金髪にした。
ブリーチ剤を塗るのが難しいし、変な匂いはするし、頭皮は痛いし、待ち時間は長いし。
文句を言えば切りは無いけれど、とりあえず二度の脱色によって思った通りの金髪が出来上がった。まぁ、満足。
肩まで伸びた髪も黒ければ重々しい感じだったが、脱色した今改めて見るとさほど重みを感じない。
毛の量が多いのは自覚していたがこうしてみると悪く無いように思う。
「うし、」
風呂から上がる際にすれ違った親父が「お前もとうとう…!」とかショック受けてたけど、スルー。
とうとうってどういうことだよ。別に何もしでかすつもりはねーよ。
自室に戻ってベッドに転がる。隣の部屋はからっぽで、でも自分の長い前髪を見るとそこの住人が脳裏に浮かぶ。
綺麗な金髪。にいちゃんと、同じだ。
女々しいことに願掛けじみてる今回の脱色大作戦。吉と出ればまあ、それで。タオルを放り投げ、電気を消した。
そして予想通り二度見のオンパレードである。
「おいあれ二組の…」「まじかよ」とかひそひそ聞こえて来る。お前ら隠すのか隠さないのかはっきりしろよな。
下駄箱を開けてもカエルの死体は出て来ないし、上履きをムカデが這いずっている事も無い。
廊下を歩いていても、足を引っかけられることも無い。前より随分とマシになったものだ。
「なんだよゆーすけくん、ぐれちゃったのかぁ?」
からかうように声をかけて来る奴。足を止めてじっとそちらを見つめた。黙ったままで。
そうすれば大体、向こうが気まずそうに逃げて行く。こんな髪にしちゃったから、余計に効果があるかもしれない。
それならちょっとラッキーだったり。
五組の前を通る。教室をちらりと見ると、廊下側の席にいる小さい奴(名前なんだっけ)が目を見開いてるのが見えた。
噂の村井君と、一緒に居たアジエンス眼鏡はまだ来てないらしい。ゴアイサツでもしとこうかと思ったけどまたの機会で良いか。
歩いて行けばドアの前にたむろしていた連中がすっとどいて、今までに無いぐらいスムーズに自分の教室へと足を踏み入れた。
だからそうじろじろ見るのやめて欲しいんだけどね。
鞄を放って机に突っ伏したら。あとは前と同じ。ただ、教科書が破られてないだけで。
どうせ聞く気もないんだ、寝よう。そう決めたら意識は真っ逆さまに落ちて行った。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いって。
口には出さない、いや出せない。ガムテープが貼られている。
「チョーシのってんじゃねえの佐々木くーん?」
「きんぱつとかwwwウケるーwww」
よくそんな下品な声が出せたもんだな。げらげら笑う連中を見上げながら呆れる。
毎度のことだ。何か気に入らないことがあってはこういう面白くも無い遊びをふっかけてきて。
ああでもガムテ貼られてるし、今日はオーラルセックス的なことはしなくていいのか。
若干救われた気分になる。いやズボンも下着も脱がされてる状況で救われてるもクソも無いんだけどね。
「まーいいんじゃねーこれビッチっぽくておもしれーじゃん」
「うわーいみわかんねーけどわかるわそれ」
わかんねーよ。ていうか男に突っ込んで気持ち悪く無いのか。衛生的にも絶対やりたくないだろ。
考えただけで吐きそうだ。実質さっき腹パンされて吐いてるけどな。おええ。
痛いからもう少し上手にやって欲しい、と思いながらも正気を保っていられるのはきっと痛みを感じているからだろうし、
これで痛くも痒くもなかったらこうして這いつくばってる間色々余計なことを考えてしまいそうだ。
メンタル弱い俺のことだからその場で発狂しちゃうかもしれない。そもそも強姦されてて痛く無い訳が無かった。
あーーー痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。無理な体勢してるからもうあっちこっち痛い。膝とか。
痔になったらどうしような。割とそんな事を考えていつも乗り切っている。
だって、いつものことだ。今更泣いて喚いた所で何が変わるのか。黙っていればこれ以上のことはされないのだから。
しかし今日は様子が違った。
まあ行為も佳境といったところで、狭くて埃っぽい準備室の周りが騒がしくなって来たのだ。厳密にはドアの向こうである。
ケータイで写メってる奴俺を犯してる奴順番待ちに雑誌読んでる奴その他全員それらをやめてドアを見た。無論俺もである。
「ここでいいのか」「いーんじゃね?」「鍵しまってるねー」「はいじゃあ突入しますよーさーんにーいーち、」
バァン!!!
適当なカウントが聞こえたと思ったらドアが吹っ飛んだ。え、そうだよね今ドア吹っ飛んだよね。埃舞い上がってんだけど。まじか。
暗い準備室の、ドアの所に人影。慌てたのか後ろから抜かれた感覚、次いで背中を蹴り飛ばされた。おいふざけんなよ。
手足を拘束されていた訳ではないので、俺も事の流れを見守りながらズボンを上げる。流石にあんまり人目に晒したく無い。
ガムテープを口からは剥がしているとぱち、と電気がついて、なだれ込んで来た人影はこないだの連中だった。
ドアを蹴ったのはあのヤンキーもとい村井君らしい。あとアジエンスの奴とちっさいのと、うちのクラスの吐血するでっかいの。
おおうなんというオールスター状態。
「ふっふー、これが現行犯逮捕というやつか」
「逮捕ちがくね」
「まぁどうでもいいだろそこは、ほら捕まえて来い」
「僕ら役に立たないから見てるねえ」
でっかいの(既に口の端に何かついてる)がほがらかに言うやいなや、ちっさいのと村井君がこっちに歩いて来た。
後ずさるクラスメイト。まぁ悪いことしてたのこいつらだしな。
「ほぉーら大人しくお縄についた方が良いぞー」とちっさいのが楽し気に言えばアジエンスが向こうの方で「更に!何と今なら自首すればちょーっと罪が軽くなっちゃうぞー」と真顔のまま素晴らしい抑揚の付け方で煽って来た。
状況について行けないんだが俺はあっちに行った方が良いのか…?考えていると、髪をガッと掴まれた。そのまま引き摺り上げられる。
痔の上にハゲとか真面目に勘弁して欲しい。
「く、来んじゃねえ!!」
喉元に当たるこれはもしかして:ナイフ。
まじかよーグーグル先生。ていうか何でナイフなんか持ってるのお前。
人を殺したことも無いくせに出来んのか?と余裕たっぷりに煽ってやっても良いのだが、逆上した奴は本当に何をしでかすか分からない。
村井君とチビも足を止めた。あーあ、空気読めよな。全員黙ってしまっては仕方が無いので代表と言うことで口を開いた。
「罪が重くなるぞ木更津」
「うるっせえ!ていうかお前は何でそんなに暢気なんだ!!」
「強姦されてケツが血塗れになった時点でもう殆ど何も怖くねーわクソが」
「どういたしまして!」
阿呆か。そんな話してる場合じゃないだろう。普通に怖いわ。切っ先の度に当たってて地味に痛いわ。
それでもその旨を口にしないのは多分プライド?いや人間不信か?どっちでも良いが言える訳が無かった。
はぁ、と溜め息をついたのは小さい奴だった。
「仮にそいつを殺した所で」
「イヤ勝手に殺すなよ」
「黙ってろよ…良いか木更津くん、仮にそいつを殺したところで逃げ切れると思う?僕と村井から」
言われて木更津の視線がちら、と村井君の方に向けられる。あーあ、村井君アレはアップを始めました状態だよ木更津お前瞬殺されんぞ。
現に俺の髪を掴み上げる手は震えているし顔は真っ青になって行くしナイフを持つ手も震えてるもんだからそろそろ刺さるんじゃね。
大人しく降参すれば良いものを、何を強がったのか木更津は反論を叫んだ。
「つか、お前らに関係ないだろ!こんな面白くもねー奴助けてなんか意味あんのかよ!」
「いや、特に無いが」
「だったら、」
続きは木更津の喉の奥で止まる。奥で黙っていたアジエンスの奴が組んだ腕をほどきながら前に出てきた。
すげえなさらっさらだな、世界が嫉妬する髪だわ。
じろり、とそいつの重い瞼の向こうで、黒い目がこっちを(正確には木更津を)見た。
「ーーー特に無いが、こういうのは気に食わない」
それだけだ、と言ったが早いか、右手に持っていた何かをこちらに投げた。
バサッ!と音がして雑誌か何からしいそれは直撃、俺の顔面に。
「痛ぇんだけど!!何で!!?」
「悪いな、コントロール力は無いんだ」
「じゃあ投げるのやめようか!!」
叫んで俺はハッとした。木更津の手にも当たったのかナイフが俺の足元に落ちている。すぐさま拾い上げたが、俺にだってナイフで人を傷つけるだけの覚悟は無い。
パニクっているのか未だに髪は木更津に掴まれたままだ、だったら。俺はうなじ辺りにナイフを当てた。
「それにしてもばっさり行ったもんだなお前」
「折角綺麗だったのに良かったの?」
背後で屍が累々と積み重なって行く中、アジエンスもとい秋雨と吐血もとい内海が俺の髪を触る。
あの時、咄嗟に俺は掴まれていた髪を切って木更津の手から逃げ出した。
俺さえ捕まっていなければもうこっちのものらしく、村井君とちいさいのもとい内田が白い歯を獰猛に煌めかせて笑う。
そこからは地獄絵図だった。とはいえ俺の心配をしてくれる二人にとっては見慣れた光景のようで、意にも介さない。
悲鳴とか聞こえて来てるけど良いのか。そんな朗らかに俺の髪切り揃えてて良いのかアンタら。
ついでに内海君口の端から何とも言い難いというか吐血してるけどいいのか。
俺が不審げに彼の口元に目を向けると内海君は恥ずかしそうに口元を拭った。照れる所なのか、わからん。
「終わった」
返り血らしきものがちょいちょい飛んでいる村井君が秋雨君の隣にすとんと腰を下ろす。
いやーいいストレス発散だったねえと内田君も内海君の隣に座った。
え、なにこれ。何この構図。囲まれてるんだけど。ていうかさ。
「…木更津も言ってたけど、お前らなんで来た訳。暇なの」
「えー助けて貰って第一声がそれかよ」
「顔面に雑誌食らった上髪まで切る羽目になって完全にいつもより被害食らってるからな」
「それは秋雨に言えよ」
「俺のせいなのか」
「ていうか質問に答えてくれませんかね」
「僕が頼んだからだよー」
口の端を拭くことに関しては諦めたらしい内海くんがはーいと手を挙げた。
「佐々木くんがガッコに来ないと、僕も困る」
「だそうだ、ゆーすけくんよ」
左様で。
何だか拍子抜けした。今まで人を疑うことしかして来なくて、信用出来る奴も俺を助けてくれる奴なんかも勿論居なくて。
親切心の裏をついつい探ってしまう。生憎そういうのには慣れていた、いやそういうのにしか触れたことが無いと言った方が良いか。
が、どうやらこいつらは本気でどうでも良い理由から俺を助けに来たらしかった。暇人じゃねーか。
裏が無いのでは疑いようも無い。教卓の側面に体を預けては、と掠れた声で吐き出した。
「そいつは、どうも」
床に散らばる、さっきまで俺の一部だった金糸を見下ろす。
短髪にまでなってしまって、いよいよ頭が軽い。何となく、軽く感じるのはそれだけじゃないような気もした。