窓がこつんと音を立てて、まるで星が降ってきたみたいだといつも思う。玄関から入れば良いのに、急いでいるのか、サプライズが好きなのか。彼が玄関を跨ぐのは7割程度の確率で、それに法則性はないようだった。遮光カーテンをそっと捲れば、レース越しに可愛い笑顔が見える。仕事帰りで疲れているなんてことはひとつも感じさせないような子供っぽさに、今日も心臓を鷲掴みにされている。

「寝てた?」
「起きてたよ。寒いでしょ、早く入って」
「ん、ありがと」

 ウィングヒーローホークス。現代日本を生きる人々で彼のことを知らない人はいないだろうってくらいに有名人。対する私はどこにでもいる普通の一般人。ありきたりな家庭に生まれて、ありきたりな個性を持ち、ありきたりに生きている。仕事をまあまあ頑張って、休日にそこそこだらけている、あまりにも普通が似合う女。
 目の前で笑うのは間違いなくホークス自身だけれど、私の瞳にはテレビ越しで見るよりずっと幼く映っている。幼いといえば幼い年齢なので、普段の彼が大人びていると言った方が正しいか。どうしてこの人が私を好いてくれたのか私は未だにピンときていないが、私達の間に理由なんて要らないと思っているので解明しようとは思わない。躍起になるのはメディアだけで良い。

「ごはん食べた?」
「食べてきた」
「あ、手洗いうがいちゃんとして」
「相変わらずきびしーね」
「普通です」

 洗面所へ歩くまでに靴下をひょいと脱いで、ぺたぺたとスリッパも履かずに素直に従う背中に生える紅。できるだけ目に入れないようにして、ラップをしていた夕飯を冷蔵庫にしまう。明日食べるかな、朝ごはんは軽いほうがいいか。ひとつひとつ彼に関することを考えながら電気ケトルに水を入れてカチリ。手を洗ったついでに顔も洗ったらしい彼が、前髪を少し落としているのを見て頬が緩む。愛しいと思って手を伸ばせば、撫でられると思ったのか素直に差し出されて、嬉しくなってわしゃわしゃ掻き混ぜるように撫で回した。着替えてくる、とだけ言った彼にうん、とだけ返事をして紅茶を準備する。最近お気に入りなのは茶葉を食べられるもの。何味にしようか悩んでいればひょいとつままれるレモネード。ダブルウォールグラスにあっという間に注がれるお湯を黙って見ながら、座っていれば良いのに、なんて。

「あれ、飲まないの?」
「歯磨きしちゃったの」
「もう一回しよ」
「啓悟がふたつ飲んでよ」
「飲まんの知ってるくせに」

 カラカラ笑ってグラスに口をつけて、熱い、と舌を出す彼に次は私が笑ってやる。ニュースが好きじゃないからこの家にテレビはなく、静寂を帯びた部屋の中にはふたり分の音だけが遊び、すっかり彼の形を覚えたソファは気持ちよさそうに沈んでいる。大抵話し出すのは私からで、彼はいつだって聞いてばかり。守秘義務のある仕事をしていると話せることが少ないらしく、私がよく話すのを嬉しいと言う。物好きだねって言えば、お互い様だと思うけど、って言う。全然お互い様じゃないけど、その場では肯定した気がする。

「前飲んだときと味が違う」
「あー、あの日ははちみつ入れたんだよ」
「え〜。言ってよ」
「持ってくる?」
「いんや、こっちもおいしいかな」

 グラスの底が綺麗に見えたらきっと今日が終わる。熱さを理由にして眠るのを先延ばしにしているだけの時間が愛おしい。会う頻度は少ない。会話も多くない。連絡なんてほとんど取らない。どれもこれも彼の多忙が原因だれど、別になんの不満もない。はちみつがとろけるような恋じゃなくていい。レモネードみたいに甘酸っぱくなくていい。私と啓悟は普通がいい。

「明日は早いの?」
「いつも通りよ」
「じゃあもう寝なくちゃね」
「久しぶりに会ったのにもう寝る話せんでよぉ」
「甘えた声出してもだめ。私の肌年齢にも配慮して」
「気にせんでも綺麗よ」
「褒めてもだめ。ほら、はやく歯磨きするよ」

 空になったグラスをテーブルに置きざりに、彼の手を取った。ぶうぶう言いながらも腰を上げてふたり並んで歯を磨く。洗面台の決して大きくない鏡にぎゅうぎゅうに映るのが好き。無防備に歯を磨く姿も好き。言えないから鏡越しに視線だけ送っておけば目が合って、全部わかってますよとでも言いたげに目が細められる。聡い人だから本当に全部わかっていそうでちょっとおそろしくて、ちょっとうれしい。

「おやすみのキスは?」
「ふふ、なにそれ。そんなのしたことないじゃん。今日はあまえんぼだね」
「してくれん?」
「しょうがないなあ」

 溶けた彼の瞳に世界一幸せって顔した私が映っていて笑えてしまった。触れるだけの優しい、こどもみたいなキスをする。ちう、と音を立てたのは彼の方。ヒートアップする前に眠りにつかなくては、と布団に引き摺り込むようにくるまった。指先をそっと絡めて、体温をわけあって、呼吸をはんぶんこ。ふにゃふにゃに目尻を下げた彼が、さっきの私みたいな顔して笑っていて、どうしようもないくらい嬉しい。

「ずっとこのままでいよ」
「ん、いいよ。朝が来るまでね」
「短いずっとだなあ」
「永遠なんてないって啓悟が言ってたよ」
「え〜? 啓悟ってやつ全然ロマンチックわかってないじゃないすか〜、夢壊すなよなあ」
「啓悟は結構ロマンチストだよね」
「んは、俺のさっきの台詞聞いとったと?」

 かくいう私もあなたの来訪を星が降ってきたみたいと思っているくらいだから相当だ。頬と頬がくっついて、足りなかったって言う代わりに唇が塞がれる。ちゅ、ちゅ、と何度かくっついて離れてを繰り返し、やがて満足したのかべろりと唇を舐められる。あまい夜が更けていくのをじっと見守る毛布の中、あなたと時を重ねることが、なんたる僥倖か。

「あしたも俺に普通をちょうだい」
「うん。私でよければ」
「……いけずだなあ。唯一無二でしょ」
「啓悟もちょうだいね」
「ええ、それはもう。ありったけね」

 明日の朝には空を飛ぶあなたへ、私のぜんぶをあげるから、明日もどうか、私達、誰にも邪魔されない普通のふたりでいようね。

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