階段にかかる影が濃い。はっきりと映るそれが自分と同じに動くのをぼうっと眺めながら一番上まで上るわけでも一番下まで下りるわけでもなくふらふらと彷徨っては時折こみ上げてくる溜め息を吐き出していた。
 今日、ここまで来たのには理由がある。親に頼まれたのだ。波羅夷さん家に届けて来てねと言って手渡された風呂敷の中には大量のトマトが入っている。重たいし、あんまり暑いところに置いておきたくないし、早く渡したほうが良いのは自明であるのに階段を上る脚が進まない。波羅夷さんの家と私の家はまあまあのご近所さんで、父と空却のお父さんが友達で、度々こういうことがある。いやだな、いやだな、いやだな。どんどん重たくなる脚を引き摺ってちまちま段差を上がっていく。
 どうしてこんなに嫌なのかと問われれば、答えはたったひとつだけだった。空却に会いたくない。きっと修行をしている空却はお寺にいるし、私を見れば必ずと言って良いほど必ず話しかけてくれるだろう。幼稚園から高校までずっと一緒だった空却と私は所謂幼馴染というやつに分類されると思う。仲も良いと思う。でも私は今日、やっぱり空却に会いたくない。はああ、と大きな溜め息を吐ききる前に視界がそっと暗くなり、腕の中から重さがなくなる。驚いて顔を上げれば、目の前には真っ赤な髪の毛。

「よお、遅かったじゃねえか。お前の母ちゃんが連絡してきてから一時間も経ってんぞ」
「く、くうこう」
「あ?なんだよ。階段でへばるタマじゃねえだろ。親父がお前はまだかってうっせえんだよ」
「ごめんなさい…」
「謝ることじゃねえ。おら、行くぞ」

 私が両手で抱えていた風呂敷を軽々片手で持った空却が、空いた手で私の手を握って進んでいく。汗ばんでいやしないだろうか、と一瞬で思考が固まってしまった。
 空却に会いたくなかったのは、私が空却のことを好きだからだ。

「これ中なんだ」
「とまと。今日採れたやつ」
「おー、いつもサンキュ」
「うん」

 階段を上りきって、手がそっと離れていく。数秒もしないうちに空却のお父さんがこちらへやってきた。

「ああ!心配したんだよ、暑かったから熱中症になってるんじゃないかと思ってね」
「暑さでくたばるような奴じゃねえっつーの」

 ぎゃいぎゃいと私を置いて繰り広げられる親子トークに胸が温かくなりつつ、空却にトマトは渡したし、お父さんに挨拶も一応したし、ミッションコンプリートだ。と、踵を返そうとしたところで空却に腕をガッチリと掴まれる。えっ、なに、と言おうとしたのも束の間のこと。元々距離の近い空却がさらに顔を近づけて、意地の悪い笑みを浮かべる。

「今日、拙僧が昼飯当番なんだよなァ」
「う、うん…がんばって」
「ふうん?」

 すべてを見透かしたような笑みと瞳を向けられて、だから嫌だったんだと全身が告げている。空却は、私が空却を好きなことを知っているのだ。言葉に出して言ったことも言われたこともないが、きっと知っている。空却が私のことでわからなかったことなんて今までひとつもないからだ。

「て、つだうよ…」
「っしゃ!行こうぜ」
「空却!」
「あーうるせえうるせえ!こいつが手伝うっつってんだからこいつの意思だろうが!」

 お父さんを巧みにかわして向かう先は台所だ。空却を好きだと自覚してから格段に来る回数が減ったのにも関わらず、この広いお寺のどこになんの部屋があるか忘れていない自分が憎い。時たまご飯を作りたがらない空却の代わりに台所に立っては、一緒に御飯を食べている。

「パスタにしようかな、トマトあるし」
「洒落てんな」
「洒落ては無いと思うけど…今日は何人分?」
「あー…あー…?十五?」
「はあい」

 戸棚からパスタを取り出してお鍋いっぱいにお湯を沸かす。お鍋はみっつ、パスタは二十人前分。少し多めなくらいで良いと知ったのは中学生の時のこと。空却は見た目に反してよく食べる。見た目に反して、なんて本人に言ったら絶対に怒るだろうけれど。

「最近忙しいのかよ」
「えっ、うーん、別に普通だよ」
「へぇ。じゃあなんで拙僧の連絡ことごとく無視してんだ?」
「い、いそがし…くて……」
「ハイ嘘」

 お鍋の水がお湯に変わるまで、少なく見積もってもあと三分はかかってしまうだろう。

「くだんねぇこと考えてんだろ」
「……何言ってるかわかんない」
「カッ!嘘が下手なこって!」

 お鍋の中を見つめる私の顔を無理やり自分の方へ向けて、彼と視線が合う。予想と反して空却は笑っていた。

「いつでもいいぜ?拙僧は」
「なっ、」
「お前のココロノジュンビができたら言えよ」

 カカカ、と軽快に笑って距離を離した空却は満足げだ。ああ、全部わかられている。

「空却のばか」
「ハイハイ。おら、お湯沸いてんぞ」

 わかった上で私に選ばせるのは、彼なりの優しさだとでも言うんだろうか。

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