特別な人

※透明恋心の続き


あれからエレンはアルミンにサキュバスの事を教えてもらった。精気を死ぬまで吸い尽くすような輩が居る事や、サキュバスの回避方法。それを聞いた時はそんなアホな話があるのかとエレンは吃驚した。それもその筈だ。その回避方法が枕元に牛乳の入った小皿を置いておけばサキュバスはそれを精液と間違えて持って行くらしいとの事だったからだ。流石に間違えるような代物では無いだろう。それで本当にサキュバスを回避出来たら良いが、とエレンは半信半疑で一応その通りにして床に就いた。
その夜、時刻は深夜一時を過ぎたくらいだろうか。エレンは自分のベッドの傍らに何かがのし掛かるのを感じていた。気を緩めたら直ぐにでも夢の中に行ってしまいそうな意識で、それを確かめるように手をゆっくりとそれに伸ばす。指の先に触れたその感触はどこか既視感を覚えるもので、触れた指先を折りそれを掴んだ。

「…っ」

エレンが伸ばした手の先で息を呑むような音が聞こえる。触れた手に伝わる振動からそれが動いたのが分かった。だけど離そうなんて思う訳も無く、寧ろそれが動いた事で揺蕩う意識を此方側に引き戻す事が出来た。

「…何だよ、こんな時間に…」

そう言ってエレンは上体を起こし、自身の手で掴んだものの存在を確かめる為に暗闇の中、目を凝らして見る。さっきまで本当に眠っていたからか完全に目蓋は開かなくて、夜目にも慣れていないからか容易にその存在を確かめる事は出来なかった。だが、さっき漏らされた息を呑むような声は明らかに女のもので、その存在に全く覚えの無いエレンはそれを掴む手に力を入れる。
こんな深夜に男の部屋に女が来る筈が無い。日中ならミカサ辺りが来る事は有り得るだろうが、今は普通人間が眠っている時間だ。母が来る事は有り得るかもしれないが、それだったらもっと堂々と、こんな風にこそこそ来たりしないだろう。それなのにこんな深夜にこそこそと来ると言う事は、何か疚しい事柄に関係しているに違いない。泥棒か、強盗か。それとも普通の人間には思いもつかないような事か。何れにせよ、エレンは例え相手が女であれ容赦する気は無かった。だが漸く夜目にも慣れてきてその存在を認識すると、思わず強く握っていた手をエレンは離してしまった。

「な…」

そこに居たのはリルだったからだ。いや、もしやこいつこそがサキュバスで、今はリルの姿をしているだけなのか。だったら、現実だと思っていた今はもしかして夢の中なのか。それにエレンの頭は混乱して、どうして良いか分からず手を離してしまったのだ。
対してエレンの事を見ている少女の顔はいきなり腕を掴まれたからか吃驚していて、何かを言いたそうに口をぱくぱくさせている。だけど実際に声に出す事は出来なかったのか、その口から音が出る事は無かった。
エレンはもしこいつがサキュバスだったらと枕元に置いておいた小皿を見るが、それはやはり当たり前のように鎮座している。やっぱりこんなアホな方法は役に立たないのか、それとも目の前に居る少女はただの人間なのか。そうだとしたら今同じ部屋に居る少女はリルなのか。
考えれば考える程にこんがらがっていく思考にエレンは溜め息をつくと、少女を見据えた。やはりリルそのままといった容姿の少女はエレンの様子を窺うように黙って見ている。その理由がなんであれ、男の部屋に忍び込んだのだから下手な事は言えないのだろう。

「…なあお前」
「はいっ」

エレンは取り敢えず現状を認識する為に少女にそう話し掛ける。少女はそれに対してびくりと肩を震わせ、エレンを不安げな眼で見詰めた。こういう反応を返す辺り強盗とかでは無いだろうとエレンは思い、さてどういう話をしようとも考えた。
単刀直入にサキュバスなのかどうか聞くか?いやもしそうじゃなかったらめでたく変人の仲間入りかもしれない。この少女が不法侵入だと言う事は今は置いておいて。だけどやはりそこが一番重要な所で、エレンは一拍おいて口を開いた。

「…サキュバスって、いう奴なのか?」

そうエレンが尋ねれば、少女は顔を真っ赤にし俯いて「はい」と答えた。エレンにとってはその答えは求めていたものであり、そうで無いとも言える。続けて、もう一つの疑問をエレンは口に出した。

「リル、だよな」

尋ねるというニュアンスでは無く、確かめるといったようなニュアンスだ。少女の口から出された声はリルそのものであり、容姿もリルにしか見えない。これでリルじゃ無いとなると、世の中にはどのくらい似ている人が居るんだと言いたいくらいだ。

「…そう、です」

やっぱり。疑問は確信へと変わり、リルの手をエレンは取る。リルは気まずいのか何故か敬語になっていて、此処に来た目的であろう事とあまりにも対照的なその姿に思わずエレンはふっと笑みを零した。夢の中ではあれ程積極的な癖に、今のリルは顔を赤くしたり何故か敬語になったりと、ギャップが激しい。いや勿論今のリルが普段エレンが見ているリルで、夢の中のリルはエレンが見ているリルとはかけ離れた性格をしている訳だが。これもサキュバスである所以なのか。

「…いつから、私がサキュバスだって気付いてた?」
「サキュバスだって思ったのはアルミンに相談してそういう悪魔が居るって聞いてからだよ。それまではすげえ気まずい夢ばっか見るなって…」
「そっか…」

リルはエレンに掴まれた手を振り払う事もせず、ただ大人しくベッドの端に腰を下ろしたまま。気まずくて逃げ出したいのだろうが、それで今の、リルの正体がばれた事実が変わる訳でもなく、エレンに手を掴まれているからそれが出来ないのだろう。エレンもリルを逃がす気など更々無く、そのつもりで手を握ったのだ。
その理由は、まだ聞きたい事が沢山あるからだ。確かに一番知りたい事は答えが出た。だがそこから更に発生する疑問を放っておく事など出来なかったのだ。エレンはリルの手を握っている自身の手に更に力を入れて、こう言った。

「…サキュバスの事はアルミンから聞いて大体分かったけど、どうしてリルは俺の所に来たんだ?」
「それは…ただ、エレンが良かったってだけで…」
「その理由が知りたいんだよ。俺が良かったってのはどうしてだ」

エレンがそう言うと、リルは言葉に詰まる。仄かに赤く染まっていた頬には更に赤みが増し、簡単に口に出せないような事柄だと言う事が窺えた。だけどエレンはそれで引くような性格では無い。それは何故だと疑問を持ったなら答えを見つけられるまで一直線だ。
リルはそんなエレンの性分が分かっているのか、羞恥心に震える唇をゆっくりと開いた。

「え、エレンが、好き…だから…」
「…え?」
「エレンが好きだから!だから他の人とあ、あんな事…出来なくて…っ。きっとバレないだろうから、どうせならエレンからって…」
「…きっとバレないだろうからってどういう意味だよ。見た目そのまんまリルだったじゃねえか」
「…え、嘘!?」

エレンが夢の中でのリルがそのままリルの見た目だった事を伝えると、リルは驚きに目をぱちくりさせていた。一瞬俺の事を鈍感だと言いたいのか、と思ったエレンだったが、どうやら違うようだ。リルは驚きに満ちていた顔を次の瞬間真っ赤にして、それを隠すように頬を手の平で覆ってしまった。

「そんな筈は…」

そのリルの反応に、エレンはアルミンが言った事を思い出す。

『夢に現れるサキュバスの容姿はね、対象の人にとって一番魅力的な姿で現れるらしいんだ』

その話が本当だとしたら、リルは俺の夢に現れた時自分とは違う姿なのだろうと思っていたという事か。そうエレンは思い、同時にその言葉に込められた意味に顔が熱くなる。だがまだそうと決まった訳では無い。リルの、本物のサキュバスの口から聞くまでは不確定事項だ。

「…リル、サキュバスの容姿が変わるって話、本当なのか…?」
「…うん。その人が理想としてる、魅力的だって思う人の姿になって夢に出て来る筈だから…」

リルは其処まで口に出して「あ」と思い出したように言った。エレンはそれにぴくりと肩が揺れ、やってしまったと言うように頭を抱える。リルはエレンを恐る恐る見やると、エレンはそれから気まずそうに目を逸らした。

「…エレン、あの…もしかして…」

アルミンから聞いた事はたった今リルの発言によって肯定された。夢に出て来るサキュバスの姿は、対象の人間にとって一番魅力的な姿になって現れる。それが本当だと言うのなら、エレンにとって一番魅力的だと思っているのはリルになるのだ。
リルもさっきのエレンの発言を思い出したのだろう。エレンの夢の中での姿はリルそのままだったと。それはつまりそういう事で。
それがリルに分かってしまったという事が、エレンにとって恥ずかしかったのだ。

「…さっきの、私の姿がそのままって話。私の事、魅力的だって思ってくれてるって、そういう事だよね…」
「…」
「そ、それって、その…っ。私の事、好きって、いう事かな…」
「…悪いかよ」

エレンはそう答えるしか出来なかった。そもそも自分でも良く分かっていなかった事だし、素直に返すのも気恥ずかしかったのだ。それでも精一杯の肯定の言葉に、リルは赤かった顔を更に赤くした。

「わっ、悪くないよ…っ。嬉しいよ…?」

私もさっき言ったようにエレンの事好きだし、とリルは照れながらそう言った。

「…だから、あの…付き合って、くれる…?」

おそらく好きであろう女の子からそう言われれば、そしてその前に自身の気持ちもぶっちゃけていれば、断るなんて選択肢はエレンには無かった。勿論始まりは普通じゃなかったが、そのおかげで自身の気持ちが分かったようなものだ。

「…ああ」

そうエレンが答えれば、リルの赤かった顔の中に喜びの感情が見える。それに思わず可愛いと思ってしまって、エレンはリルから手を離し再び目を逸らした。
まだまだ問題は色々ある。だけど。

「…これからも、よろしくね。エレン」

その言葉に込められた色々な意味を受け入れるように、エレンはリルからの口付けを受け入れた。

[ 37/80 ]

[*prev] [next#]
[トップ]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -