「ご馳走様でした」
「はーい、今日も完食ありがとう!」

慣れた手付きで食器を下げる彼女の背を見送り、布巾でテーブルを拭いてから自分も台所へと向かう。既にシンクの中で泡とじゃれている彼女の腰元にぐるりと腕を回し旋毛に自分の顔面を押し付けた。あー、ええ匂い、する。

「ふふ、甘えんぼ?」
「…ん」
「好きなだけぎゅってしてね、ろしょくんあったかいから。…あ、そうだ。今日の味付けいつもと変えてみたんだけどどうだった?」
「何食ってもうまい」
「ほんとうに?」
「………前のが好き、やった」
「あはは。そうだと思った!次からはそっちにするね」
「いや、ええねん。なに食ってもうまいのはほんまやから」

一番美味しいのを食べてほしいんだよ、と柔らかな声が続いて返す言葉を失い押し黙る。何を食べても美味いと思っているのが嘘ではないと知っていて、彼女自身ではなく自分への感情を優先してくれる食卓にはびこるうつくしい味の行方。彼女だって仕事から帰って疲れているのに、毎日嫌な顔ひとつせず、どころか まるで幸せだと言わんばかりの笑顔で作り出される料理と空間。恥ずかしい話、それに甘えきってしまう自分がいる。

「ろしょくん、流すよー」
「任しとき」

皿を洗い流すのは彼女がやると言って聞かないので彼女の役目。それを拭くのは自分の役割だ。お湯で洗い流されて綺麗になった食器達を彼女から受け取り水気を拭き取っていく。会話はあったり、なかったりまちまちだが、ほとんど毎日欠かすことなく行われるこの行為は存外自分にとって大切な時間だった。自分より頭一つ分は低い彼女の隣、生活を体現するかのような行為が、ひどく、落ち着くのだ。

「きゅっきゅっきゅ〜今日もき〜れい〜」
「ふは、なんやねんその歌」
「今日もきれいに洗ってくれてありがとう!って言ってるお皿さんの気持ちを歌にしてみました!」
「どや顔やめい!お皿さんもびっくりやわ。最初から汚すなボケ言うとるかもしれんぞ」
「なに!お皿さんの反抗期だ!」
「反抗期て…。ほな俺がきれいに拭いて心もぴかぴかにしてやらなあかんな」

突然始まった彼女の茶番に付き合えば、屈託のない笑顔を浮かべた彼女と視線が交わる。毎日やっても決して飽きることないのは、他でもない彼女と一緒に行うからだろう。元より洗い物を溜め込むタイプではないが、彼女と暮らしてからは一層家事に楽しさを見い出す様になった。何をとっても楽しそうにやってのける彼女のおかげだ。

「はい!今日のお皿洗い終わり〜!」
「ん、おつかれさん。ありがとうな」
「ろしょくんも、ありがとうな〜!」

関西特有の訛りを真似し、背伸びをして自分の頭を撫でたなまえの頬を両手で挟んでやれば、きゃっきゃと赤ん坊のように笑う。そっと彼女の両手が自分の両手を包んだ。キスしてやろうか、と思ったところで手の甲の違和感に気づき彼女の手を柔らかく振りほどいた。

「ろしょくん?」
「…ハンドクリーム塗り。今持って来たるわ」

冬だからだろうか。声を扱うバトルに出ることもあるため室内の乾燥には気を付けていたが、彼女の手指は痛々しい見た目をしていた。細かく走る赤に今まで気が付かなかった愚かな自分を呪いたくなる。頑張っている人の手だ、と言えば聞こえが良いが、ガラス玉のようにうつくしく、りんご飴のようにきらきらしている彼女には似合わないと、そう、思う。

「塗ってくれるの? わーい」
「しゃあないなぁ」

全然、全く、ひとつも仕方なくなんてないが、彼女がこう言われることを好きだと知っていたために口から零せば、ありったけの大好きが注がれた視線が返ってくる。ハンドクリームを二人分。彼女の手の平に出して塗り込んでいく。

「なまえの手、ちっさいな」
「ろしょくんの手がおっきいんだよ」
「そうかあ?」
「そうだよ!」

指の先から、手首まで。少しの隙間もないように念入りに彼女の手を辿る。染みて痛いかもしれない、と心配したが彼女の表情が穏やかであったため、杞憂だったらしい。時折くすぐったそうに笑い、それから自分の指をつまんで悪戯をしかけられる。大人しくし、と言えば、はぁい、と子供のような返事。

「食洗器、買おか?」
「え、なんで?」
「なんでて…。冬は洗い物しんどいやろ」
「やだ。絶対いらない」

ぷい、と効果音がつきそうな勢いで首ごと視線を逸らされてしまい困惑する。絶対、という強い言葉を彼女が使うのは珍しく、何がそう言わせるのかわからなかった。

「ろしょくん、洗い物きらい?」
「嫌いやないけど…」
「わたしはね、すき。ろしょくんとする洗い物、すき。わたしが洗って、ろしょくんが拭いてくれるのが、だいすき。だから食洗器は絶対いらない」

言い切って、照れたようにはにかんだ彼女は、してやったり、という表情を含んでいて。今すぐ抱きしめたいところだったが、互いの手がハンドクリームでべたべたであることを懸念して思いとどまる。

「ん、これでええやろ」
「ありがとー!すべすべ!」
「明日もちゃんと塗らなあかんからな」
「えー」「えーやない」
「…ろしょくん明日も塗ってくれる?」
は。なんやそれ。可愛すぎるのもええ加減にせえよ。
「…毎日でも塗ったるわ」

やったあ!と声を上げてぎゅう、と抱き着いてきた彼女を受け止めて、先を越された、と思う。まだ少しだけハンドクリームでべたついた手を衣服に触れないようにしながら彼女を抱きしめる。数秒の沈黙の後、どちらかともなく声を上げて笑った。この笑いの種はふたりだけが知っている。

「ね、ろしょくん」
「ええよ。大好きやから」
「!」

彼女がわざわざ声に出さずともわかってしまう願いの答えを吐き出せば、抱きしめられる力がいっとう強くなる。それからまるで、世界で一番幸せだと言わんばかりの笑顔で、同じ言葉を繰り返すのだ。


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