どこかの誰かが言った言葉が胸に刺さって抜けない。顔も名前もわからない他人の意見なんて気にするだけ無駄だとわかっていて、その場ではなんの気にも留めなかったのに、大事な場面で息を吹き返しては的確に俺の脳味噌を抉り、思考の邪魔をし、判断が鈍り、計画のすべてが乱れ、迷惑がかかる。
 迷惑って、何? おれは、おれの意思は、気持ちは、この考えは、世界には必要とされていないの?

「機械になれたらよかった」

 もくもく。煙草の煙が俺の息を感じて揺らぐのが好き。未成年の俺に受動喫煙をさせている張本人は表情ひとつ変えずじっと俺の目を見るだけだった。

「何もみえなくなっちゃえばいいのにな」

 そう言って目を閉じたから、次に彼女が何言うのかも、何をするのかもわからない。馬鹿だなって笑ってくれるのかな。どうしたのって心配してくれるのかな。机の上に置きっぱなしの手を握り込んで、俺のほしい言葉をくれるのかな。
 フー、と息を吐く音。鼻から煙を吸い込んで、咽返りそうになる。なまえさんのところに行くとすぐバレる。ヤニ臭いから。ボスのそれとは違うにおいがするらしく、特に小南なんかは露骨に嫌そうな顔をして早く服を洗えと急かしてくる。ああそれと、いつもボーダーの支給品ばかり着ている俺が、珍しく私服を着ているのもわかりやすい要因らしい。だってあなたの前だけでは、ただの俺でありたい。トリオン体も未来視もない、ただの俺でいていいよって、言ってくれる唯一のひと。

「もし、未来がみえなくなる機会が与えられたとしても悠一はそれを選ばないと思うけど」
「……なまえさんが言うならそうなんだろうなぁ」
「いやいや、嵐山とか、ていうか城戸司令でもこんなのわかるって。悠一は未来視を捨てられないよ」
「なんでそういうこと言うの?」
「めんどくさい彼女みたいなこと言わないでよ。事実でしょうが」
「めんどくさいかのじょ…………」

 おれ、なまえさんの彼氏なんだけど。と次いで言えない情けなさを掬って食べては笑っている。わかっているよ、これを捨てられないことくらい。でも、ちょっとくらい妄想したっていいでしょ。もし未来視がなかったらさ、おれ、ボーダーには絶対入らないよ。今ある出会いも人脈も全部最初からなかったことにするよ。それで、なまえさんにだけ会いに行く。なまえさんがいればもうなにも要らないって、言葉にしてちゃんと伝える。搾り取られて選択した中のひとつに偶然あなたがいたんじゃなくって、あなたじゃなきゃだめな必然にするよ。そしたらなまえさんは、おれと永遠になってくれる?

「私は悠一のおかあさんじゃない」
「怒るよ」
「怒ればいいよ。悠一、私のことちゃんとみて」
「みてるよ……。みたくないところまでみてるよ。なまえさん本人よりみてるよ、ちゃんとみてる」
「目を閉じて言われても説得力ないなあ」
「ちょっと目が痛いんだよ……」
「すぐバレる嘘つかないの」

 なまえさんがもし母親だったら、なんて考えたこともないのにどうしてそういうこと言うの。わかっている、わかっているんだよ。なまえさんは、母さんでも、最上さんでもないよ。

「悠一が機械になったら困っちゃうな」
「どうして?」
「機械は私のことを愛さないじゃん。私は機械を愛せてもさ」
「機械なんか愛さないでよ」
「でもそれは機械じゃなくて悠一でしょ?」
「おれは機械になんかならないよ」
「滅茶苦茶言うなあ」

 みなくてもわかるよ。今、困ったように眉を下げて笑っているでしょう。小さな子供がやんちゃしているのを見守るみたいな目で、おれのことみてくれているでしょう。未来視なんかなくてもなまえさんのことがわかるのに、どうして世界の命運なんかみなくちゃいけないんだろう。みえるからってよりよいほうに導かなきゃならないの? なんて、こんなの、幼少期に過ぎ去った疑問のはずなのに。
 この人の前にいると、ずっと子供にもどってしまったみたいに、思考がままならなくなる。おれがおれでいることを許されているみたい、ううん、許されているから、だから。おれが駆け足どころかジェット機で飛び越えてきちゃった幼少期を、なまえさんは笑って優しく抱きしめて、おいでおいでって手招きしてくれる。

 この人の前だけで、おれは、人間でいることを許されている。

「そろそろ行かないと会議遅れちゃうね」
「ちょっとくらい遅刻しても怒られないよ」
「えー? 司令時間にはうるさいよ」
「忍田さんもいるし、へいきへいき」
「じゃあスタバ寄ってから行こうよ。新作飲みたい」
「さすがにスタバ片手には怒られそうじゃない?」
「そのときは一緒に怒られよう」

 怒られない方、謝る方じゃなくて、一緒に怒られる方を選んでくれるなまえさんの優しさに、おれは何回救われてきたんだろう。目を開けて、立ち上がって、トリオン体に換装する。生身よりクリアになった視界の奥で、愛おしいひとが穏やかに笑みを浮かべていた。

「待って、もう一本吸ってから」
「だめ。フラペチーノの味落ちるよ」
「ばかだな、もっとおいしくなるのに」
「未成年バリア〜。おれには煙草の味がわかりませ〜ん」
「肺は真っ黒なくせにね」
「誰のせいだと思ってんの?」
「えー、林藤さん」
「ボスに言っておくよ」
「やめてよ!」

 けたけた笑って、じゃれ合って。上着に袖を通してなまえさんの家を出た。初冬の風が冷たくて、それを言い訳に手を握れば、さっきまで煙草をつまんでいた指先が柔く俺の手を握り返してくれる。トリオン体越しでもあったかい。

「カスタム調べてからにすれば良かった」
「店員さんのおすすめにしたら?」
「それだ」

 街行く人たちの様々な未来が視界に入り込むだけで、俺となまえさんの周りだけがくっきり輝いてみえて、これをきっと幸福と呼ぶんだと思う。

「ねえ、なまえさん」
「んー?」
「おれを神様にしないでくれてありがとう」
「…………悠一はただの子供だからね」
「かっこよくて頼れる彼氏でしょ?」
「はいはい」






『迅さんって神様みたいだよね!』

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