私はこの人のバレーボールには一生なれない。
 彼に付き合ってと言われる前も、それを承諾したあとも。その覆りようのない事実は私の首をゆるゆると、けれど確実に絞めていく。

 徹はアルゼンチンに行くらしい。それを風の噂で聞いたとき、私はぼんやりとアルゼンチンの場所を思い浮かべただけだった。なんであんたが知らないの、と驚く友人の問いには答えられず曖昧に笑ってその場を誤魔化す。徹のバレーのことは彼という人間を知ろうとすれば嫌でも目に入るものだった。寝ても醒めてもバレーボール。何かにただ直向きに尽くす彼のことを格好良いと思っている。だからこそ、私は彼がどうして自分と付き合っているのかがわからなかった。
 バレーボールのルールは徹と付き合った後に覚えたが、ボールを触ったことは体育の授業と徹の部屋でしかない。徹は私と一緒にいる時あまり部活の話をしなかったので、私も深く聞くことは無かった。バレーボールの息抜きに私が使われているのだと思うけれどわざわざ交際することなかったんじゃないかと思う。彼氏と彼女という関係性に拘るような人じゃないだろうに、どうして私を選んだんだろう。恋人と呼べるほど恋人らしいことをした記憶もない。徹の試合を見に行っても話すことはないし、彼が私に気づく様子もない。彼の部活がお休みの日も徹はバレーボールのことを考えているし、せいぜい体育館点検の日に一緒に帰ったり、テスト前に一緒に勉強したりする程度の距離感だ。

 だから私は、困っている。目の前の男が言った言葉の、意味も意図もわからない。

「俺はバレーボールをする。バレーボールをしに、卒業したらアルゼンチンに行って、焦がれているコーチの指導を受ける。だからなまえも一緒に行ってほしい」

 だから、のあとが飲み込めなくてぱちぱちと瞬きを繰り返してしまう。行くってどこへ。一緒にって、アルゼンチンに?

「無責任だって思うかもしれない。人生馬鹿にすんなって思うかもしれない。それでもおれは、なまえと一緒にいたい」
「とおる、おちついて」
「俺のバレーボールにはなまえが必要なんだ」

 一体全体、なにがどうしてそうなるのか、なんにも、なんにもわからない。けれど彼の透き通った目は真剣そのもので、大きな瞳の中には困惑した私が映し出されている。徹の大きな手が彼に比べると随分小さく見える私の手を握りこんで、その手が湿っていることに驚いた。なんにもこわいものなんてない表情をしているのに、この人は私がついて行くと確信してはいないのか。

「わたしは、英語得意じゃない、し、料理もうまくないし、バレーのルールも完璧とは言えない、けど」
「うん」
「徹の傍にいることはできると思う」
「……それって」
「…………おかあさん、いっしょに説得してくれる?」

 ぎゅう、と強く手に力が込められて反射的に眉間に皺を寄せたのに気づいた徹が慌てて私の手を離し、再度優しく私の手を包み込む。言葉がでないのか、言葉じゃない方が良いと思っているのか、徹は何度も何度も大きく頷いていた。

「後悔はさせないから」
「うん、でも、しないと思う」

 進路希望の紙を書き直さなきゃ、という思考を頭の隅に置きつつ徹の湿った手を握り返す。一瞬驚いたように目が見開かれて、そのまま腕を引っ張られて抱きしめられた。硬い体の感触を初めて知って、心臓がドクドクと跳ねている。彼を構成する要素の中で一番大きな割合を占めているもの。それにはどうやら私が必要らしく、私はそれが、酷く誇らしかった。

 私はこの人のバレーボールには一生なれない。けれど、それで良いと思えた。

戻る
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -