヴに幾つも存在する組織の中では格式のある穏健派で、特にドラッグや人身売買はかたく禁じている。
 オメルタを遵守し、強い信頼で互いを結ぶファミッリャ。

「その世界に生きるなら知らぬ者は居ない組織じゃあないですか、またどこの命知らずと」
「この頃ルナルディファミッリャのシマによく出入りしてる余所者が居るんだ」

 どうやら余所者達は、ルナルディファミッリャの領地で違法ドラッグや武器、奴隷などを一般人に流しているらしい。
 挙句、売春婦にする為若い女性や子供達を攫っていくのだと言う。
 平和だった領地は彼らの所為でドラッグが横行し、先日とうとう民間人が構成員を撃ち殺してしまった。
 単なる金儲けか相手は穏健派だと高をくくって乗っ取りに来たか、理由は分からない。
 だが彼らのお蔭で領内の治安はいっぺんに悪化した。往来に屍が転がる様な状況を、見過ごすわけにはいかない。
 諸悪の根源を断ち切る必要がある、と穏健派達は重い腰を上げざるを得なくなった。

「ファミッリャのシマを荒らすチンピラどもには、カポ達も頭にきてる。だが、マトモにやり合えばどっちもただじゃあ済まない、だからまだ手を下せないでいる」
「つまりルナルディファミッリャの被害を最小限に抑える為に、外部の人間を雇う、と」
「そういう事だ。ファミッリャの堅い結束に綻びが出れば、たちまち誰かに其処を突かれる。下っ端の俺一人の命で危機を救えるなら、」
「随分そのファミッリャに傾倒してんだな、アンタ一人が死んだって誰も英雄扱いはしてくれねえと思うが――何故そこまでする」

 ジョシュアとパトリックの会話に、傍らで訊いていたアダムが口を挟む。
 組織の為なら死ねるという人間はこれまでにもいくらか見て来たが、それにしてはこの男は少し冷静すぎるように見えた。
 狂気的な信仰があるようにも、英雄扱いを望んでいる訳でもなさそうな男が、命まで賭ける理由が不透明だ。
 真っ直ぐ投げられた質問に対して、パトリックは自虐的に微笑んだ。やつれた顔が更に数倍老け込んで見える。
 
「俺の娘が、幹部の一人と婚約している。父親として大した事はしてやれなかったから、結婚くらいはきちんとさせてやりたい。それに殉職すると、遺族に金が出る――幸せになって欲しいんだ」
「成る程。アダム、」
 
 ジョシュアは静かに「トッドも連れて行きなさい」と命じる。アダムはまじかよ、と呟きつつも一度店の奥に引っ込んでいった。
 契約書に自分のサインも加えると、ジョシュアはにっこりと微笑んだ。
 
「貸し出し期限は半分の三ヶ月、その代わりにアダムともう一人、うちの戦闘に長けた店員を貸し出します。宜しいですか?」
「本当か…それはありがたい」
「では、ご健闘を。対価に関しては三ヶ月後にまたご説明させて頂きます」
「おい、連れて来たぜ」
 
 ひょっこりと戻って来たアダムの後ろに、更に長身の中年が立っていた。人の良さそうな顔をした彼は「トッド・マイルズだ、よろしく」と手を差し出す。それを握り返し、パトリックは「じゃあまた、三ヶ月後に」と店の扉を引き出て行った。
 ジョシュアがお二人も頑張って下さいね、と毒気の無い顔でアダムとトッドを送り出し、貸し出し屋「All purpose」の重い扉は再び閉じた。
 三人が出て行ったのを見計らうように、白衣を着た男性がひょっこりと奥から顔を出す。
 薬品の匂いを漂わせながら、今しがた閉じた扉を眼鏡越しに見遣った。
 
「…良かったのかい店長、二人も出しちゃって」
「人手が足りなくなったら臨時休業にしますよ。それにルナルディのカポには何人か世話になっている友人も居ます」

 残念ながら私では役に立てませんしねえ、とジョシュアは、ブランケットを掛けた自分の脚を見下ろす。
 白衣――ミハイルはまあねぇ、と曖昧に笑い、ジョシュアの膝にマグカップを置いた。
 湯気を立てるココアに、深緑の双眸が細められる。
 ミハイルはジョシュアのそれより一回り小さなマグを双子にそれぞれ渡すと、自分も真っ黒のマグに入ったコーヒーを飲みながら嘆息した。

「ま、あとは彼ら次第か」


 相も変わらず乾いた風が吹き荒ぶ中。
 店を後にした三人は街の中心部を目指し、大きな廃炭坑の脇を抜ける。不意にアダムが足を止めた。
 オーシャンブルーの鋭い双眸が、木々を組んだ足場を見上げる。
 十年以上前に閉鎖された炭坑はどこもかしこも古めかしく、捨て置かれた道具達はどれも錆だらけだった。
 炭坑夫達が屯していたであろう煉瓦作りの簡素な建物も、嵌められた窓は蜘蛛の巣で覆われている。
 視線を彷徨わせるアダムの纏う空気は酷く緊張感を孕んでいた。腰に下げた刀の鍔に左手の親指をかけ、黙って炭坑を注視している。

「どうした?」
「匂いがする」

 パトリックの問いに、アダムは秀麗な鼻先をすん、と鳴らして呟いた。
 彼の言葉に、トッドも意識して呼吸をする。確かに、違和感のある匂いが鼻孔をくすぐった。
 嗅いだ事のある匂い、これは。
 
「火薬の匂いだ」

 一瞬の出来事だった。トッドの両腕がパトリックとアダムの襟首を掴んで飛び退ると同時、派手な爆発音が響き渡る。
 炭坑の入り口を封鎖していた鎖、杭や足場の木、トロッコのレールや車体などの破片が四散し降り注いだ。
 アダムが足元に転がっていた鉄門扉の残骸を尖った靴の爪先で蹴り上げる。
 逞しい両腕がそれを受け止め、降りしきる鉄の雨を凌ぐように翳した。
 いやな音が耳朶を叩くのを、ただ三人蹲って耐える。足元を見れば拳程度の鉄片がごろごろ転がっていた。
 アダムが衝撃に耐え切れない分をトッドが支え、暫くして音は止む。大きく息を吐いて、アダムは鉄門扉を雑に投げ捨てた。とんだ腕力だ。
 怪我は、と事も無げに聞くアダムにパトリックが平気だ、と返す。見上げる銀髪の美丈夫は矢鱈に頼もしく見えた。
 周囲を見回しながら立ち上がったアダムは、怪訝そうに短い眉の根に皺を寄せる。それからパトリックの方を振り返った。

「アンタもしかして連中につけられてんじゃねえの」
「そんな事は…俺は独断でここに来たんだ、ファミッリャの皆すら知らないんだぞ」

 言ってはみたがアダム自身、その線は薄いだろうと考えていた。
 たかが構成員の、それもカポでもない下っ端一人の動向を窺い、潰しにかかって来るとは考えにくい。
 ここまで大掛かりな爆薬を仕掛けたのだとしたら、相手は相当アダム達戦力を危惧しているという事になる。それもまた考えにくい。
 顎をさするトッドもまた同じ事を考えていたらしい、かさついた唇を開き考えを述べた。

「仮にパトリック狙いだとしたら、やっこさんはこっちが何者かと言う事も知っているってことになるし…ひょっとして僕らを狙っていたりして」
「All purposeを?…理由がないだろ」
 
「あるよ、”ビルク”がいる」

 トッドが低い声でそう告げる。アダムは瞠目し息を呑んだが、話についていけないパトリックは二人を交互に見ながら困惑顔だ。
 言及しようとする青年を制して、トッドは彫りの深い目元に少し皺を寄せた。

「とりあえず僕らは僕らの仕事をしよう、折角命を捨てる覚悟をしてまでAll purposeに依頼しに来てくれたんだ。後回しにしたら失礼だよ」
「……わかった」

 納得が行かない表情を浮かべつつも、アダムはトッドの意見に従う。
 その返事に安堵の笑みを浮かべ、次いでトッドはパトリックの方を振り向いた。

「ごめんねパトリック、話が見えなくて困ってるだろうけど今は先を急ごう」
「あ、ああ」

 トッドの柔和な雰囲気とは裏腹な力強い言葉に、パトリックは気圧されたかのように頷かされてしまう。
 何故だか彼の言葉には従わざるを得ない強さが在るように感じた。
 何が自分をそうも彼に従わせているのかは皆目見当がつかないが、とりあえずトッドの言う事は正論だ。
 反対する理由がないだけの事だと結論づけて、パトリックは既に歩き出した二人の後を追った。
 乾いた土を、歩き出した三人分の靴音が響く。崩れた炭坑の上で、その様子を見下ろす人物が居た。

「やはりこの程度では殺せないのですね…そうでなくては」
 
 モノクルをかけた黄昏色の双眸が無感動に三人を見遣る。
 袖のない服からすらりと伸びた白く細い腕、嫋やかな手には爆薬の詰まった箱が下げられていた。
 女性然とくびれた腰に下がる無数の手榴弾。女は薄紅の唇を歪めて、笑った。

「次はありません、宜しいですね?」






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