「「お誕生日おめでとうございます」」

 祝いの日の常套句と共に、頭から色とりどりの紙を振りかけられる。
 言葉の意味を理解するべく一瞬押し黙り、それからアルバートは端正な顔一杯に子供のような笑みを浮かべた。

「Danke!」

 ありがとう、と。
 本当に嬉しそうに笑う選帝候に、騎士団長である二人、ディートリヒとヴィクトールは深々と礼をした。

「というか、もしや忘れていらっしゃったので?」
「あ、ああ…今日はクリスマスイブだとしか」

 またもや子供のような返答に、ヴィクトールがあっはっはと笑った。

「そんなに楽しみだったんですか!そいつぁすみません、クリスマスプレゼントが先の方が良かったですね」
「別にそういう意味じゃないさ、大体クリスマス自体は明日じゃないか」

 髪についた色紙を払い落としながら苦笑するアルバート。ぱらぱらと色紙が床に舞い落ちる。
 しかしふと思案顔になり、細い顎に指をあてがった。

「…ということはクラウゼヴィッツ将軍から贈られてきた包みは誕生日プレゼントなのか…?」
「そうでしょうね。まあ開けない事をお勧めいたしますよ。
 あの何考えてるかわからないイカレポンチのことですから食らいついてくるポインセチアだとかを贈りつけてきた可能性が高い」

 真顔を全く崩さず、ディートリヒが言い放つ。
 酷い言い様だな、とヴィクトールが笑うが、彼も内心そんな所だろうと思っていた。
 アルバートに仕える彼らにとって、アルバートと対立する意見を持つルーデンドルフは敵と見なしている。

 まあそう言うな、と諫めたアルバートその人はそんな事微塵も疑ってはいないだろう。
 立場上会議ではよく対立するアルバートとルーデンドルフだが、アルバート自身はその驚きも通り越し最早呆れもしそうな善意の塊だ。
 そういう人柄に二人も惹かれたのだが、時と場合というものはある。
 本気で信じてるなこの人。溜息を胸中で押し殺しながら二人は一枚のカンヴァスを差し出した。

「公、これを」
「ん?これは…」
「我々からの誕生日祝いでございます」

 そこには、焔槍を手に白馬を駆るアルバート"ライヘンバッハ選帝候"の凛々しい肖像画が描かれていた。
 深い青の瞳が見開かれる。
 そういえばこの二人の専らの嗜みは絵画だった。
 思いがけない贈り物に、心の内がじわりと暖かくなる。

 ありがとう、と。

 再び彼が浮かべた笑みに、二人の騎士団長は笑顔を返す。
 真っ白な雪の舞う日のことだった。


[ 聖人君子の生まれた日 ]


(我々はいついかなる時だって、)
(父と子と精霊よりも貴方を信じておりますよ、公)

















 とある日のライヘンバッハ領主城。
 穏やかな日差しを避けるようにしてヴィクトールは歩いていた。
 陰へ、陰へと逃げるように進む足取り。快活な彼にしては珍しい。
 こそりこそりと時折周囲を見回しては、さっと意味もなく物陰に隠れ、

「そこで何をしているんだ?」

 がっし!とその華奢な肩を色も白い手が掴んだ。
 びっくぅ!とこれでもかと云うほどに揺れる肩。
 効果音がつきそうなゆっくりと、だがぎこちない動きで振り返れば。

「なんだ、俺から逃げきるつもりで居たのか」

 日頃何の感情も出ない顔面一杯に笑みを張り付けたディートリヒが立っていた。
 ざぁっと血の気の引く音を感じながら、しかし最後の抵抗と云わんばかりにヴィクトールは身を捩る。
 無論というか何というか、その抵抗はがっちりと捕らえられた肩によって無駄骨に終わった。

 思えばきっかけは些細なことであった。
 完徹でアルバートへの報告書を上げ、朝一で会議の為帝都へ向かう彼に渡したヴィクトールは限界値を振り切った眠さに耐えきれず盛大にふらついた。
 それがどうなって結末を招いたかおぼろな記憶ではもう手繰る術もないのだが、ふと気づいた時には既に事件は起こっていた。
 つまり、城内でも甘党で有名なディートリヒのクーヘンの山を、ぶちまけてしまったのである。
 気づいた瞬間ヴィクトールは眠気も吹っ飛び、運悪くその場に居合わせたディートリヒに背を向け脱兎の如く逃げ出したのであった。

 馬鹿な、と読者諸君はお思いであろうが、菓子とて口に入るもの、食い物の恨みは馬鹿に出来ないのである。
 しかもディートリヒはその変態的趣向(=人間観察)でヴィクトールの弱点は大方把握済みである。
 脇腹を思い切りつつかれた時の毛虫が背を這うような不快感は彼のトラウマだ。
 思い出すだけで総毛立つ。

 びくびくしながら、ヴィクトールはディートリヒの動きに細心の注意を払った。
 人の動きを読むのは二人とも得意分野だ。
 ただ決定的に違うのは、読んだ動きへの対処。
 人の動きから精神や感情を読みとり弱点を分析するディートリヒとは違い、ヴィクトールの分析は主に己の反射に生かされる。
 身軽な彼は読んだ動きを単純に避ける。相手に致命傷が入らずとも、己が無傷ならば問題はない。
 だからヴィクトールは前線で派手に立ち回り士気を上げ、ディートリヒは血の臭いに紛れ弱点を突き確実に仕留めに行く。

 まあその説明は今は置いておくにしても、とにかくヴィクトールはディートリヒの次の動きを見ようとしていた。
 前みたいに脇腹を掴まれるか、もしかしたら古傷のあるところに打撃が来るかもしれない。
 ぴり、と神経が張る音が聞こえてくるような真剣さで、二人は対峙していたのだ、が。
 先に口を開いたのはディートリヒの方であった。

「俺は別に焼き菓子をぶちまけられた事に怒っている訳ではない」
「えっ?」
「おまえがそれをほったらかしにして逃げたことに対して、だ。食い物を粗末にするなと公もよく仰るだろう」
「あ…」

 そういえば、散らばったクーヘンもそのままに脱兎の如く逃げ出したかもしれない。
 確かにそれは良くないことだ。これで怒られたところでまるで自業自得である。

「…悪かった」
「分かればいい」

 ディートリヒの言葉に安堵するヴィクトール。
 とりあえず脇腹つつきの刑は免れたようだ、しかしそれも束の間。

「だがやはりこれで無かったことにする訳にはいかんな」
「んなっ!」
「当然だ。食い物に対する、そして俺に対する罪悪感はあるだろう?」
「そ、それはそうだが…」

 そこを突かれたら痛い。
 ヴィクトールはうなだれる。
 ディートリヒはふう、とため息を一つついた。

「脇腹、そんなにつつかれたくないのか?」
「当たり前だ…!!お前にあの不快感はわかんねえだろうがよ…」
「ああわからんな。だがそこまで云うなら考えてやらんでもない」
「本当かっ!?」

 ばっ、とヴィクトールの表情が輝く。
 相変わらず笑顔をべったり張り付けたまま、ディートリヒは嗚呼、と頷いた。

「その代わりに、新しく焼きあがるクーヘンを俺と一緒に食え」

 ぴしり、と。
 どことは言わないが、ヒビの入る音がした。

[ 白の騎士団長様の二大弱点 ]


(それは脇腹と)
(甘いもの)













 

 絶対、絶対に仕返ししてやる。それはもう残酷にも程がある感じに。

 先日ディートリヒにクーヘンの山を押しつけられて早数日。
 未だ嘔吐感のこみ上げる口元を押さえ、ヴィクトールは拳を堅く握りそう決心していた。
 思い返せばクーヘンの上に大嫌いな生クリームをこれでもかと云わんばかりにぶっかけられ、
 食べきれば次はやれ蜂蜜だのジャムだの何処から出してきたのかという量の甘味をででんっと机上に並べのべつまくなし塗りたくっては渡してきた。

 この数日を思い返すと、ともすれば排水口とマウストゥーマウスな勢いで吐いてばかりいた気がする。
 5キロほど落ちたであろう体重は元々細身のヴィクトールを屍に限りなく近い様相にしていた。

 いつもは気さくで頼りがいのあるヴィクトールだが、この有様のためか近頃部下達に避けられている。
 まあ確かにぱっと見別人に等しい具合だ。
 近づいて目を凝らせば分かるが出来れば近寄りたくない雰囲気なので、結局騎士団員達は
「あんなゾンビみたいな団員いたか?」
「新入りか?」
「ついにディートリヒ隊長の負のオーラが具現化したのか?」
 などと訳の分からぬ議論をなす羽目となった。

 まあそれはさておくにしても復讐である。
 確かに自分にも落ち度があったがこればかりは許せない。
 何か仕返してやらないことにはここ数日の死に瀕するような苦しみを浄化できまい。
 そんな事を繰り返して人間の過ちの歴史は成り立っているのだが、今はそんな規模の大きな話をするつもりはないので深追いはしないでおく。

 ヴィクトールは顎に指を当てうーんと考えた。
 弱点をつつかれた以上、同じ場所をつつき返してやるのがフェアであろう。
 しかし肝心のディートリヒの弱点を、ヴィクトールは知らなかった。
 思い返せど、彼が何かに怯えたり気味悪がった記憶は出てこない。
 眉尻と目尻の下がった優しげな顔の美人を見かけるとあの無表情が電撃でも受けたような凄まじい顔をするのだが、その手の顔がドストライクなだけでそれは弱点の頭数には入れられない。

 さてどうしたものか。
 談話室で一人ぼんやりと考えているところに「ヴィクトール」と声がかかった。

「アルバート公…」

 声の主はヴィクトールの別人具合に動じることもなくやあ、と気さくに片手をあげた。
 この何事にも動じない所はある種大物と言っても相違ない。

「お戻りになられたのですね」
「ああ、さっきな。ところでヴィクトール、顔色が悪いが大丈夫か?」

 体重の大幅減少に伴う頬の痩けや蒼白な肌色で別人の様になっている彼を見て、「顔色が悪い」で片付けられる人間もそう居はしないだろう。

「は、はは…いやどうと云う事ぁありませんよ。ところで公。」

 ディートリヒの弱点ご存じありませんか。
 等と訊ける筈も無く。
 会議は如何でしたか、とありきたりな問いで間を埋めた。
 ああ。今回も一進一退だと少々渋い顔をしてみせるアルバート。
 まあアルバートら穏健派の対局には、かのクラウゼヴィッツ将軍が居るのだから仕方あるまい。
 アルバートが無能だとは微塵も思わないが、将軍は皇帝陛下に準ずる程には頭の切れる人間だ。
 言いくるめられなかっただけでも善戦である。

 お疲れ様ですと呟けば、彼は眉尻を下げて笑った。
 ああ、そう云えばこんな時なのだ。
 公は多忙を極めていらっしゃるし、穏健派と過激派の争いも静かにではあるが加速している。
 そんな時に自分は何をしようとしていた?
 子供じゃあるまいし、やられたらやり返すなど幼稚ではないか。
 自分がさっきアルバートにディートリヒの弱点を訊けなかったのは、アルバートに訳を話せば彼は呆れるだろうと思ったからだ。悲しむだろうと思ったからだ。
 駄目ではないか、そんなことでは。
 そんなことでこのライヘンバッハ公国の白の騎士団長が務まるのか。
 
「…申し訳ありません公。俺が間違ってました」
「?」

 頭の上に疑問符をぽわんと浮かべたアルバートに、気にしないで下さいと爽やかに笑顔を投げかける。
 それからヴィクトールは、お先に失礼しますと談話室を出た。

 ディートリヒに会おう。
 顔を見て許す事が出来たのなら、自分を白の騎士団長に見合う人間だと認める事が出来る。
 ささいな事で学び舎から今に至るまで長年背を預け合った相手を貶めようなどと二度と考えるものか。
 固く誓い、普段ディートリヒがよくクーヘンやキッシュを貪っている部屋に勢いよく飛び込んだ。

「ディートリヒ!」

 そこには案の定眼鏡をかけた彼の姿、と。

「ヴィ、ヴィクトー…ル…」

 床に散らばった鉢と、
 
「あ、これは、だな…」
 
 無惨に倒れ伏す蔓薔薇だった。

 ヴィクトールの瞳孔が目一杯開く。目の前の惨状を理解できていないようだった。
 一方珍しくやや慌てた様子のディートリヒは弁解の言葉を並べた。

「す、すまないヴィクトール…肘が当たってしまってだな、その…戻そうと思、」
 
 しかし云いかけてその言葉が、止まる。眼鏡の奥で漆黒の瞳が震えた。
 彼の視線の先を、何故だかどこか冷静に、ヴィクトールは追った。
 小さな、虫。
 節足と云うのか、幾多の足がさんざめくその虫は恐らく蔓薔薇に潜んでいたのだろう。
 その姿にディートリヒの白い喉仏がゆっくり上下した。それが何を示すのか位、ヴィクトールもわからない訳ではない。
 先程までの決意が塵以下に砕け散る。自分でも口角が歪に吊り上がるのがわかった。
 死人の様に青白い今の顔に、この笑みはどう貼り付くのかは容易に想像がつく。

「…ディートリヒ」

 思ったより低い声が出た。
 びくりとディートリヒが肩を揺らす、しかし視線は虫から離さなかった。
 
「…へぇ」

 そういう態度をとるのかと、ヴィクトールはその小さな命をひょいと拾い上げた。

「虫一つ触れないたぁ農家の次男坊が聞いて呆れるぜ。一寸の虫にも五分の魂、そんな邪険に扱っちゃあ可哀想だろうが、なあ」

 ずい、とディートリヒの鼻先に摘んだそれを突きつければ、ひくりと声無き悲鳴が短く上がった。
 本気で嫌い、というか怖いらしい。何か過去に心的外傷でも刻まれたのだろうか。
 しかしそんな事はヴィクトールの預かり知る所では無かった。

「あの鉢植えは公が好きだと申された蔓薔薇を増やそうと大事に育てていたんだ…思うにお前はもう少し命の大切さを知るべきだよな。不注意で命を奪うなんて言語道断だ、そう思うだろ」

 同意を求めるように云うくせに、その言葉には見えない絶対権力を感じる。
 虫が眼球に入りそうな程近づいていてぶっ倒れそうなディートリヒはもう返答を返すことすら出来なかった。
 薄い唇が、口角を裂く様に笑う。
 点けてはいけない火を点けてしまったことにディートリヒはようやく気づいた。



[黒の騎士団長様の絶対的窮地]



(運悪く露呈した弱点が)
(自分を殺しにかかってる気がした)













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