机の中に入っていた一通の手紙がぽとりと落ちる。えっ、気が付かなかった、と誰もいない教室で教科書の押し付けに負けてしわくちゃになってしまっているそれを拾い上げた。どこにでも売っていそうな便箋に入ったそれは少なくとも私の友人は使いそうにないもので不思議に思い、少しの高揚と、ほとんどの疑問で封を開ける。セロハンテープって、随分味気ない封だと思いながら。

「…………え」

 所謂男子高校生といった感じの、無骨な字が書き綴られていた。わたし、この字を知っている。ばっとこの字に思い当たる人物の席を見上げるが、下校時刻からしばらくが過ぎたここには誰もいない。この手紙、いつから入っていたんだろう。今朝おはようの挨拶をしたときは何も言っていなかったのに。個人的な連絡を取ったことなんてないから、クラスのグループトークから彼のアイコンを探し出すのに苦労した。今どこにいる? と書かれたふきだしを送って、教室を出て階段を駆け下りる。走るなよ、という先生の言葉を無視してしまった。ごめんなさい。

「うぃーす、おつかれぃ」
「よ、ねやくん、」
「うん、息整えていいぜ」

 靴箱に寄りかかっていた米屋くんに驚いて足が止まる。普段しない運動をしてぜぇはぁと息を切らす私のことを米屋くんはただ待ってくれていた。
 私と米屋くんは、特別仲が良い訳でも悪い訳でもない、極々普通のクラスメイトだ。目が合えば挨拶をするし、近くにいれば話をするけれど、お昼ごはんを一緒に食べたり、彼に宿題を見せてくれと頼まれたことはない程度のクラスメイト。いつも明るくクラスの皆と仲が良い米屋くんと、その皆の内に入っているだけの私。そんな私に、彼が、どんな想いで手紙を残したのかがわからない。

「読んでくれた?」
「うん。読んだからさっき連絡しちゃった」
「見た見た。走ってきてくれてありがとな」
「ううん。……あの、手紙に書いてあったことって」

 真っ黒な瞳が私を捉えてびくりと肩が震えた。米屋くんは基本的にすごく明るくて、誰とでもよく話すイメージなのだが、時々びっくりするくらい明度を落とす時がある。クラスにいる女の子の中でそれに気づいているのは恐らく私だけだと思うが、だからといってそれを米屋くんに言ったり聞いたりしようとは思わなかった。ただ、こういう明るい人にも悩む瞬間とか、何かを深く考えるときがあるんだなあって当たり前のことを思っただけ。

「もし嫌じゃなかったら引き受けてくれたら助かるんだけど……どう?」
「あ、えっ、と……、いや、とかじゃないけど」
「けど?」
「どうして私なんだろうって思って。その、普通は家族とか、そういう人に頼むのかなって」

 恐る恐る本心から質問すれば、一瞬きょとんとした顔をされてこちらが驚いてしまう。一拍置いてからからと笑った米屋くんについていけず困惑していれば、そっと手を取られた。わ、ごつごつしてて、ちょっとあったかい。

「みょうじさんしかいね〜って思ったから」
「えっ」
「オレが命を預けるならみょうじさんがいいって思ったんだよな。みょうじさんのこと好きだし」
「……えっ!?」

 からっと、なんでもないことみたいに問題発言をした米屋くんは私が徐々に朱に染まっていくのを見てけらけら笑っていた。いやいや笑い事じゃないよと言いたいのに、込み上がってくる熱が邪魔して言えそうにない。好き、好きって、好きのこと? いやいや、米屋くんのことだし、友達としてってことだよね。

「守りたいものとかさあ、ピンとこなくて。あんま考えたことねえっつうか、目の前の楽しいことにムチューなわけよ」
「う、うん?」
「でも通達が来たとき、あ、みょうじさんだな〜って思ったから、引き受けてくれると嬉しんだけど」

 夕日が差し込んで、米屋くんの肌がオレンジ色に縁取られて、なんだかすごく色っぽく見えた。本当に私で良いのかだとか、もっと具体的に理由を教えてくれだとか、言いたいことは沢山あったけれど、米屋くんが選んでくれたことがどうしてかものすごく嬉しく思えてゆっくりと首を縦に振る。ずっと笑っていた米屋くんの表情がぱっともう一段階明るくなった。

「さんきゅ! すげぇ助かるわ、まじで」
「うん、私に務まるかはわからないけど……」
「いやいや、特にやることとかもねえし。まじでありがとな。みょうじさんこの後ヒマ? ヒマならボーダー行って書類にハンコ押してくれると助かるんだけど〜って、さすがに急すぎるか」
「いや、大丈夫。一緒に行くよ。……部外者が入っても良いものなの?」
「部外者って! 今この瞬間からもう部外者じゃねえじゃん」
「それはそうかもしれないけど……」

 靴を履き替えていつもの帰り道とは違う方向にいつもは隣にいない人と歩くのが不思議でたまらない。触れていた指が離れていくのを惜しいと思ってしまった自分がいるのには気が付かないふりをして、嬉しそうに話し始める米屋くんの声をなんとなくで聞きながら、もしかしてとんでもないことを引き受けてしまったのではないかと今更考えたってどうしようもないことを。

「遺書って何書くもんなんだろうな」
「書いたことがないからわからない……」
「はは、オレも」

 米屋くんからのお願いは、彼の遺書を預かることだ。






 所謂お客様用玄関から入った米屋くんを見て受付のお姉さんが不思議そうな顔をしていた。テキパキと私の受付を済ませて、勝手知ったる建物内をすいすい歩いて行く米屋くんに必死についていく。なんだか周囲の視線がやけに刺さる気がして居心地が悪い。クラスにボーダーの人はもう一人出水くんがいるけれど、米屋くん以上に話したことがない。なんだかふたりともすごく強いらしく先輩や後輩やD組の三輪くんがよく連絡事項を伝えに来ているのを見かけるから、刺さる視線の理由はそれなのかもしれない。すごく強い人が急に部外者を連れてきたら、そりゃ不思議にも思うよね。しかも親御さんとかじゃないし。俯きがちに歩く私にもさっきまでと変わらず話題を振り続けてくれる米屋くんの優しさが身に沁みる。

「米屋入りまーす」

 ノックをしてからがちゃりと開かれたドアの向こうはどうやら会議室らしい。綺麗な女の人と、何人か大人の男の人が座っている。わあ、こわい。帰りたい。

「陽介くん、その子は? ボーダーの子じゃないわ」
「受付してきましたよ〜、先週もらった紙あったじゃないすか、遺書のやつ。あれです」
「…………恋人なの?」
「いや? クラスメイトっすけど」

 みょうじさんここどーぞ。と言って引かれた椅子にがたがたとみっともない音を立てながらぎこちなく座る。心臓がばくばく音を立てていて、変な汗が背中にひっついている。たしかに、普通に考えて遺書を預ける人が家族以外ならば恋人だと思うだろう。というかそうじゃないとおかしい。室内中の探るような視線が恐ろしくて息が詰まる。どこから出したかわからないペットボトルのお水を米屋くんから受け取って、今は飲めないよ、と思った。

「誰でも良いわけじゃないと渡される時に言われたはずだが」
「やだな風間さん! オレだってそんくらい聞いてましたよ。誰でもいいって思って連れてきたわけじゃないっす」
「クラスメイトをか?」
「好きな子って言えば納得します? あ、みょうじさんボールペンあるか?」

 私の返事を聞く前に備え付けのものをひょいと渡してくれた米屋くんは、視線が噛み合った瞬間に微笑みかけてくれていた。私の座った椅子の背もたれに手をついて立ちながら大人の人達と話す米屋くんは飄々としていて、教室の中で他の男の子と騒いでいるときとは別人みたいでドキドキする。好きな子。お願いされた時にも言われた好きという単語。こんなの勘違いしないほうがおかしいよ。

「意外だな。おまえがそんなこと言うなんて」
「普通に考えて家族かとは思うんすけど、一番に頭に浮かんだのがこの子だったんで。どうせなら理由ちゃんとあった方がいいじゃないっすか」
「戦闘馬鹿のおまえが理由なんて言うとは思わなかった」
「あはは、オレだって普通の男子高生ですって」

 さっきまで鋭かった風間さんと呼ばれた人の視線が柔らかくなっているのに気がついてほっと息を吐いた。綺麗な女の人が紙を数枚くれて、記入の仕方を丁寧に教えてくれる。真剣に聞いている間ずっと、米屋くんは風間さんとよくわからない話をしていた。ボーダートークだ。

「三輪入ります。……みょうじ?」
「あ、みわくん」
「秀次! おつかれ」
「陽介はみょうじを連れてきたのか」
「うん」

 すっと隣の椅子を引いて座った三輪くんは風間さんや綺麗な女の人みたいに特に驚く様子もなく私が記入している紙とは違う紙にペンを走らせていた。三輪くんは一年生の時にクラスが同じで、結構話す方のクラスメイトだ。なんなら米屋くんより話したことがあると思うし、三輪くんのことなら友達ってちゃんと言えるくらい。

「蓮さん、ここの書き方これで合っていますか」
「それで合ってるわ」
「ありがとうございます。陽介、今日はみょうじを送っていくのか?」
「そのつもり」
「それがいい。戻ってきたら少しミーティングをしたい」
「りょーかい」

 なんだかんだで全ての項目を書き終えて蓮さん、に確認をしてもらう。大丈夫よ、と微笑まれた笑顔が綺麗すぎて倒れそうになった。米屋くんと三輪くんの話がいつのまにか弾んでいたので終わるのを待っていれば、くっと袖を引かれる。風間さんだ。

「三輪、米屋。少し借りてもいいか」
「えー。手出さないでくださいよ」
「高校生に手を出す趣味はない」

 随分幼い見た目をしているけれど二人の態度からいって年上の、結構えらい人なのではないのだろうか。他の人達の視線をそこそこに集めながら部屋の外に連れ出される。ばたんとドアが閉まるのをきっちり確認してから風間さんは話しだした。

「みょうじと言ったか」
「はい。そうです」
「米屋とはただのクラスメイトか?」
「そ、うです」

 質問の意図がわからなくて一瞬言い淀んでしまった。真っ赤な目に品定めをされているみたいで落ち着かない。何かを考えるように黙ってしまった風間さんの言葉を待っている間、吸ったことのない張り詰めた空気が肺にうまく馴染まなくて泣きそうになった。

「遺書を預かるということは命を預けると同義だと思っても良いと思っている。三輪の様子を見るに米屋の言葉に嘘はないのだろうが、預けられたみょうじが不服ではないか気になった」
「不服……」
「ただのクラスメイトなんだろう? いきなり命を預かってほしいなんて言われても迷惑でしかない。……米屋にはそういう存在があった方が良いとは思うが、それを引き受ける必要はないという意味だ」

 風間さんの言葉を一生懸命咀嚼する。わかりにくいけれど、この人たぶん、私を心配してくれている。

「わたし、は……米屋くんとは、ただのクラスメイトです。でも、米屋くんが預けてくれるのは、素直に嬉しいと思いました。ちょっと荷が重いというか、私でいいのかなとは思います。でも、米屋くんは嘘をついていないと私も思うので。その、米屋くんの大事になれるなら、引き受けたいなって……。命を軽視しているとか思われるかもしれませんが、本心です」

 正直なところ、突然遺書とか命とか言われてもあんまりぴんとこない。三門市に住んでいることによりほんの少しだけ死が身近にあるけれど、ボーダーの人に比べたら遠いと思うし。でも、私は米屋くんが私を選んでくれたことが嬉しかった。あんまり何かに熱中しているところをみない、ひとつに傾倒することがないような人が自分というひとりを選んでくれたことが、素直に嬉しかったのだ。

「そうか、ならいい。時間を取らせて悪かった」
「いえ、そんな……。ありがとうございます」
「? 礼を言われるようなことをした覚えはない」

 気をつけて帰れよ、という言葉とともにドアが開く。へらりと笑った米屋くんが近づいてきてようやく呼吸ができるようになった気がした。きゅっと心臓が一瞬縮んで、まるで喜んでいるみたいに激しく踊る。

「送るわ、行こ」
「あ、うん。おじゃましました」
「失礼しました〜」

 三輪くんに手を振れば軽く振り返してくれた。聞かれるかなと思ったけれど、先程の風間さんとの会話については聞かれないまま。家の場所を聞かれて答え、そのまま一緒に歩いていく。なんだかずっと夢を見ているみたいな非日常だけれど、裏には重たい話題が乗っかっている。いのち、いのちか。弟妹がいるわけじゃないからそういう瞬間を見たことがないし、ペットを飼ったこともないからなんだか実感しにくい。でもいま、隣を歩く男の子の命は、先程の書類によって、私に半分くらい預けられているのだと思うと今まで体感したことがないくらい緊張する。

「生死に執着がない」
「え?」
「前にさー、オレが全然勝てねえ人がボーダーには何人もいんだけど、アドバイスとしてもらった言葉なんだよな。戦争する者として致命的だって。まあ短所でありチョーショでもあるってやつよ。そういうのって考えて直るもんじゃねえじゃん? んでまあ、遠征決まって遺書書け〜ってなったときにみょうじの顔浮かんできてよ、オレめちゃくちゃ納得したっつうか、あ、こーいうことねって思ったんだよ」

 相槌も返事もいらないみたいな言葉をただ黙って頷いて聞いた。米屋くんは一貫として晴れ晴れした表情を浮かべている。

「みょうじのこと好きなのは本心だけど、これがそーいうやつなのかは正直わかんねえ。でもオレ、みょうじに執着してる」
「しゅうちゃく」
「ん。しゅーちゃく。だから遠征行くまでもっと仲良くなりてえし、行ってらっしゃいって見送ってほしい!」

 そう言って笑う米屋くんはすごくきれいだ。米屋くんがどうして家族ではなく、蓮さんという綺麗な女の人でもなく、クラスメイトの他の誰でもなく、私を選んだのかはわからない。でも、米屋くんが私にいま、執着してくれている。彼のだいじなだいじな命の半分を、私にくれている。それ以外に理由なんていらない。

「うん。やらせてほしいな」
「無事帰ってきたら付き合おうとかベタなことは言わねえけどいい?」
「あはは、良いも悪いもないでしょ。あ、でも私も米屋くんに執着しちゃったときは責任とってくれる?」
「そんときはオレの守りたいものになったってことで」
「うん!」

 指先が遊ぶみたいに触れ合って、絡まるところまではいかず離れていく。付かず離れずの距離感を楽しんで、ふたりの笑い声が、ふたりの中だけに響いている。

『行ってらっしゃいをきみに』

 きみの執着にならせてくれてありがとう。

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