「あっ」

 カッ、コッ。とマヌケな音を立ててポケットから転がり落ちたそれを拾ってくれたのは前の席に座っている水上くんだった。一瞬だけ驚いたような表情をした後、無言で拾って私の方を向く。パチン、ときれいな音がして机に打たれたそれに、わあ、と声が漏れる。

「なんで飛車だけ?」
「え」

 私が落としたのは将棋の駒で、水上くんは不思議そうに質問してきた。どうして駒を持ってきているかではなく、飛車と書かれたものだけなのか、と。これってとびぐるまじゃなくってひしゃって読むんだ、とどうでもいいことが頭によぎって、振り払うように息を吸う。

「今日の星座占い、ラッキーアイテムが将棋の駒だったの」
「ほおん」
「それで、おじいちゃんに頼んで、一個だけ貸してもらった」
「みょうじさんが指すわけじゃないんや」
「あ、うん……」

 水上くんは教室の中ではあんまり喋らないというか、特定の人としか話しているところをあんまり見たことがない。ぼけっと授業を受けているように見えてテストの点数はすごく良かったり、先生の話を全然聞いていなさそうに見えて当てられた問題にはちゃんと答えていたり、お昼にボーダーの後輩くんが遊びに来たときに柔らかい表情で話しているのをたまに見かけたりするくらいのクラスメイトで、正直しっかりとした会話を交わしたのはこれが初めてだ。お昼休み後半の教室は人が少なくて、大抵皆体育館にバスケットボールをしに行ったり、廊下で他のクラスの子とお喋りをしたり、自動販売機に飲み物を買いに行ったりしている。水上くんはいつもどこにも行かずに席に座って、つまらなさそうにしている印象だ。
 でも、いま、目の前で私に向かって話す水上くんは、なんだかつまらなさそうには見えなかった。むしろ、ちょっと楽しそうな、気がする。

「水上くんは、するの?」
「ん?」
「しょうぎ」
「あー、そやね。うん、するかなあ」
「……一緒にする?」

 は。と一音だけが水上くんの唇から漏れ出して、漸く自分の発言に驚いて慌てて口を塞いだがもう遅い。ぱちぱちと水上くんの細長い目が瞬いて、ああ、これは完全にやばいやつだと思われた、と落ち込む。なんとか誤魔化そうと言葉を探してみても、どんな言い訳もしっくりこなくてあわあわと息ばかりが口からこぼれていくだけだ。
 そもそも将棋のルールなんてわからないし、駒に書いてある字も十分に読めない。でも、だって、水上くんが、やりたい、みたいな顔するから。

「ふは、どうやってすんねん。飛車一枚やとなんにもならへんやろ」
「う、そ、そうだけど……! 将棋って駒何個あるんだっけ」
「本将棋はそれぞれ二十枚ずつで全部で四十やね」
「よ、よんじゅう」

 思ったより多い! 四十個もあるなんて、今日帰っておじいちゃんに頼んでも、学校に来る途中でひとつくらいなくしてしまいそうだ。どうしよう、と頭を悩ませている間ずっと、水上くんがおかしそうにけらけら笑っている。そんな顔、初めて見た。

「あっ! わかった」
「うん?」
「ハサミ持ってる?」
「ハサミ? いや、ないなあ」
「じゃあ水上くんは書く係ね」
「……何すんの?」
「つくるの!」

 ルーズリーフを数枚重ねて折りたたみ跡をつける。この際形は四角でいいよね、と勝手に決めて何等分かに切り分ける。水上くんはきょとんとした様子で私の手元をじっと見つめているだけだった。

「私、駒の種類とかわからないから……水上くんが書いて?」
「紙を駒にするん?」
「う、うん。だめ、かな」

 もしかして水上くんって将棋ガチ勢で、本物の駒じゃないとやるわけないやろが! あほんだら! とかいうタイプだったのかな、と急に背筋が冷えていく。1、2、3。水上くんが私の目を三秒間、じいっと見つめたのちに、お腹を抱えて大笑いした。な、なに!

「ははは! 手作り将棋て、クッ……ふ、」
「う、わ、わらわないでよ」
「いやあすまんすまん。みょうじさんがあんまし可愛いことするから笑うてしもたわ」
「カッ」

 可愛い!? 水上くんが!? 可愛い猫ちゃんを見ても「猫やな」って真顔で言いそうな水上くんが。――わたしのこと、可愛いって言った!

「そもそもルール知らんやろ。なんでそないに必死になるん」
「ひ、え」
「ん?」

 右側だけ口角を上げた水上くんが、問い詰めるみたいに聞いてきて心臓がばっくばくと不規則に大きな音を立てている。ちょきちょき切られたルーズリーフに、何故か水上くんがマジックペンで文字を書き始めて、返事をしながら必死に彼の指先を追った。

「これな、駒によって進み方が違うんよ、それくらいは知っとるか? まあ、色々あるから矢印書いとくわ。ほんでまあ、みょうじさんがルール覚えたら本物使ってやるっちゅうことで」
「へ」
「今日は用意だけで終わりそうやな。また明日にしよか」

 机の上に散らばった紙切れに、水上くんの字が書かれている。それを一つにまとめて私に差し出す水上くんの表情はさっきまでのいじわるなものと違って、もうすっかり、いつもの水上くんだった。

「ラッキーアイテムやったな」
「え?」
「こっちの話」

 教室が騒がしさを取り戻す頃には前を向いてしまった水上くんの思惑がひとつもわからない。どうして私が必死になるかの答えは、水上くんだけが知っているみたいだった。

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