窓からするすると入ってくる風が気持ち良い、と目を瞑る。カーテンの靡く姿が綺麗だった。誰もいない放課後の教室、窓際の席で勉強するのがいっとう好きだ。席替えのときは窓際になるように祈って止まないし、窓際になれなかった時は誰かの席を勝手に借りて勉強してしまう。ここに座っていたのは誰だったか忘れてしまったが、人が来たことなんてほとんどないのでどうだって良い。今日も見回りの先生に帰宅を促されるまではここにいよう。目を開けてテキストを開き直しシャープペンシルを手に取る。家より予備校より図書館よりここでの勉強が一番捗る。疲れた時は外に目を向け、部活動をしている生徒を見て、少しだけ羨んだりして。元々スポーツは得意でも好きでもないから羨んだって仕方がないのだが、ああいう集団行動には少しだけ羨望を抱いてしまう。皆で同じ目標に、一つになって向かうこと。あの一体感はそれを全力でやっている渦中にいないと味わえないものだろう。想像だけの世界で、勝手に、勝手に、羨ましい。幼い頃から勉強ばかりしてきた反動だろうか。強制されてやっていることではないのだけれど。

 ガラリと戸が引かれる音で肩が跳ねた。先生が来るには少し早い。慌てて出入り口に目を向ければ、クラスメイトの出水公平くんが立っていた。ぽかんと口を開けて、驚いた顔でこちらを見つめている。そんなに放課後の教室にいることが珍しいのだろうか。用事はないし、特別会話を交わしたことがある訳じゃない。そっと目を逸らし、再度机上に意識を向けた先、声をかけられて彼の方向へ引っ張り上げられる思考。

「そこ、おれの席、なんだけど…」
「えっ。ごめんなさい。窓際の席、勉強捗るから…」
「あっいや別に、嫌だったとかじゃねえから、いいんだけど…。ってか、勉強してんの?まじで?」

 一体何の用があって教室に来たのだろうか。おもしろがると言うよりは本当に不思議そうにテキストとノートを覗かれた。彼の席だったのか、それは悪いことをしたな、と一つ後ろ席に移ろうと思えば慌ててそれを止められる。不思議に思って首を傾げれば、出水くんは少し笑って前の席の椅子に座った。背もたれに腕を乗っけて、完全に私と会話をする体制に入っている。昼休みに彼と彼の友人がそうしているように。

「ノート綺麗だな」
「あ、ありがとう…」
「大学受験の勉強?」
「うん」
「進学校じゃないから大変そうだよな」

 会話の始まりも終わりもわからない。そもそも会話が得意じゃないし、彼が対話をしてきていることに驚いている。なんとなく、勝手にだが出水くんも自分から沢山話す方ではないと思っていたからだ。人の話を広げるのは上手だが、自分から大きな輪に好んで飛び込んでいくタイプだとは思えなかった。彼の教室での立ち位置はちょうど真ん中くらいだと思うし、この読みは外れていないと思う。

「日ぃ暮れるし、帰ろうぜ」
「あ、うん…」

 一緒に帰るのだろうか。私が机を片付けるのを待っているように思えたので急いで鞄に荷物をまとめた。自然な流れで隣を歩く出水くんは、そうすることが普通のように思わせるから不思議だ。他の男の子とは違う、柔らかさがある。こわくないし、いやじゃない。

「出水くん、教室になんの用事だったの?」
「おまえがいたの見えたから」
「えっ」
「はは、じょーだん。忘れ物したんだよ」

 ボボボ、と火がついたように赤くなる頬。こっちを見ないでくれと願った。冗談とかいうんだ、しかも、こんな冗談を。出水公平くんという人間を履き違えていたかも知れない。アップデートをしなくちゃ、と脳をまわす。出水くんの足取りは軽く、どことなく上機嫌に見える。夕焼けが眩しくて、オレンジ色の光は出水くんに似合っていた。出水くんの口から漏れていくのは、本当に他愛もない会話。購買のこのパンがおいしい、古典の先生が好きじゃない、次のテストの範囲が広すぎる。そんな、会話。

「おれは三門大学に多分行くんだけど」
「うん」
「それまでにおまえに言いたいことがあって」
「…うん」
「でもたぶん、今じゃねえから、ちょっと待っててくんない?」
「わか、った」

 出水くんが何の話をしているかわからない。私が志望する大学は三門市内にはないため、出水くんに会えるのは高校に通っている間だけだ。だからそれまでに、という言葉を選んだのだろうか。わざわざ、一クラスメイトに言いたいことがあるなんて宣言をするだろうか。言いたいことの検討もつかない。

「あー、検討もついてない感じ?」
「えっ。うん…」
「まあそうだよなー。結構アピールしてるつもりなんだけど」

 彼の横顔が笑う。吐き出される言葉は布団みたいに柔らかい。突然、指先に自分のものではない温度が触れた。人差し指をそうっと握り込まれて、歩いていた脚が停止する。私の顔を覗き込んだ出水くんが、端正な笑みを浮かべている。

「受験、がんばろーな」

 きゅ、と握られる力が強くなった意図を測りかねて、曖昧に頷くことしか出来ない、それでも出水くんは満足げな表情で歩みを再開した。指が絡まっているから、自然と私の脚も動く。無言の会話が行われているようだった。

「おれ、駆け引きはけっこー上手い方だと思ってて」
「かけひき」
「うん。…今はわかんなくてもいーよ」

 出水くんの頬がほんのり紅い気もするし、夕陽のせいな気もする。どうか、私の顔の熱も夕陽のせいになりますようにと祈る。指先から心臓の音が伝わってしまったらどうしよう。そんなことを考えながら歩くいつもとは違った帰宅ルート。家の前で指を離した出水くんが、ひらひらと手を振っている。

「またあした」

 後を引くことなくあっさり別れの言葉を告げられて、困惑しつつも同じ言葉を彼に返す。出水くんと話したことが初めてな訳じゃないが、特別な会話をしたのは初めてのことだった。
 ああ。指先が、呪われているように熱いままだ。

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