ペットボトルがすきじゃない。蓋を開けるのが難しいから。ぱきんと音がして蓋が緩まったときの、どっと疲れが押し寄せてくる感じもすきじゃない。チルドカップの温かい飲み物を口につけながら、こうして歩きながら飲むこともあんまりすきじゃないなと思う。座って、お茶菓子と一緒に飲むお茶がすき。そうして時を過ごしてくれる、あのひとのことがすきだからなのかもしれない。

「ゆめのさん、こんにちは」

 予定よりもぐっと柔らかい声が出て自分でも驚く。ノックをしようかどうか迷って、今日来ることは伝えてあるからと大人しく玄関の前で待っていた。物音がしない。眠っているのだろうか。眠りを妨げるのはよくない。きっと疲れているのだろう。邪魔をしないほうがよいかもしれない。

「おや、はやかったですね」
「っ、ひ…!」
「ああ、これはこれは背後から失礼。少し外にでていました」

 流れるように私の横を通り抜け、鍵を開け、あっという間に家の中に招き入れられる。誘われるがまま足を踏み入れてしまうのは魔法にかかっているとしか言いようがないほど自然な行為で、その度に少しだけこのひとのことを恐ろしく思う。

「おじゃまします」
「邪魔をする気で来たのならお帰りなさい」
「……し、つれいします」
「はあ。失礼なことをするつもりですか?」
「い、いえ、あの」
「おかえりなさい。といえばわかるんでしょうか」

 荷物を置いて振り返り、ゆめのさんの口角がふんわりと上がる。口から出る言葉は呆れを含んでいたはずなのに、ゆめのさん自身はどこにも呆れを持っていなくて、心臓がきゅっといたくなる。

「ただい、ま、です」
「ええ。おかえりなさい」
「ゆめのさんも、おかえりなさい、」
「……言いますねえ。ふふふ。ただいま」

 目尻がゆっくりと下がっていく。やさしいお顔のゆめのさんに対して、きっと私はいま、ぐちゃぐちゃの顔をしている。顔を覆ってしまいたいけれど、ゆめのさんが見えなくなるのは、いやだ。

「お茶の葉を新調してきたんです。春ですから、それなりのを」
「わあ。たのしみですね」
「ええ」
「今日はこんぺいとうを持ってきました、あとさくらもちを」
「いいですねえ」

 頬の熱が冷めるようにいつもより深く息を吸って話す。手を洗って、うがいをして、それからふたりで向かい合って座る。お湯が沸くまでの数分間。鳥の鳴き声だけが聞こえる部屋で、ゆめのさんといっしょに生きている。
 彼の口から吐き出される言葉のすべてをうつくしいと思うのは、きっと、彼がほんとうにうつくしいからで。そんな彼の住む家に、ただいまと言って帰る権利をもっていることが、ひどく幸福で。

「春ですね」

 その言葉ひとつで部屋中に桜が咲き乱れるように思えてしまうのだから、この気持ちはもう、ほんとうに、どうしようもない。

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