少年が青年と呼ばれる様な姿と年齢になってからも、私の中ではずっと少年だった。思うに彼は恐れている。極端に。生命への幸福を表現できる人間というつくりをしながらも、それを己自らの意思で摂取することを拒んでいる。そうしてしまえば罰が当たると思っているのであろう。少年は頭が良いが、幼く拙い。自己犠牲の先に待っているのが絶望だと知りながら、それをやめることをしない。そうさせてしまったのは間違いなく私達大人が原因であり、これに対して何か意見をすることは御門違いである。たった一人の少年に、この街の、或いはこの国の行く末を委ねている。彼が突然それをやめてしまう恐れがあることを、大人達は気付けない。少年は聖人でも神でもないという事を忘却してしまっている平和呆けしたみっともない大人。少年はそれを知っていながら何も言わない。それは彼の失ったものが余りに大きく、欠落したまま生きていることに彼自身も気づいていないからだ。なんてかわいそうなこどもなのかと、彼に会う度に思わずにはいられない。

界境防衛機関という大それた名前の意味するところが、数年前と現在ではすっかり変わってしまっていた。界境防衛に特化し、ネイバーから人々を守護するべく活動しているなんて、数年前の私達が聞いたら驚くことだろう。無論、間違えているとは思っておらず、これしか道がなかったとも言える。派閥争いなどなく、方針がブレることもなく、日々笑顔が絶えなかった空間はもうどこにもなかった。それを寂しいと思うのは間違いだ。確かに成功しているここで、私だけが取り残されているような気持ちになる。戦線から身を引いて日が長いが、未だ第一戦で刃を振るう少年を誇りに思うと同時に、申し訳なくも思っている。尤も、私の心配とはよそに彼はあっけらかんとした顔でいつも同じことを言う。

「おれだって大人になったんだよ。そりゃあの時は必死だったなって思うけどさ」

あの時、とは他でもない彼の師の黒トリガーを奪い合った日のことだ。あの日の少年の姿を、私は今でも忘れることができずにいる。まるで我を失った獣。彼が何かに強く執着しているのを見るのは後にも先にもあの日だけだっただろう。ライバル達と競い合う楽しさを捨て、勝ち取った形見の価値を思っては苦しくなる。それを手放すと聞いた時は心の底から驚愕したが、彼はいつもと変わらぬ表情で先程と同じことを言っただけだった。彼と競い合っていた大人達は喜んでやることで彼の体裁を保ったようだが、私は素直に喜べやしなかった。だってそれは、迅の大事な。その先は何度言おうとしても、声にはならない。

「後輩ができて迅は随分変わったね」
「だってさ〜、可愛いんだようちの子たち。ランク戦見てるでしょ?おれの気持ちわかるでしょ?」
「私にはクソ生意気な後輩しかいないからわかんない」
「なまえさんってば厳しいの!おれいい子にしてるじゃん」

けらけらと笑う少年の目が何を捉えているのか私にはわからない。最上が亡き今、彼を救ってやれるのは私か林藤くらいなものだというのに。支部発足、派閥分離は林藤の正しい選択だった。そうすることで少年達の延命治療になった。例え本部にやっかまれようと気に留めない彼の性格だったからできたことだ。それに比べて私は、情けなくも戦闘をやめ、オペレートに徹する訳でも後輩育成をする訳でも機関の未来に協力する訳でもない。玉狛に異動できたら良かったものの、上に阻まれてあっさりと身を引いた。薄情者の私ができることと言ったら、少年に正しい道筋を教えてやることくらいだ。

「こんなところに何しに来たの。実力派エリートは油売ってる暇ないんじゃないの?」
「またまたあ。わかってるくせに。稽古つけてよ、太刀川さんに負けてくやしいの」
「慶にまだ勝ち越せないんだ」
「簡単に勝てたら苦労しないって!」
「スコーピオンの使い方忘れたから、無理ね」

嘘つき。と鋭い声に無視をする。期待したような少年の視線が昔っから苦手だ。トップ争いをしている彼がわざわざ時間を割いて足を運んだ意味を理解することはできても、願いを聞き入れてやることは難しい。例え仮想空間だとしても、私はもう剣を握ることも銃を構えることもできないだろう。それこそ機関が破滅に陥る直前まで、私はそれを貫くつもりでいる。それが少年にしてやれる唯一の償いだと、信じてやまない。

「天羽も言ってたよ。なまえさんは臆病すぎるって」
「月彦に言われても痛くないよ」
「おれも思ってるよ」
「それは知っていることね」
「………帰ってきてよ、」

懇願。肩を掴んで年相応の苦しそうな表情を隠しもしない少年の目の先には、断る未来が見えているはずなのに。帰る場所などないとも思う。あんたを止められなかった時点で、私にはもう安息の地がなくなってしまっている。だって悠一は戻ってこない。その目で未来をより良い方へと導く少年は、既に手の施しようがないほど錆びついてしまっている。その錆を取ろうとしてやれないことが、私の汚点だ。

「帰んないよ。もう戦闘には参加しない」
「馬鹿なこと考えるのいつになったらやめてくれるの?」
「確定事項を覆したいの? そこに私の意思はないのに迅がどうこうできると思う?」
「思わないけど、止めないはずないでしょ。ねえ、これ以上おれを一人にしないでよ」
「馬鹿ね。自分で言ったじゃない、可愛い後輩ができたって。林藤だっているし、あんたは大丈夫よ」
「なまえさんまで失ったら、おれどうしたらいいの?」
「世界と天秤にかけなさい。どっちが重いかなんて、誰にでもわかることよ」

一歩引いて彼から離れる。力なく落ちる彼の両腕。泣きそうな顔して見つめたって、私の未来は変わらない。せめてこの身は彼の未来に。これはもうずっと前から決めていることだった。私が身を挺さないと破滅する未来は確実に来る。そこで私が無くなる日も同様に。私は優しくないから、慶を適合者から弾いたりはしない。なってみないとわからないけれど、最上の意思だともとれる彼を守りたいという気持ちは、私も同じである。だからこそ私は、誰をも拒まないことを決めていた。

「…知ってる? なまえさん、おれにしか使えなくなるんだ」
「あら。そういうつもりは一切ないんだけれど、未来って上手くいかないわね」
「なんで未来が変わらないの、ねえ、やめてよ、頼むから」
「悠一。君は神様じゃないよ」
「っ、そんなのわかって…!」
「わかってないわよ。頼めばどうにかなると思ってんでしょ、子供ね。もう帰りなさい。送っていくわ」
「女の人に送られるほど弱くないよ…」

いつから彼の名前を意図的に呼ばなくなっただろうか。久々に唇から漏れだした名前は彼を動揺させるには十分すぎるものだったらしい。へなへなと座り込む勢いで全身の力を抜く迅に手を伸ばして支えてやる。いつまで経っても私の前では子供でいてくれる彼のことを、私は心の底から愛している。

「おれ、神様になるよ」
「………そう」
「うん。絶対助けるよ」
「あんたが神様じゃないこと、私だけが知ってればいいんじゃない」

いまいち噛み合わない会話は、互いの意思を無視したまま進んでいく。するすると指が絡まって、恋人繋ぎをしたまま迅が歩き出す。いっちょ前にこんなことばかり覚えて、心配になるったらありゃしない。本部へと繋がるドアの手前で彼はもう一度同じことを言う。私もそれに、もう一度同じ言葉を返す。辛さ苦しさを全て飲み込んで、下手くそな笑顔で「またくるね」と言った彼に手を振った。彼にしか使えなくなるなんて、私も随分甘いものだと、そう思いながら踵を返す。君が神様じゃないことは、私と最上だけが知っていれば良い。そうして私が、墓まで持って行ってあげる。だから生きてね、かわいそうな少年。

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