何度かけても一向に取られることのない着信。既読のつくことのないトークアプリ。戸締りはしっかりね、といつも言うのに開いている鍵、いつもは綺麗に揃えて隅に寄せてあるはずなのにバラバラに玄関で遊んでいる靴。夜だというのに電機のひとつもついていない家内、床に散らばった衣服。焦った自分の騒がしい足音と、息を吸う音。けたたたましい音を立てて開いたドアの向こうに、膝を抱えて肩を震わせる恋人がいた。

「おい!なまえ、大丈夫か」
「っ…、ろ…しょ、くん…」
「おん。俺や。ここにおる」

ガタガタと震える体を抱き寄せて自分の温度を分け与える。うん、うん、と心地良くなるであろうタイミングで彼女の泣き声に返事をしていく。心臓から、指の先まで冷え切った体に表情が歪む。見せられないな、と抱きしめる力を強めた。憤る気持ちを勘づかれないように抑え込み、できるだけ優しく彼女の頭を撫でる。乱れた呼吸を整えさせるように、すぐ傍で一緒に呼吸をした。少しずつ落ち着いていく震えと、少しずつ自分と同じになっていく体温にほっと息を吐く。ようやく彼女が自分から俺を抱きしめられる程の余裕が生まれ、弱々しい、触れれば折れてしまいそうな力で抱きしめ返される。それに耳元で小さく礼を言い、一定のリズムで背中を叩く。消え入りそうな音が「ろしょうくん、」と俺の名を奏でる。何度も、何度も、呼ばれる。それに何度も、何度も、返事をした。

「ん…。落ち着いたか?」
「うん…ごめんね、お仕事で疲れてるのに…」
「アホ。そんなんどうでもええわ。呼んでくれて嬉しい」

数十分前に「助けて」とだけ送られてきたメッセージのことを言えば、彼女は力なく首を横に振った。初めてこうなったのを見た時は、教えてくれもしなかったものだからそれは大層驚いた。血相を抱えてどうしたんだと質問攻めをしてしまったことは未だに後悔している程だ。それ程頻繁ではないが、二ヶ月に一度くらいのペースで彼女は酷く孤独に怯えてしまう。怖い夢を見たと泣く子供の様に、大切にしていたものを毟り取られてしまった大人の様に。世界でたったひとり、取り残されてしまった感覚に陥るのだと言う。

「あーほら、目ぇ擦るな言うたんに。腫れるやろ。可愛い顔が台無しになんで」
「かわいくな」「返事は?」

はぁい…と拗ねた返事に喉で笑う。手を繋ぎ、立ち上がり、ソファに座らせ「ちょっと待っててな」と彼女の額に唇をつけた。電気ケトルに水を入れてスイッチを押し、タオルを冷水で濡らして彼女へ向かって放り投げる。わたわたと危なっかしい様子でそれをキャッチした彼女は、ふんわり笑って「ありがとう」と言う。ん、と小さく返事をして揃いのマグカップにインスタントココアの粉を入れ、丁度沸騰したお湯を注ぐ。くるくると数度スプーンで掻き混ぜて、自分の方にそれを差したまま彼女の元へと戻った。机にそっと並べて置き、隣へと沈み込む。数秒もせずに絡まる腕に笑ってやれば、彼女も同じような表情で笑っていた。

「盧笙くん」
「なん」
「ろしょーくん」
「なーん」
「ろしょ〜くん、」
「なんやねん」

彼女の髪を指で梳き、笑いながら返事をすれば安心しきった表情が見えて、それにこちらも安心する。徐に彼女が俺の指を取り、ゆっくりと絡まる。す、と彼女が小さく、小さく息を吸い、あかくてきれいな小さい舌で、薬指を、ぺろり。彼女の体温で濡れた個所が、少しスースーする。ワイシャツの胸ポケットに大事に入れてある指輪を取り出して、先程舐められた自分の右手薬指にはめた。抱きしめるような体制で彼女の首に手を回し、ネックレスをとってやる。チェーンからするすると抜けた同じ形のリングを、そっと自分と同じ場所にはめる。大っぴらにアクセサリーをできない俺と彼女の、他人にはわかるはずもない秘密。遮蔽された空間で、銀の煌めきだけが俺達を認識している。

「…ね、」
「言わんでもええよ。どこにも行かへんし。お前のこともどこにもやらん」
「………うん」
「ハハッ、やから、言わんでもええって。わかっとるから。な? ――好きだよ、俺も」

ぷっくりと膨らんだピンク色の唇に、噛みつくようなキスを落とす。絡んだなまえの華奢な指が、環状の金属をなぞる。小さく息と声を漏らしながら、もっと、と言わんばかりに。

「盧笙くん」
「…うん、なまえ、」
「どこにも行かないで」
「約束な」

離れて、くっついて、また離れて、再度距離をゼロにする。ふたりきりの秘密が、ふたりだけを満たしている。猫舌の彼女に待たされているすっかり温くなってしまったココアが、まだかまだかとこちらを見つめていた。

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