昼休み。
生徒達が暑さに呻く教室とは違い、冷房も涼しい職員室の一角を陣取って問題児ヴァルツァはもさもさと菓子パンの山を消費することに励んでいた。
その隣では学園の一匹狼で名高いオーギュストが時折山からクロワッサンだけを器用に摘みつつ、シルバーのボディが滑らかなM●cbookを起動してひたすらニコ動をさすらっている。
「暇だねオギュ。はてさて何故こんなに暇なんだろうか」
色の無い唇にまとわりついた生クリームを鬱陶しそうに舐め取るヴァルツァ。
紅蓮の弓矢が流れ始めたパソコンからふと視線を外したオーギュストは、そんな彼に悠然と微笑んだ。
「仕方在りませんよ、めぼしい行事もなければこれといった事件も起こっていませんからね」
「まるでうちの学校で常に事件が起きているかのようだな」
「現に起きているでしょう。
例に挙げるのであればどこぞの変質者の侵入、原因不明の家庭科室の爆発。
幼稚園児が迷い込んできたり教頭のヅラが飛んだり校長の入れ歯が消えたりヴィルヘルム君が武道場の床を大破させたりクラウゼヴィッツ君が君を追い回したり」
「色々あったな、云われてみれば。
思い出したくないことも含めて」
「ね?しかしそういった事件も最近ではめっきり起こらなくなりました、はてさて何故でしょう?」
「え、何故にいきなりクイズな訳」
「ライヘンバッハ君が生徒会長になったからですよ」
「僕のツッコミはスルーか」
胡麻クロワッサンを飲み込んで、オーギュストは奇麗な笑みを浮かべる。
「退屈で残念ですねぇヴァルツァ?」
「うっ…ぜぇぇ…しかし暇で仕方ないのは確かだ、欠伸出そう」
「せめて飲み込んでからにして下さいね、そのメープルメロンパンとやらを。口から出ますよ」
「そのお綺麗な顔にぶちまけてやろうか」
「ありがとうございます、遠慮しますけど」
「誉めてねえし遠慮すんなし」
「しますよ」
笑顔のままその辺りにおいてあったファイルで防壁を張り始めるオーギュスト。
その表紙に書かれた赤字は、ヴァルツァとしても無視出来ないものだった。無視も何も、実に今更なのだが。
それは大仰な溜め息を一つ吐くと、諦めたかのように菓子パンの袋をゴミ箱に投げ入れた。
「仕方ないテスト勉強するか」
「暇潰しの最終手段ですね」
そういったオーギュストの手には教師用と赤字で書かれた教科書。
「何ソレ私物?どっからかっぱらってきた」
「ここは職員室ですよ?日頃入り浸ってるんですからどうとだってなります」
「ヤッター使えるぅ、コピーしてもいい?」
「どうぞどうぞ。ヴァルツァだけ留年なんて笑える事態はごめんですからね」
「うわ頭くる。ぜってぇてめえよかいい点取るし」
「望むところです」
期末テスト前日の昼下がり、二人の勝負はこうして幕を開けた。
[ 遅すぎる イグニッション ]
(勝負の行方は神のみぞ知る)
「じゃあ行きますよ、ヴァルツァ」
「いつでも来い、オーギュスト」
ばし!と自分の小さな膝小僧を叩いてヴァルツァはバッチコイ体制になる。
向かいには長い足を悠然と組んだオーギュストが構えていた。
場所はもちろん職員室。
ヴァルツァは長い前髪をヘアピンで上げ、オーギュストは後ろの長い髪をコンコルドでまとめている。
お前等女子か、内心つっこむ教員たち。
しかし当人たちはそんな事はつゆ知らず睨み合っている。
オーギュストが手元の小さな冊子…単語帳をめくった。
「では今から見せる人名の読みを答えなさい」
「らじゃー!」
小学生か!内心つっこむ以下略。
第一問:毛沢東
「けざわひがし!」
第二問:蒋介石
「まさすけいし!」
第三問:石田光成
「いしださんせい!」
第四問:織田信長
「おりたしんちょう!」
第五問:豊臣秀吉
「ほうしんひできち!」
第六問:徳川家康
「とくがわけやす!」
「え?」
盛大に間違っているにもかかわらず何の反応も示さなかったオーギュストが、第六問で初めて顔を上げる。
流石に徳川はわかるよな…教員たちは妙な安心感に包まれていたのだが。
「とくがわけやすって誰ですか?」
「徳川家のヤスってやつだ」
「なるほど、これはそう読むのですか」
読まねえぇぇぇぇぇ!!!!!!そもそもいるかそんな奴!!!!!!!!
遠巻きに莫迦二人のやりとりを聞きながら、教員たちは痛む側頭部を押さえた。
[ そして下降のスパイラル ]
(これ完璧じゃね?)
(ええ、今回のテストは安心ですね)
ざわ、ざわざわざわ。
何やら廊下が騒がしい。いつもと違うざわめきが聞こえる。
一体何事かと、エリックが廊下に面した窓から顔を外に出してみれば。
「…」
ガラガラ、ピシャ。
無言でエリックはその窓を閉める、ついでに鍵もかけた。
いや鍵については必要ないけど。何となくかけておいた方がいい気がしてすぐさま閂を下ろしてしまった。
ていうか、うん。違う、自分は何も見ていない。そういう事にしておいた方がいい。しておくべきだ。
ざわざわざわざわ。
まだ廊下はざわついている。当然だ。
あんな光景にざわめかない人はいない(筈だ。何人かニヤつきそうな奴が居なくもないが)。
長く息を吐いて、机に突っ伏す。眼鏡が更に鼻筋に押し込まれて正直痛かったが、何も感じなかった事にする。
”あれ”には流石に関わりたくない。心底エリックはそう思った。
嫌な予感しかしないのだ。そもそも学校で悪目立ちする人間と関わって、いい事などあった試しが無い。
とはいえその悪目立ちする人間の一人が随分前からの友達だったりするものだから、何だかんだ苦労は絶えなかった。
頼むから早く過ぎ去ってくれ。もしくはこれが実は夢で、目が覚めたらいつも通りの教室と廊下になっていてくれ。
しかし彼の願いは大概にして脆くも崩れ去る。さもそれが運命だと云わんばかりに。
ざわめきが、一層大きくなった気がした。いや寧ろ、近づいて、いる…?
すると、突如頭上に翳りが差した気がした。
嫌な予感が確信に変わりつつも、エリックは確認も兼ねて顔を上げざるを得ない。
「どうしたエリック、頭痛か」
てんめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!!思わずエリックは叫びそうになった。
エリックの予感通り、そこに居たのは先程からのざわめきの元凶、ダグラス・ラーゲルクヴィスト。
高身長と煙ったような金髪が目立つ、ちょっと何を考えているのかよく分からない男である。所謂電波というやつか。
しかし勘違いしないで頂きたい。
そんな、電波な彼が歩いているくらいで生徒たちはざわめかない。
彼に匹敵するような一癖二癖ある生徒などザラな学校だ。
生徒会から上級生下級生までこと変人においてはスペシャリストみたいな節のある学校だ。どんなだ。
とにかく問題はその姿だった。
腕一杯に抱えられたニワトリたち、足にしがみつく小猿、隣を歩くオオカミ、肩にずらりと並んだ文鳥やインコ。
そして頭にちょこんと鎮座したウサギ。
彼が飼育委員なのはエリックも知っていた。熱心に掃除や餌やりをしている大きな背中を何度か見かけたこともある。
無表情で考えの読み取れない男だが、その人間性は少なくとも動物たちには認められているようだった。
だがまさか、連れ歩くとは予想外だった。というか飼育小屋に小猿やオオカミなんて居ただろうか。
いやいやいやいやありえないから。
「…ダグラス、その動物たちは連れてきたのか?」
「掃除をするために小屋の戸を開けておいた。そうしたらついてきた」
「じゃあ小猿とオオカミは?」
「…」
はた、と今ようやくその存在に気づいたらしい。ダグラスの無表情な目が少しだけ見開かれた。
「気付かなかった」
「そうかい、なつかれてんだな…つか掃除どうしたおまえ」
「それが小屋が多くて手が回らなくてな…おまえたちに手伝ってもらおうと思って来たんだ」
いや何で俺が。
断ろうと思ったエリックだがふとダグラスの頭上に丸まったウサギと目が合い、固まった。
動物特有の、つぶらな目。それがうるうると、エリックを見ている。
瞬時に彼は判断した。
こ…断れねえ…!!!
結局エリックはじめステフェンやアンドレー、しまいにはジュリアンまで巻き込んで、飼育小屋掃除は仲良く盛大に行われた。
もう小屋開けっ放しにして教室来んなよ、とエリックは釘を打ったが
ひょっとしたらエリックを泣き落とすための、ウサギだとかは布石だったのかもしれないと少しだけ思った。
[弱者は大切に]
(だってあいつ変な所で頭が切れる)
「一通りのことはしたとも。仕方ないだろう、わからないものはわからないのだから」
そう言ってフランクは読んでいた薄っぺらい書籍−−その薄さはやる気のないパンフレットに匹敵する−−をぽーいと投げ捨てた。
彼にしては珍しい、乱暴な扱い方である。
それを拾い上げながら女は八つ当たりしないでくれる、と床に落ちたそれを拾い上げた。
「そもそも理論が立てられん。
仮説を立てて進めても必ず逆らうように別の理論が邪魔をしてくる。
法則性がまるでない、こんなものを主題に論じるなんて不可能では?」
「だからその奔放さについて論じるのよ。思想の自由がどこまで自由なのか試すために!」
ばん!と机を叩く女。
振るわれる熱弁に顔をしかめながらフランクはならば、と返した。
「ならばもう思想の自由が主題でも構わないだろう?
わざわざこんなものを主題に立ててまで遠回しに自由について論じるだなんて無駄足の限りを尽くしているようにしか思えん。
大体思想の自由を論じたいならこんな偏った書籍を振りかざして論議すること自体が既に思想の自由を侵害している。
却下に決まっているだろうこんなもの、生徒総会で議論すべきことではない」
ばしんと言い切ったフランクに女−−ロザリーは憤慨した。
「こんなものって何よ!!萌えやBLについて論じることの何がいけないのよ!」
「全部に決まっているだろう!こんな肉色した薄っっっっぺらい本振りかざして何が思想の自由だ!大方の生徒が不快な思いをするだけだ!」
全員の生徒が、と言えないところが唯一惜しむらく点である。
悲しいことに世の中の女子は全体的に腐っていっているらしい。
「大体何でBL萌えがわからないの!?不能!?
これだから三次元の男は」
「男同士がつるむのなんか見てどこがときめくというんだ!」
「あんただってゲルツェンとよくつるんでるじゃないの!いいネタよあんたら二人!」
「そういうつもりでつるんでいる訳ではない!お前からすれば仲のいい男子は全員できているというのか!」
びしぃっ!と指を指すフランク。
怒り心頭である。
ロザリーは可愛らしい且つ美しい顔をめいっぱい歪ませ嫌な笑みを浮かべた。
こういう所はヴァルツァと妙に被る。
「当然でしょ!野郎が二人以上居れば恋人が居ようが妻子持ちであろうがそこから物語が始まんのよこのバカ!石頭!淫乱!」
「なんだ最後の淫乱って!逆セクハラで訴えるぞ変態女!」
「淫乱は淫乱よばーか!ゲルツェンにもライヘンバッハ先輩にもティエールにもクラウゼヴィッツ先輩にも足開いてんでしょ淫乱!ドM!あんたが変態でしょ!
いいからさっさと公開プレイしなさいよばっちり撮るから!」
「妄想も大概にしろロザリー・ヒューイット!ど突かれたいのか!」
「やだ!ガチホモに襲われる!」
「言葉を深読みするなぁぁぁぁぁ!」
バリバリバリッ!とキレたフランクが手にした同人誌(フランク曰く肉色した薄っっっっぺらい本)を引き裂く。
表紙にいた二人の美少年が見事別離の道を辿る羽目となった。
「なにすんのよそれ高いのよ!!」
「知ったことか変態め!
大体こんな卑猥なものを校内に持ち込むな!学生がR指定読むな!
思想の自由を論ずる前にその不純で破廉恥な脳内をどうにかしろ変態!」
「はあっ?この程度で破廉恥だなんてあんた相当残念ね!もしかして童貞?」
「んなっ…!!」
突然の言葉に、とっさの切り返しが出てこない。
ロザリーはにんまりと笑った。実に嫌な笑みである。
「あー!言葉に詰まった!図星だー!」
「ち、違っ…!!」
焦るフランク。
このままでは良いように言われてしまう。
噂を撒かれる前に手を打たねば−−しかし時既に遅し。
ロザリーはくるりと華麗にきびすを返した。
「わっふぅぅ!良いこと聞いちゃったー!
もう生徒総会の議題なんかどーでもいいや!同人誌作らなきゃ!!」
「おい待て貴様ぁぁぁ!」
「やーいやーいお前の相棒短小包茎ー!!」
「死ねヒューイットォォォォォ!」
こんなことになるなら大人しく議題を通すべきだったかもしれない。
うなだれるフランクはそう思った。
ブリジットがそんな彼の肩をとんと叩き、
「大丈夫ですよ、私も好きですから」
と言う。
あえて主語がないのが逆に嫌だった。
[ 人権無視! ]
(死にたい…)
(いいじゃないですか、モテ期ですよ!)
少しずつ、狂気に蝕まれているのがわかる。
恐怖心を超えた狂気が脳を支配していくのだ。
震える指先。唇が笑みの形に歪む。
カリ、とロベルトは爪でフローリングを引っ掻いた。
斬り裂く快感、快感、快感。
胸の奥底から沸き上がる優越感のような、興奮して、しかし冷たく残虐な感情。
指が、手が、脳の知らないところで動く。
肉を断つ感触もなま暖かい血を浴びる感触も、リアルに感じて。
「まだだ」
そうだ、ロベルトの喉が上下した。
そう、まだいける。まだまだこんなの序の口だ。
だって、強いんだから。俺は強いんだから!
震え、汗ばむ手で握り直したそれを見やることも無く、ロベルトは剣撃を浴びせた……。
画面の中の、兵士に。
「死ねェェェェェェェェェェッ!!!!!」
ロベルトの怒号がリビングに轟く。
斬!斬!斬!
次々と倒れていく兵士に彼は満足げに笑った。
夏休みの徹夜三日目、ゲーム漬けの蒼い目は血走っている。はっきり言って怖い。
三徹で相当精神も参っているようだ、高笑いが迸った。
「あーっはっはっはっはっはっは!!!!死ね死ね死ね死ね死ね死ねェェェェェェ!このクズどもがァァァァァァァァァァァ!」
「あれ、どうしようか…」
「いやもうほっといた方がいいでしょ」
「お兄様…」
哲人、奏人、メルは、リビングのふすまをそっと閉めた。
それから奏人は振り返り、来客に頭を下げる。
「すまないね、弟はどうやらしばらくほっといた方がよさそうだから…」
「みたいっすねーむしろ永久にほっときましょーよ」
「ヴァルツァ!いえ、こちらこそいきなり押しかけてすみません」
「眼帯君「リッヒテです」…リッヒテ君…本当にすまない、またいつか遊びに来てやってくれ」
「はい」
「はーい」
ガララララ、ピシャッ。
太陽の下に放り出されたタンクトップ姿のリッヒテとヴァルツァは揃ってため息をつく。
「おん出されちまったな」
「そだね…あー外は暑いなぁ…」
「つかこのあとどーする?レイチェルんちでいっか」
「まあ一回行ってみないとね…このスイカ見せたら入れてくれるかな」
家の中からはまだロベルトの高笑いが聞こえていた。
[ サマーウォーズ ]
(それは1人の少年の架空兵士との戦いであり、)
(二人の少年の避暑地を求める戦いである。)
「ねえリッヒテ」
「何だいロザリー?」
「明日は何の日か知ってる?」
声をかけられいざロザリーの方へ振り返ろうとしたリッヒテの半分だけの視界を遮るようににょっきり現れたのはヴァルツァだった。
おいどこから生えたこいつ、とかいう疑問はこの際置いておく。
一体何の声真似なのかやたら甲高い声でそういうものだから、一瞬視覚と聴覚の噛み合わせがずれたのかと心配したが、あの甲高い声の主は一応ヴァルツァで合っているようだ。
何なんだよ気持ち悪いなとリッヒテが返せばヴァルツァは白眉の眉根に皺を寄せ、気持ち悪いとか云うなしーと唇を尖らせた。
ごめんその顔も結構気持ち悪いと云おうかと思ったがやめておいた。
あの黒い爪が備わった細い指で眼球クラッシュかまされるのは目に見えている。
「ヴァルツァ、今の何?」
ロザリーがこてんと首を傾げた。いつもこうなら可愛いのになんだか俺の付近は残念な奴ばかりだなとリッヒテは小さく溜息。
その頬をGペンの鋭利なペン先が掠めていった。目の前にはものすごい笑顔のロザリー。
ほんともうやだこの鳥籠おちびーズ。
小さいくせに凶暴で物騒なんだからもう、と二度目の溜息をついた刹那、黒い爪の先とGペンの鋭利なペン先が同時に襲いかかってきて、彼はもうそれを腰に下げていた竹刀で受け止めるより他に術がなかった。
[ おまえがそれを云うか ]
(ていうか常時帯刀してる奴が云うなしー)
(ねぇしってる?そういうの棚に上げるって云うのよリッヒテ)
(俺が云ってるのは心持ちの問題!)
((じゃあ尚更じゃん))
※ややファンタジー寄り学パロ
「現状説明できる奴、居る?」
「ていうか俺とお前しか居ないだろ…」
「だよねぇ…っと」
校舎の陰、雨を通すパイプを伝いながら地面に降りたのはリッヒテ。
続いて少し上にいたヴァルツァはそこに飛び降り、リッヒテが巧いこと受け止めた。その腕から降りる。
「ロベルトたちとバラけちゃったな」
「彼らはまだしも俺は女の子たちが大丈夫か心配だ…」
「ジョエルも?」
「心配だとも、相手がね。本当に良い女だよ」
「リア充埋まれ」
こそこそと小声で言い合いながら周囲を用心深く見回す。
そうして、それが居ないことを確認して、ゆっくりと
「ギャァァアアアア」
踏み出すことは叶わなかった。
断末魔のような鳴き声をあげて、何とも断言しがたい、強いて枠にはめるなら屍の肉塊のような四本足の生き物が襲いかかる。
リッヒテはすぐさま腰に下げた竹刀を抜き放ち、頭とおぼしき場所へと振りかぶって叩き込む。
袴の裾がはためいた。飛び散る肉片。
「やったか」
「効いてないね、手応えがないや」
言いながら、糸を引くようにずるずると腐敗した繊維を引きずる竹刀を振り、付着したそれらを軽く振り飛ばす。
同時に下がり、距離を取った。
唸り声。それはまだ仕留めていない証拠で。
「リッヒテ下がれよ、僕が」
「お前どうせマシンガンとかガトリング的なアレ出してくるんだろ…目立つのは宜しくないな」
「えー、もうどーせバレてんだから派手にかましちゃおーよ」
短いスカートの裾を翻し、リッヒテの制止を振り切ってヴァルツァの両手に現れる銃。
因みにどこから出したという突っ込みは無しの方向で。
じゃらじゃらと安物雑貨屋で買ったプラスチックのブレスが揺れる華奢な腕にそれは似つかわしくなかったが、孔雀色にぎらつく目はまさに凶悪で、手にするそれ以上の殺傷能力さえ含んでいるように見えた。
「来やがれバケモン!その腐った脳味噌飛び散らせて死んじゃえよ!!!」
引き金を引く。切れ間ない銃撃が炸裂した。
腐敗したそれは、弾丸に僅かずつ表皮をかすめ取られて行く。
抉れた箇所から吹き出す黒い粘液。
頭が八割無くなった辺りで、ヴァルツァは銃を下ろした。
あえなく倒れる肉塊。四肢が痙攣しているが、恐らく復活などはしない。
「ウェーイ倒したー!レベルが100上がったー!テレレレッテレー♪」
「はいはい良かったね…さて、しかし早いとこあの胡散臭い副会長を捕まえてこいつらを処理させなきゃ」
「まァ元はと言えばあのゴキ眼鏡のせいだもんな、しかしそうも言ってらんねーっぽい」
「うわ…」
ヴァルツァが銃口で示す先には、さきほどの肉塊の仲間たち。
数えたら泣きたくなるだろうから、やめた。
銃撃音を聞きつけたのだろう。遊んでやるつもりは毛頭無い訳だが
「ねえリッヒテ、僕らに拒否権はあるのかな」
「あるならとっくに行使してる」
「もー僕帰りたァい」
うんざりした口調。それはリッヒテとて同意見である。
ため息をつきながら竹刀を構えた。
同じようにヴァルツァも銃を構えて
かちん。
「…あァれ?」
かちん
かちんかちんかちんかちん
「…ヴァルツァ?」
空回る引き金の音に、リッヒテの背中を冷たいものが駆け抜けていく。
もう数度試し、ヴァルツァは白銀も麗しい髪を揺らし振り返った。
「てへぺろっ」
「ばっ、バカヤロォォォォォ!!」
叫ぶと同時、脱兎。
「だからあれほど弾は無駄にするなって言ったのにこの!乱射愛好家が!莫迦かおまえ、莫迦なんだな!」
「っさいなー過ぎたことネチネチ言ってんじゃねぇよタマついてんのかてめーむしろ爆発しろ丁重にそこだけ爆発しろ!」
悪態を吐きあいながら校舎の角を曲がる。腐敗物たちの唸り声が背後に迫っていた。
しかし。
「っええええ、そいつぁ無ぇんじゃないか」
お約束、行き止まりである。
そもそも自分の通う学校の構造くらいは覚えておきたい所だ。
覚えておきたい所だが、いかんせん二人には余裕がない。
立ち止まって振り返れば、追いつめたことを確信したのか腐敗物たちはゆったりした足取りで近づいてきていた。
腹立たしい、実に腹立たしい。腐敗物たちも、追いつめられた自分たちも。
「…万策尽きたこの感じが一番ムカつく」
「確かに、しかし本当にどうにもならないな」
ここでゲームオーバーだろうか。二人の額を厭な汗が伝った、その時。
「ぃよいしょォ!」
頭上から何とも抜けたかけ声がしたかと思えば、腐敗物達にザバザバと水がかかった。
崩れた肉塊を濡らし、水は地面を伝う。
何事だ、ていうか誰だと不審に思ったヴァルツァが上を向こうとしたが、鼻孔をついた匂いにハッとした。
リッヒテも気付いたらしい、筋肉質な腕がヴァルツァの胴回りを抱えて飛びすさる。
水たまりに火のついたマッチが落ちるのと、ほぼ同時だった。
ごぉぉぉぉっ!
瞬く間の大炎上。火柱の上がる勢いで燃え盛った。
肉の焼ける匂いに顔をしかめながら、二人は立ち上がる。
見上げれば校舎の屋上には、ドラム缶を足蹴にしたロベルトがいた。
[ これが主人公の本気 ]
(あいつ完全においしいとこ取りだな)
(助かったけど釈然としないね)