俺の彼女はよく眠る。俗に言うロングスリーパーというものなのか、ただ単に燃費が悪いのかはわからないが、襲ってくる眠気に耐え切れずそのつもりはなかったのに眠ってしまった場面をよく見かける。今だって、そうだ。

 夏のオオサカは暑い。風呂の湯とそう変わらない温度に加えて攻撃的な日差しを向けてくる。元々雪国育ちの彼女はエアコンをつける習慣がなく、万が一の身の危険を案じてスマートフォンからでも気温管理ができるお高いエアコンを我が家に導入したのは記憶に新しい出来事だった。季節を問わず必ず何かにくるまって眠る彼女はじっとりと汗をかいている。手元に充電器がささっていないスマートフォンが転がっているのを見るに、今日も眠る気はなかったのだろう。

 一度眠ると大きな音を立てても中々起きないのはおたがいさまのことだった。そっとブランケットを奪い取りハンカチで汗を拭いてやる。薄いピンク色の唇から言葉にならない声が漏れて身じろいでいて、起こさないように小さく笑った。彼女が好きなカップのアイスクリームを冷凍庫にしまい込み、キッチンに立って鍋の中を覗けば切った野菜が水に浸っている。明日はカレーにしよう、と昨夜笑っていたのを思い出して引き出しから薄力粉を取り出した。カレーは俺が好き。シチューはあいつが好き。相手の喜ぶ顔が見たいのは俺とて同じなのだと。
 暑い日にはそぐわないようなものでも、おいしいおいしいと幼子のように食べる姿が目に浮かぶ。喜怒哀楽の移り変わりが激しい彼女は、年下だというのもあるが、それを除いても特段子供っぽく、手がかかる。本人はそれを気にしているらしいが、俺にとっては嬉しいことであると何度言ってもわかりやしない。世話を焼くのは元々嫌いじゃない。それじゃなくても、彼女を甘やかしてやりたいと思うのは自然なことだろう。惚れたほうが負け、という言葉は、本当によくできている。

「まだ起きへんの」

 作り終わったシチューの火を止めてソファに転がる彼女に声をかけるも返事はない。まるで俺が座ることをわかっているかのように少し空いたスペースに腰掛けて彼女の黒い髪を指でつまんで遊んだ。あーあ、化粧したまま寝とって。起きた時に肌年齢が…! と訳のわからんこと言って泣きそうになるのは自分なのに、全く学習せぇへんやつやな。机の下の小さな引き出しからメイク落としシートを取り出し、一枚引っ張って彼女の白い肌に滑らせていく。終わった後に化粧水のスプレーをかけるのも忘れずに。今日の目元はうっすらオレンジ色。どついたれ本舗カラーだから買っちゃった、と言って帰ってきた日が懐かしい。女の化粧のことを少しでも理解する日が来るなんて、彼女と出会う前の自分では考えもつかないことだろう。好きなブランドの新色が出るたびに嬉しそうに携帯電話のディスプレイ画面を見せてきてはああだこうだ言う楽しそうな表情も見慣れてしまうくらい、俺と彼女はこの部屋で一緒に時を過ごしていた。

「ん…、」
「お、起きるか?」
「ろしょ、くん…?」

 うっすらと開いたラメを失った瞼には愛しさが詰まっている。俺の姿を捉えて、不思議そうな表情を浮かべ、それから伸びてくる弱々しい指先。応えるように絡めてやれば、ふにゃふにゃと笑って、もう一度「ろしょくん」と、砂糖を瓶詰にしたかのような甘い声色。

「おはようさん」
「ん、おは、よ」
「よう寝とったな」
「うそ、なんじ」

 腕時計を見せてやれば虚ろだった目がぱっと大きく開く。あわあわと脳内に浮かんだ言葉を口に出してはどれも言語にならず消えていく姿を見つめて、声を上げて笑った。

「飯つくっといたからもうちょっとしたら食おか」
「わ、ごめんね、わたしまた寝てて…」
「ええよ。やけど冷房入れてから寝ぇって言うとるやろ」
「う、だって、寝るつもりなくって」
「お返事は?」
「はい…」

 よろしい。とだけ返して怒っていないよの気持ちを込めて握りこんだままの指に力を入れた。申し訳なさそうに視線を泳がせてから、すぐに花が咲くように笑ってありがとう、という彼女のこういうところが好意的だと思いながら二人で立ち上がる。キッチンまで手を繋いで歩き、鍋の中身が茶色ではなく白いことを教えてやれば手を挙げて喜ぶ彼女に、また笑ってしまった。

「あ、かおあら、う…?」
「どしたん」
「……あれ、化粧落としたっけ、」
「はは。落としてから寝たんとちゃうん? お利口さんやん」

 そうだったっけ、と悩む彼女にもう一押し肯定の言葉をかけてやれば簡単に信じ込む。決して人のことは言えないが、自分以外の人間の前ではもう少し警戒心を持っていてほしい。

「おせんたくたたむ!」
「おん、ありがとう」

 ゴミ箱の中にあるメイク落としシートに気づかれないように上からティッシュを数枚落とした。魔法がべろりと一枚にこびりついた厚手のシート。彼女以外には俺だけが、彼女にかかった魔法を解けるのだという事実と、征服欲、どろり。

「ろしょくん来週ぴっとしたスーツ着る〜?」
「木曜に会議あるねん」
「じゃあ明日クリーニング出しておくね!」
「ありがとう」

 魔法が解けた後の彼女の笑顔だって、眩しくて仕方がない。これもきっと、俺だけの特権だろう。

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