いって、と呟いた声は音にならなかった。
言ってみただけで実際はそうでもないが。
唇の端も、頬も、腫れ上がっている。
体中そうだろう、悪いところは切り傷もついている。
ついでに左目には青痣。
困ったな、と裕介は呟いた。
割と綺麗に片付けたつもりだったが。
残党が残っていたのか捕まってさっきまで散々な目に遭って居たのだ。
暴行、それも性的暴行。
体の外傷以上に内側を抉り取る行為だ。
ここが男子校だと考えれば自然な流れだと理解できるが、納得は出来ない。
しかし裕介が困っていたのはそこではなかった。
残党はまた生徒会会計の力(これが存外馬鹿にならない)を以て叩き潰せば良いし、性的暴行を受けるのも初めてではないから慣れていた。
確かに若干腹の辺りが気持ち悪いし口の中は苦いし全体的にだるいが、いつもだるく生きているので大した問題ではない。
「顔はなぁ。ばれちゃう、よなぁ」
左目の痣を撫でる。痛いが、その脈動は鈍い。気にしなければ気にならない。
問題なのは、これを見て泣く奴が居ることで。自分が傷つく時は平気な顔をしている癖に、全く。
黒い。深く静かな目が正面から見つめ、
見た目から冷たそうな白い手は驚くほど温かく、いつも裕介の両頬を包む。
慣れた行為だった。
けれどそれから、涙を流すのだ。
こんなに怪我して、痛いよねと。
自分の事より遙かに切実に胸を痛めて。
慣れたなんて言ったって、聞いて貰えた試しが無い。
慣れたのではなく本当は麻痺しているのだと裕介自身もわかっているが、痛みは既に無いものなのだ。それをどう感じたら良いのだろう。
際限無く優しいのは彼の最大の美点で、裕介が最も苦手とする物だった。
「せーとかいしつに、帰らねーと」
正直行きたくなかった。行ったら彼はまた泣くだろう。
静かに静かに自分の心を痛めつけるだろう。
それは同時に、裕介の心も痛めつけるのだ。
蝕むように、あの黒い瞳が瞬きもせず見つめてくるのは、責められているような気分になる。
流れる涙は断罪で、罰で。
そしてそれ以上に、今の自分に近づけたくないと。
女子でもないし貞操観念など無いが、どうにも今の自分は汚らわしく思えて。
例え自分が触れるのも躊躇われる体になって帰ってきても、その手は変わらず頬を包むだろう。彼はそういう人だ。
しかし裕介は違う。あんな風には、なれない。
「畜生…」
あんなに痛そうに泣かれたら、こっちも痛みを錯覚してしまうではないかと
押しつけがましく思いながらも、涙は止まらなかった。
ああ何だ、やっぱり痛かったのか。