雷でも鳴りだしそうな曇天に気づいてキーボードを走る手が止まった。伸びをすればバキバキと背中から嫌な音がする。オフィス内は静寂に包まれていて、時折コピー機の音がするだけだ。皆集中してるなあ、と珈琲を啜った。さああと半分、とモニターに視線を戻すもこれが中々進まない。

「…洗濯物干したまま来たんですか?」
「えっ!?」
「いや、外ばかり見てるんで」

向かいの席に座る後輩にそう言われてしまい慌てて言葉を探すも上手く見つからない。部屋干し派なのでその心配は全くないのだが、だからといってそれを素直に伝えてしまっては じゃあなんで? と返ってくるのが落ちだろう。あわあわと一人でパニックになる私を見た後輩の言葉は、予想外すぎるもので。

「部長、先輩が洗濯物干しっぱなしで家出てきたらしいっす。取り込みに行かせてあげたらどうっすか」
「えっ」
「む、まだ降り出してないな。ついでに外回りも行ってきてくれ、終わったら直帰でいいぞ」

良かったですね、と後輩に言われて慌ててお礼を言った。今度ランチを奢ろうと決めてオフィスを飛び出す。緩い部署で良かった、と息を吐きつつ早歩きのまま携帯電話を取りだした。出るとは思えないけど、と思いながら着信をかけるも、予想通り電源が入っていないか電波の届かない所にいるとの自動音声。また充電切らして、これじゃあ意味ないじゃない。でも結局、しょうがないなあで許してしまうんだろうな。

「わ、降ってる」

電車を降りればシブヤは既に雨が降っていた。折りたたみ傘を差して公園を目指す。屋根のある賭場にいれば良いけれど、と思った矢先に強い力で襟元を後ろから引かれた。勢いで傘が手から滑り落ちていく。

「うおっ、危ねぇな、ちゃんと持ってろよ」
「帝統!」
「おう。なんだ?」

なんだじゃないよ。だとか、探したんだよ。だとか、言いたいことは沢山あるはずなのに彼の上機嫌そうな表情を見て、それの全てが意味を失ってしまったかのように言葉にならない。私が落としかけた折りたたみ傘を当たり前のように持ち、私ばかりを中に入れる。濡れちゃうよ、と言おうとしたものの既に彼の上着は色を変えきっていた。この時には既に、外回りのことはどうでもよくなってしまっていた。


「つーかお前カイシャはどうしたんだよ。フケたのか?」
「ふけ…うーん……そうかもしれない」
「おっ、珍しいな。偶にはいいじゃねえか。帰ろうぜ」

帝統のことが気になって仕事が手につかなくなったんだよ、なんて口が裂けても言えそうにない。帝統が向かう先は真っ直ぐ私の家の方向で、帰ろうという言葉を使ったことに嬉しくなってしまう。帝統は時々しか私の家に来ないから、帰る、なんて言葉は似合わないのだ。

「帝統、ご機嫌だね」
「ん、んー? そうか?」
「うん。勝ったの?」
「最近はまぁボチボチだな」

水溜まりを見つけてはわざと足を突っ込みに行く帝統を小さな子供みたいだと思う。長い髪から雨が滴るのを見て、慌てて距離を詰めた。ぴったり隣にくっつけば、帝統の脚が止まる。

「なんか嫌なことでもあったのか?」
「え? ううん。帝統が濡れちゃうから」
「もうびっしょびしょだっつーの。つうか心配して損したわ」
「なんの心配?」
「真面目ちゃんのお前が仕事フケるなんて有り得ねえからよ」

帝統が蹴っ飛ばした小石の行く先を二人で見つめて、それが止まってから同時に歩き出した。覗き込むように彼の顔を見れば、なんだよ、と顔を逸らされる。それでも離れない距離と、私を中心に差されている傘にどうしようもなく彼を愛しいと感じる。好きだと言えない自分にとっては酷く重たい感情だ。

「ま、なんもねえなら良かったわ。駅でお前見た時びびったんだよ、そんなはずねぇ、て思ってよ」
「不審者にならなくてよかったね」
「ま、俺がお前のこと間違える訳ねえんだけどな!」

それってどういう意味? と聞けないのがきっと私のダメなところ。乾いた笑いでその場を誤魔化しながらあと少しの歩を進めていく。きっと、なんの意味もないんだろうな。それでも舞い上がってしまうことをどうか許してほしい。うんと人通りの多いシブヤの駅で、好きな人に見つけてもらうことの幸福さに浸らせてほしい。

「帝統、なんで駅にいたの?」
「エッ」
「珍しいね、電車乗るの見たことないかも」
「いやっ…あっ、そ、そうだな」
「…?」

考えてみれば、帝統と駅という場所はあまり結びつかない。電車賃にするお金があるならば賭け事に使ってしまうような彼だ。シブヤ以外に用事があったのだろうか。

「だーっ!!なんで気づくんだよ!」
「えっ、どうしたの」
「雨!降ってきたからよぉ、お前に会えるんじゃねえかって思って」
「は、は?」
「…雨の日いつも心配の連絡寄越すだろ」

あーっ、と大きな声を上げながらがしがしと頭を掻いている帝統の言葉を上手く飲み込めない。確かに雨の日はいつも連絡をしていたし、その度に泊まりに来たり来なかったりしていたけれど、いやでも、それって、つまり。

「…あいたいと思ってくれたの?」
「んだよ悪いか!? っああもうさっさと帰んぞ!」

小降りになってきたからか、折りたたみ傘を乱雑に閉じて私の鞄に突っ込み、手を取り走り出す。待って、とまたしても声にならずに消えていく言葉を掬うように目の前を駆ける帝統が「待たねえよ!」と大きな声を出した。

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