花なんて、別に好きじゃなかった。道端に咲いた花だって、視界一面を埋め尽くす花畑だって、花屋で綺麗に並んでいる花だって、オネーサンが時々くれる花束だって、全部だ。俗に言う綺麗を形容したものであることは理解できるが、特段それを好きだと思ったことはなく、好んで傍に置こうと思ったこともない。
それでも、ボクの事務所にも、家にも、いつも花が生けてある。それだけではなく、あろうことか今日の花はなんだろうかと考えてしまう自分がいるのだから侵食とは恐ろしいものだ。

「おはよ、らむだくん。おじゃまします」
「おかえり」

視線を泳がせて少し迷ってから「ただいま」と言ったのはここ一年ほど自分の身の回りの世話をしている女だった。関係性にしっくりくる名前がなく、しばしば事務所に連れ込んだオネーサンに彼女のことを追及されるがそれに明らかな解答をしたことはない。

花瓶の水を入れ替えて、新しい花瓶に持ってきた花を刺している。日当たりの良い窓辺に置いてこちらへ振り返り、ふわりと柔らかく笑う表情には陽が差していて、綺麗だなと思う。
花の香りや雰囲気を纏った彼女のことは、好きだった。

「鉢植え買ってもいい?」
「え〜!珍しいね、何か欲しいって言ってるの!いいよ、買ってあげる〜!」
「欲しいじゃなくて、買いたいだよ。自分で買うよ?」
「どーせボクの傍に置くんでしょ? じゃあボクが買った方がよくない?」
「そ、そうかな…?」

ウンウン、そうだよ!と困惑する彼女を押し切った。流れる時を過ごして一年、彼女とボクの間には今時小学生でももっと進んでいるであろうスキンシップしか行われていない。食事を共にすることはあれど、寝床を共にすることはない。キスは疎か、手を繋いだことだって一度もない。彼女にオネーサン達に抱くような欲を見出したことがないと言えば確実に嘘になる。けれど、彼女は既に自分の所有物であった。手に入っているから、追い求める理由がないのだ。足踏みをしていると言うよりは、ゆったりとした流れの池の中に二人で浮いているような、そんな感覚。行先もなければ、水流が勢いを増すこともない。そんな関係だ。

「今から買いに行こーよ!」
「えっ、うん、らむだくん、お仕事は」
「納期まだ先だしダイジョブ!」

奥の部屋にある彼女専用のクローゼットから好みの服を見立てて彼女に渡し、自分も身支度を整える。着替え終わった彼女がひょっこりと顔を覗かせ、いつまで経っても不安げに、いつも通り「似合ってる…?」と聞くものだから、ボクは決まって笑いながら「当たり前じゃん!」と返事する。

「ホームセンターとかに売ってるのかな」
「エ? お花屋サンに決まってんじゃん!」
「あ、わ、たしかに…!お花屋さんって、プレゼントのイメージがつよくて、」
「アハハ!変なの〜っ」

肩を並べて、歩幅を合わせて、ボクより少し低い彼女と歩くなんてことのない道すがら。どんなオネーサンに呼ばれるより、触れられるより、彼女との曖昧な関係が落ち着く。

「乱数く〜んっ!久しぶり!」
「わぁ!オネーサン!久しぶりだね〜っ」
「この間はありがとう、とっっても良かったわ!まだ遊んでね」
「ウン!モチロン!ボク、用事があるからバイバーイ!」
「あーん、つれないのね!またね!」

シブヤの街は騒がしい。人通りの多い場所を歩けばたちまち声をかけられる。普段であればどうとも思わないが、彼女が隣にいる時ばかりは別である。ボクの思いを他所に彼女はとりわけ気にした様子はない。いつもこうだ。

「ねっ、あのさ」
「うん?」
「イヤじゃないの? ボクとオネーサンがお話したり、一緒にいるの」
「イヤ? どうして?」

どうしてって、と言葉に詰まったボクを見て彼女は首を傾げた。どうしてもこうしてもないので、返す言葉がない。

「うーん、イヤだなって思うとき、時々あるよ」
「え」
「でも、らむだくんはどこにも行かないから。私もらむだくんから離れるつもりはないし」

お花屋さんどっちだっけ と、彼女の言葉が続く。ボクはと言うと、ぴたりと足を止めて動けなくなってしまった。

「らむだくん?」
「ねえ、手、繋ごうよ」
「え」

彼女の目が見開かれ、ぽかんと口が空いている。何かを言われる前にするりと彼女の指に自分の指を滑らせた。あたたかい。

「なんにもなれなくてもさ、傍にいてよね」

ボク達の関係性のことなのか、ボクの結末のことなのか、口に出した自分でも何を指しているかわからなかった。

「うん。約束するね」

それでも彼女が笑ってそう言うから、なんでもなくたっても良いのだと思う。彼女と初めて手を繋いで入店した花屋で見た色とりどりの花を存外悪くないと思う辺り、すっかり侵食してしまったな、などと。

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