敵わないと思った。それと同時にどうしようもないとも思った。

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単なる気まぐれでいつもとは違う道を通って家まで帰ることにした。綺麗なイルミネーションもおいしそうなケーキも新色のマニキュアも気になったけれど私の心を掴んで離さなかったのは真っ白な糸だった。他と比べて少し細く、けれど確かにふわふわとしたそれは触り心地がとても良さそうだと思ったし彼の黒にはぴったりだと思った。まるですべてを包み込んでくれそうな真っ白な毛糸。私はお財布の中身も確認しないでそれを購入した。痛い出費だったがさほど気にならなかった。

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母が得意だと言った編み物は、私にはあまり向かなかったらしい。ほつれや乱れが気になる白はようやく完成が見えてきた、と言ったところだろうか。手に持っていた二本の棒をそっとテーブルの上に置いて今度はその二本ごと白と一緒に持ち上げてゆっくり顔を埋める。こうしていれば、すべてがなくなるような気がした。彼もそうであれば良いと思った。

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「三輪くん、これ、あげる」

ラッピングもなにも施されていない不格好な白を三輪くんに差し出せば彼は端正な顔を歪めて明らかに嫌な顔をした。彼の首に既に巻かれている私があげたものと同じ形のものは少なくとも私が三輪くんを知った時には既にそこに巻かれており、冬の外ではいつもつけているような気がした。お洒落に気を使うような性格ではないと思うから、きっと大事なものなんだろう。きっと、なんて狡い言葉を使ってしまえば責任が少しは軽くなるかもしれないと考える無知な私を三輪くんが許してくれないことはとうに知っているのだが。

「なまえ」

そう呼ばれた途端に頬に水滴が伝った。私と三輪くん以外の人からすれば訳のわからない状況でも、私と三輪くんからしたらきちんとした理由のあることだった。なまえという固有名詞に籠められた三輪くんの想いを量りきれないまま小さく返事をする。三輪くんは白を受け取ってくれはしたけれど、私が作り上げた白を取り込んでくれることはない。はじめからわかりきっていたことなのになんだか悔しくて、わらえた。

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「ねえさんが死んだ。おれにはもうなにもない」

悲しい声だったことを覚えている。まだ私も彼も幼く、気持ちの整理を自分ひとりで片付けることができないような時期だった。おれにはもうなにもない と、言った彼の言葉は本心以外のなにものでもなく、それが酷く悲しかった。幼い頃からずっと隣にいたはずなのに、私は三輪くんにとってなんでもないのかと思えば目の前で泣く男とは別の意味で涙が溢れた。そんな馬鹿な私の姿を三輪くんがどう受け取ったかはわからないけれど、ふたりで散々泣いた。やり場のない感情まで涙と一緒に流せるのではないかと本気で思っていたからだ。
次の日、昨日一緒に散々泣いた三輪くんはどこにもいなくなってしまっていた。目がぎらぎらと憎悪に満ちていて、ねいばーとやらに復讐をすると言った。まるでなにかに取り憑かれたように不穏な単語を口にする三輪くんのことを、止めてあげられなかったことは今でも少しだけ悔やまれる。でもあの時の私は三輪くんに嫌われないようにただ一言「そっか」と言うことしか許されていなかったようにも思える。どれが正解だったのかは今になってもわからないままだった。

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ひとつ大事なことを言い忘れていたけれどなまえという名は三輪くんのお姉さんと同じものだった。幼き頃の三輪くんは「ねえさんといっしょだ!」と笑ってくれたけれど、今の三輪くんにとっては私の名前が嫌で嫌で嫌で仕方ないはずだ。私の名を呼べばどうしたって彼女の事を思い出すことになる。良き思い出も悪き思い出もあの雨の日の記憶もすべて思い出すことになる。だから三輪くんはあの日から一度も私の名を呼ばなかったし、私も呼んで欲しいとは思わなかった。思えなかったと言った方が正しいだろう。だって私はどうしようもなくなまえで、三輪くんのお姉さんとしてのなまえにはなれないのだから。亡くなってすぐはこの名前を私につけた両親のことを恨みすらしたが、今では感謝している。こんなに三輪くんにとって意味を持つ名前は他にはないだろうから。

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三輪くんが私の名を呼んでから数週間が経った頃だった。結局あの時呼んだのは私だったのかそれともお姉さんだったのか、それだけを気がかりに日々が過ぎ去っていた頃ファミレスから数人でぞろぞろと出てきた学生集団の中に、見慣れた黒と白を見つけた。これでもかってくらいに目を見開いてもっていた荷物をすべて落とした私は、唯泣いた。声をかけることすらできずに泣いた。一瞬ちらりとこちらを見やってからすぐに三輪くんに声をかけた茶髪のイケメンさんには悪いが、その行為は些かお節介だよと言ってやりたくなった。こちらに気づいた三輪くんは私の目をじっと見て、それから少しずつ近づいてきた。逃げなくちゃ、と思う反面膝が笑ってしまってまともに足は動いてくれやしない。どうしてと問うことすら許されないまま三輪くんの口が確かに動き、空気が震えた。

「…似合うだろう、なまえ」

敵わないと思った。それと同時にどうしようもないとも思った。

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