茹だるような陽の光が肌を刺す。暑いというよりは痛いの方が正しい日差しが容赦なく降り注ぐ教室の窓際でじっとりと嫌な汗を首に纏わせながらチョークの文字を追う。こつこつと黒板に擦り付ける音が響く教室の中は静まり返っている。進学校とは言えど夏期講習に参加する生徒は多くなかった。みんな、高校最後の夏休みを満喫するのに忙しいらしい。予備校や学習塾という人もいるが、大抵は海や山に出かけていることだろう。この天気だ、さぞかし楽しいだろうな。
 溜め息を吐き出しそうになるのをぐっと飲み込んで黒板の解説を見つつ問題集を解き進める。先週の模試の結果が気になりすぎてずっと胃が痛い。暑いし眠いし具合いも悪いし、帰りたいけれど許されないし。受験戦争は最悪だ。

 ガラリとドアの開く音。それから数人、学生服を着た人が入ってくる。一番最初に入ってきた荒船くんと目が合って体が固まった。口角だけがそっと上げられて、どきりと心臓が跳ねる。手を振るなんて大きなことはしないけれど、私にだけわかるようにアクションを起こしてくれる荒船くんが好きだ。人として尊敬している。荒船くんは迷わず私の一つ後ろの席に座った。入ってきた人が全員ボーダーに入隊している人達だったので、今からお仕事で出られなかった授業の埋め合わせをするのだろう。誰もが選びたがらない窓際の席を選んだ理由を考えて、都合の良い方向に思考が転がっていくのをどうにかせき止めた。そんなはずない、そんなはずはないけれど、そうじゃなくったって嬉しいと思うことくらい、許されやしないだろうか。

「なぁ、プリント見せてくんねぇ?」

 いつもはハッキリと吐き出される彼の声も、人の少ない教室の中では少し小さめだ。話しかけられたことに大袈裟に肩を飛び跳ねさせてしまった私を喉の奥で笑った荒船くんは、振り向いて目を合わせれば「暑いな」と微笑みかけてくれる。「暑いね」と返すのが精一杯なのが苦しい。今日配られたプリントと、余計なお世話かもしれないが既に板書を終えたノートを一緒に差し出せば緩く笑って「ありがとう」と返ってくる。目線を合わせて、きちんとお礼を言える人間は実のところ同い年の男の子にはほとんどいない。こういうところが好きだと自覚させられては、勝手に引き上がる体温。プリントとノートに目を通し始めたのを確認して前を向いた。もっと丁寧にノートを書けば良かった、なんて今更どうしようもないことを。追い詰められていく暗い思考と、彼と会話が出来た喜びから逃げるように意識を問題集に戻した。講習が終わるまであと二十分。夢のような、地獄のような1200秒間。制服に皺がついたりしていないだろうか。髪の毛が乱れたりしていないだろうか。整えるのはきっと不自然だし、前の席の人間がそわそわと動けば気が散るだろう。スプーンでぐるぐるとかき混ぜられてしまった思考回路で、まともに勉強なんかできる訳ない。できる訳ないのに、私の指は勝手に解答を求めていくのだから、不思議だ。

 とんとん、と彼の指先が肩を叩く。再度驚きに飛び跳ねつつも振り返れば、ノートとプリントを手渡された。

「ありがとう」
「ううん。お役に立てて良かったです」

 会話はたったそれだけで、私のほうが保たなくなってしまってすぐに前を向く。感じ悪いと思われていたらどうしよう。ノートがわかりづらいと思われていたらどうしよう。私だけではわからない疑問が沢山浮かんでは、徐々に悲しくなっていく。変なことを書いていなかっただろうか、と今日まとめたばかりのページを開けば、見慣れない文字があった。

『ノートありがとう。助かった。この後映画を見に行こうと思ってるんだが、家まで送る。用事はないか?』

 ドクン! 心臓が大きな音を上げて飛び跳ねる。ひゅっ、と自分の息を吸う音が聞こえた。映画館はここから私の家を超えた先にあり、たまたま方向が同じなだけだ。そう言い聞かせてはいても、こんなに嬉しいことを都合よく解釈するなと言う方が無理だ。返事をしなきゃ、と筆箱の中に入っている動物が可愛らしいイラストで描かれたデザインの付箋に文字を書く。はりねずみ、荒船くんにちょっと似ていて可愛いな、なんて。

『どういたしまして。荒船くんさえよければぜひ』

 本当だったら私も映画を見に行く予定だったの、だとか、そういうことを書くのが正解とされているのかもしれないが、今の私にはどう足掻いてもこれが精一杯だ。やることを終えて眠そうに座っている教師の目を盗んでそっと荒船くんの机に付箋を貼り付ける。恥ずかしくて、目は合わせられなかった。秒針が一秒を刻む時間が、さっきよりずっとずっとハイペースに感じられる。ああ、どうしよう。今日の夜までどうか息が止まりませんように。


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