昔っからそうだった。大きな問題を目の前にした時に、真っ先に逃げるという選択肢がでてきてしまうような質だった。大人になって、それが最善じゃないとわかってからは選ぶことこそしなくなったが、真っ先に浮かんでくることに変わりはない。胸の内が黒いもやのようなものに蝕まれていき、数時間から数日漂っては、綺麗さっぱり消えていく。そういう考え方をする自分では、目の前にいる輝かしい男の隣に並べないと思ってしまった。

「なあ、何考えてるん」

 盧笙の口調は至極穏やかであったが、表情は少し悲しさを含んでいる。からん、と氷の溶ける音がして、あれ、さっきまで盧笙のグラスには目一杯お茶が注がれていたはずなのに。私のグラスに注がれている桃味のソーダは一ミリも減っていないどころか氷が溶けて少し増えている。

「……あんなあ、あんまり説教臭くなるから言いたないねんけど」
「言いたくないなら、言わなくても…」
「ここで言うような話でもないけどな、好きやって、何回言うたらわかってもらえるん」

 ぢゅるる、と行儀の悪い音が私のくわえたストローから漏れて、すぐに咽た。げほごほと咳をし始める私に予想がついていたのかおしぼりが出てくる手が早い。呆れるでもなく、怒るでもなく、心配そうな表情を向けてくる彼に、彼を、私はどうしようもなく好きだと思ってしまっていて、それが狂おしいほど愛しくて、それでいて悲しい。
 好きという感情を彼からもらう事実は、世界で生まれる幸福の何よりも幸福指数が高い愛だと言うのに、私はそれを、どうしても恐ろしいと思ってしまって。始まりがあれば終わりがあるように。生まれ落ちればいつかは死んでしまうように。生きとし生けるもの全てに終わりが来てしまうから。
 私は 盧笙と終わってしまうのがこわい。

「わかってないわけじゃない。嬉しい。嬉しいよ……嬉しいんだよ」
「…おう」
「でも、でもろしょうは、ろしょうが、っ……」

 感情や言葉より先に涙が出てきてしまう。それもわかっていたのか、盧笙は席を立って、隣に座ってくれる。店員の視線なんてものともせず、袖で涙を拭われた。いつまでたっても力加減がわからずに痛いくらいに擦ってくるその行為ですら食べてしまいたいくらい愛おしい。せっかくお気に入りのアイシャドウをつけてきたのに、盧笙の袖が全部持っていってしまった。人差し指が涙を掬うから、その指もキラキラしていて、きれいだ。

「ろっ、ろしょうは……わたしが、」
「うん」
「す、好きなのに、盧笙が、ろしょ……っ、うう」
「はは、なんやねん。好きなのは知っとるよ、ありがとう」

 眠れない子供を寝かしつけるようなゆったりとして穏やかな、盧笙がきっと、きっと私だけに向けるこの声が好きだった。好きだよなんて言葉では適わないくらい、愛を乗せて届くから。

「…泣かんで、とはもう言わんけど」
「っ、うん」
「俺はお前とずっと一緒におりたいやんか。そんで、お前もそうやんか。それだけじゃあかんか?」

 あかんわけない!と全身が叫ぶのに、口から漏れるのはみっともない嗚咽だけ。それでも目の前の、眩しい男にはどうやら伝わってくれたらしい。

「約束がほしいならつくるし、契約がほしいなら結婚しよう。でもそうじゃないんやろ。そういんに縛られなくても、一生があることを俺が証明したるよ」

 私の気持ちを全部吸い取って、それから欲しい答えをくれる盧笙は、いつだって私の選択肢を一つにしてくれる。まっすぐ、優しい彼のことを、彼が私を思うのに負けないくらい、私も好きだと思いたい。

「盧笙、すきだよ」
「ん…。なんや照れるわ」

 温くなった桃のソーダも、今日ばかりはおいしく思えた。

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