血のにおいがした。不機嫌そうに寄せられた眉間の皺を人差し指でとんとん、と二回つつく。左馬刻の表情は変わらないままだった。

「派手にやったね、怪我してない?」
「するわけねぇだろあんな雑魚共に」

舌打ちをして、私から離れて、煙草を吸う動作を見つめる。左馬刻の怪我にかすり傷が含まれないのはもう随分前から知っていることだった。彼の体にまとわりつく血が全て彼のものではなかったとしても、血の量からして相手にしたのはひとりではない。どこかに怪我があるかもしれないな、と救急箱を取りに行く。
あーあ、折角綺麗に洗濯したのにな。手洗いで血を落とすの、結構大変なんだよ? それを言えば、買えばいいだろとか言うんだろうなあ。

左馬刻は俗に言うヤクザだった。
恋人の私ですら詳しい事情や仕事内容は知らない。私が左馬刻を好きである理由に、関係の無いことだからだ。対する私はしがない会社員であり、就業規則的に言えば暴力団や危ないことをする機関と関わってはいけないことになっている。そんなものバレなきゃ良い話であるので無視をし続けているが、この先彼の隣にずっと立っていたいと思うのなら話は別だろう。私は左馬刻のことが好きだ。生涯寄り添って生きていきたいと思う。けれど左馬刻は、わからない。元々好きだとか可愛いだとか、そう言ったことを口に出すタイプではない。私が左馬刻のことを好いていることは彼にとって至極当然のことなのだ。かくいう私もそれに異論はない。

「左馬刻、服脱いでカゴいれて」
「ん。…ア?てめ、怪我してねぇっつったろ」
「わかんないでしょ。何が大事になるかわかんないんだよ、ほら、見せて」

私が折れない事がわかったのか、渋々シャツを脱いで大人しくしてくれた。煙草の火、危ないから消して欲しいなあ。と口には出さずに用意していた蒸しタオルで彼の体を軽く拭く。左馬刻の言う通り。どこにも傷はなさそうだった。

「ん、大丈夫だった」
「そう言っただろうが」
「うん、ごめんね。心配したくなっちゃうの。許してね」
「別に怒ってねぇ」

うん、と返事をして慣れた手つきで新しいシャツを渡し救急箱を元の位置に戻す。煙草を吸い終わった左馬刻がシャツに袖を通すのを確認してから血に濡れたシャツをお湯につけた。お風呂入る時に一緒に洗おう。

「おい、」
「んー?」
「明日仕事か?」
「うん。月曜日だもん」

何を当たり前のことを聞いてるんだ、と思いつつ左馬刻の隣に座る。ソファにどっかりと座って乱雑に頭を撫でられる。左馬刻は明日なんにもないのかな。ヤクザには定休日がない。おやすみという概念もあんまりない。詳しくはよくわからないけれど。

「なぁ、明日行かなくてもいいだろ」
「何言ってるの? だめだよ、仕事なんだから」
「…そうかよ」
「そうだよ。左馬刻、行ってほしくないの?」
「うぜぇ、調子乗んな」
「はぁい」

左馬刻は私に冷たい。これも今に始まったことではないのでもうなんとも思わないが、冷たいなあと事実を飲み込むことが多々ある。彼の舎弟やお仲間達は私のことを彼の恋人として扱ってくれるが、実際のところどうなんだろうと思い始めている。好きだと言われたのはたった一度だけだ。二ヶ月ぶりに会っても、私が何度言っても、情事の最中ですら言われない。それでもこうして側にいることを許されているのだから、少なくとも悪意は持たれていない。

「何考えてんだ」
「え? 左馬刻のこと好きだなーって」
「…知ってるっつの」
「いつでも思ってるよ」
「へーへー。あんがとさん」

ぺちぺち。頬を優しく叩かれる。真っ赤な目が私を捉えて離さない。距離を一気に詰められ、あっという間に左馬刻しか見えなくなる。するならお風呂入ってからにしようよ、と言おうとしたところで彼が口を開いた。

「仕事辞めろ」
「えっ?」
「んで、俺と結婚しろ」
「………えっ?」

え、いま、左馬刻なんて言った?
よくわからずにぱちぱちと瞬きをする。左馬刻の表情は真剣そのものだった。数秒も経たないうちに痺れを切らしたのか、舌打ちをして立ち上がりどこかへ行ってしまう。頬に添えられていた温もりが消えて寂しい。結婚、って、なんだっけ。

「おい、これ」
「…ゆびわ」
「女は形から入るのが好きだろうが。ちゃんと俺のもあんぞ」

小さな四角形の箱の中にはキラりと光るシルバーリングが二つ。左馬刻が普段つけているようなゴツゴツしたものじゃなく、女の私でも付けやすそうなシンプルなもの。極自然にそのひとつを左馬刻は左手薬指にはめていた。ドクドク、心臓から熱が全身に伝わっていく。待って、だって、わたしたち、

「わたし、左馬刻の彼女でいていいの…?」
「ハァ? じゃあオメーは今までなんのつもりで俺様の隣にいたんだよ。馬鹿か? つか、もう彼女じゃなくて嫁になんだろうが」

そう言って左馬刻が、まるで大切なものに触れるかのように私の左手を取り、そっと薬指に指輪をはめた。カチ、と音がして左馬刻のそれと並ぶ。お揃いだ。どこからどう見ても。

「か、会社に電話する!」
「おう。俺がしてやろうか?」
「ううん。自分でしたい。左馬刻、ありがとう」

どーいたしまして、とぶっきらぼうな言葉を吐いて左馬刻はソファに寝転がってしまった。携帯を手に取り慌てて会社に電話をかける。日曜日だと言うのに休日出勤をしている上司に、ヤクザと付き合って結婚するので辞めますとだけ言って電話を切った。直ぐに折り返しの電話が鳴る。電源を切ってやった。一部始終を見ていた左馬刻が満足そうに笑っている。

「ね、左馬刻、うれしい。だいすき」
「ん。わかってるって」
「いいお嫁さんになるからね」
「ンなことしなくたって今のままで良い」

腕を引っ張られて左馬刻に抱きしめられる。ソファに二人、少し狭い。ゆるゆると頭を撫でられて、そっと唇と唇が触れた。

血に濡れたシャツを洗うのも、近づいても煙草の火を消してくれなくても、怪我したことを教えてくれなくても、好きだと言ってくれなくても、彼との未来が在るだけで十分だ。

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