目の前の端正な顔の男がにっこりと微笑む。今しがた言われたばかりの言葉を上手く咀嚼することも飲み込むこともできずにいる私は、唯々彼を見つめてしまうばかり。そんな私を見て彼は更に笑みを深め、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。後退りすることすら許されない空気の中で彼がもう一度口を開いた。

「聞こえませんでしたか? それとも、もう一度言ってほしいんですか?」

まるで母が無条件で与えてくれた愛しい温もりかのように、柔らかく紡がれる言葉に自然と頷いてしまう。もう一度言って貰えたら理解ができるのかと問われればそうではないだろうが、それでも欲してしまった。
夢ではないと言ってほしくて、ここが現実だと教えてほしくて。私の赤ん坊のような我儘に彼は呆れる訳でも気を悪くする訳でもなく、微笑みを崩さぬままだった。

「好きです。愛しています。結婚、しましょう」

バチバチ。目の前に彩度の高い光が無数に点滅する。ようやく喉元を通ったその言葉は、飲み込んだ途端に体温をいくつも引き上げていく。頬どころか体の至る所を赤くした私は、先程と同じく彼を見つめるばかりだった。するり、と彼の手が伸びてきて頬に添えられる。レンズ越しの目が緩やかに細められていく。返事をしなくては、と息を吸うものの言葉は一向に出てこらず、はくはくと吐息を零すばかりだ。
しばらく私の様子をじっと見ていた彼の手が頬から離れていく。痺れを切らされてしまっただろうか。気を損ねてしまってはいないだろうか。とっくに決まっている返事を、どうしても言えない自分が情けなくて涙が出る。一瞬、驚いた顔をした彼が指先で優しく涙を拭ってくれた。私の好きな、仕方ないですね、という表情だった。

「何故泣くんです。…本当に、仕方ないですね」

愛しいと言わんばかりに与えられた言葉に、涙は留まることを忘れてしまっていた。涙を拭おうとした指先がからめとられて、彼の小指と自分の小指が絡まる。突然の指切り行為に驚いて、涙が止まる。

「貴女が言いたいこと、口を開く前にわかります。…けれど、他でもない貴女の口から聞きたいんです。だから約束、しましょう。どこにも行きません」

きゅ、と小指に力が込められる。空いた手で頭を緩く撫でられて、呼吸を整えるように息をした。私の返事をずっと待っていてくれる銃兎さんは優しい。この優しさを独り占めできるのかと思うと、申し訳ない反面、酷く嬉しくなってしまう。ほしい言葉をほしいタイミングでくれる彼の隣に、私がいてもいいのかという不安を抱いていることを知っていて、彼は約束をくれた。彼と出会えた事こそが幸福そのものであるのに、こんなにもらって良いのかという不安ですら彼は殺してくれる。それが、どうしようもなく。

「わたしで、よければ…。結婚してください」
「…ありがとう。よくできました」

絡まっていた小指が解かれて、今度は体の距離がゼロになる。ぎゅう、と抱きしめられて、おずおずと自分も抱きしめ返した。銃兎さん、ありがとうは私の台詞だよ。と、言う前にわかったのか「どういたしまして」と目が合った瞬間に言われてしまう。ああ、この人には適わないなあと、幸福の中で思うのだ。

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