その一片の微笑みすら美しく、
攫ってしまいたいと思っていました。
「村長、初恋っていつだった?」
当番制。
居残って山盛りのプリントを選り分けたりパンチを開けたりしながら、徐に裕介がそう訊いた。
穴開けの手を止め、村長は裕介を見る。裕介の目は曇り無くこちらを見ていた。
「急だな、何でまた」
「理由を求めるのは現代人の悪い癖だよ。もっと感覚的にいこうぜ」
「現代人代表みたいなメンタル弱っちいチャラヤンキーが何言ってんだ」
「刺さるわー」
けらけら嗤いながらファイルに書類を通す。
こいつ訊いといて流すとか、と村長がイライラしていると、あっと手を止めて再びこちらを見た。
「でも村長に訊いたのは理由があるよ」
「ほう、聞こうじゃないか」
「秋雨は論外じゃん、あんな美人昔っから連れててさー」
「その言い方下世話」
「ありがと。で、リョウは何か小難しい話になりそうだから、俺の頭がついてかない」
「まあ勉強のできは雲泥の差だけど言えばあいつはお前にも分かるように話してくれるんじゃないの」
「俺相当莫迦だと思われてんね、まあ合ってるけど。で、喜一も論外。初恋なうじゃん」
「決めつけるのはどうかと思うが納得せざるを得ないな」
「だからお前に訊くのが一番妥当なのだよ村長」
「知ってるか?人が話題主に質問を持ち出す時は大抵相手の答えに興味があるかそれとも聞き返される事に期待してるかどちらかだ」
「後者の意味が分からん」
「自分の返答を相手に訊いて欲しいってことさ」
「ふーん。でもどっちにしろ意味や理由を付けたがるんだな。何か可哀想だ」
「それに縛られてるのはお前もじゃないの」
「あらやだバレてる。で?村長君の初恋は、」
色素の薄めな、明るい目。ニヤニヤこっちを見て来るのは何だか無性に腹が立つのだがイマイチ怒りきれない。
初恋か、と思い出す。何度か女子に好意を抱いた事はあったが、最初はどれだったであろうか。
しかし考える程小柄な体躯の所為でどうしても男子として見て貰えなかった苦痛の過去も当然一緒に引っ張りだされて来て、トラウマに潰れそうになったので考えるのを放棄した。
「あんま覚えてないけど、保育園の先生とかだったんじゃね」
「早熟〜」
「ぶっ殺されたい?」
「いや、ませたガキだったんだろうなと思った」
「それお前確実に僕のぶち切れゲージ上げてんだけど」
「それは失礼」
「で、お前は」
言わせといてだんまりはないよな?と意地悪く言ってやる。
裕介は頬杖をついてファイルをパタン、と机に放り。
「母さん」
と一言呟いた。声が掠れていた。
「…は、」
「小学生ぐらいかな、母さんの若い頃の写真見て俺「この人誰?すっげー綺麗だね」って言ったんだ。
父さん困った顔してたな。それからこれは母さんだよって言われて、「流石俺の息子だな」って言われて。
誇らしいよーな、哀しいよーな。そういう気持ちになったんだ」
初恋は実らないとか、莫迦みてー。
けらけら。裕介は放ったファイルを徐に拾い上げてまた作業を再開した。
書類に目を通し、その上を滑るようにして指がそれらを選り分けて行く。
まるで何も無かったかのように。
村長はというと、酷く困惑した顔で。
「お前の母さんって、」
「ん?言ってなかったっけ、俺産んで死んだよ。今は父さんと二人暮らし」
「や、聞いてたけど」
「写真、何枚か残ってるけどきれーな人だったよ。どうしたら俺がこんなうっすい可哀想な顔になるのかわからんぐらい。
笑った顔がすごく、ふわってしててさー。きっとこれを見た人は幸せな気分になるだろうなって思ってた。いや今でも思ってるけど」
「そっか…」
故人、それも母親に恋をしただなんて不憫極まりない。いや、逆に故人であった事が幸いか。
どちらにせよ何と返答したら良いものか、村長は迷った。
言葉を探すようにあちこちへ視線をさまよわせる村長をじっと見る。
それから裕介は笑って、村長お前やっぱ正しいわと言った。
「要は俺、不幸自慢して答えに困るお前が見たかったんだよね」
お前良い奴だなー、と言う裕介があまりにイヤミで、村長は思わず嗤いながら書類の束を投げつけた。
噫、本当だ。莫迦らしい。
村長は鼻で笑って作業に戻る事にした。