二日目

ふわふわとした感覚に包まれて、心地よい温もりを感じながら私は目を開ける。
窓からは眩しいくらいの光が差し込んで、今は朝なのだと言う事が窺えた。
不意に手元の違和感を覚えて其方に目をやると、私の腕に嵌められた拘束具とそれをベッドの柵に繋げる鎖。
ああそうか、私は今エレンに拘束されていたのか。
あのまま、エレンに抱き締められたまま寝てしまったらしい。
肝心のエレンは隣には居なくて、キッチンからはパンの香ばしい匂いとカップにお湯を注ぎ入れる音…恐らくスープを作っているのだろう。
朝御飯の用意をエレンはしているらしい。
上体を起こして、ベッドの柵に背中を預ける。
カチャカチャと食器がぶつかる音に、家族と暮らしていた時の事を思い出して少し安心した。
どこに居てもこの感覚は変わらないのか。
エレンは朝食の準備を終えたのか、少し慎重な足取りで此方に向かってきて寝室の扉を開けた。
スープの甘い匂いが鼻孔を擽り、食欲を刺激される。

「リル、おはよう」
「…おはよう、エレン」

エレンの手にはトレイと、その上にはトーストとスープが入ったカップ、温かそうなカフェオレが乗っていた。
エレンはそれを持ったままベッドの端に腰を下ろし、膝の上に乗せる。

「腹、減ってるだろ?ご飯食えるか?」
「…うん」

確かに毎朝ご飯は食べていたのだからその習慣がいきなり抜ける訳は無くお腹は減っているが、こうして拘束されているとその食事に手を伸ばすのも容易では無く。
エレンはそれを理解したのかスプーンでスープを掬って、私の口元へと運んだ。

「ほら」
「い、ただき…ます」

怖ず怖ずと口を開くと、エレンはそこにスプーンを入れて少し傾けた。
舌の上に流れ込んでくる甘いコーンスープは何時も私が飲んでいた物と同じ物で、ほっとする。
少しずつ、私のペースに合わせてエレンはスープを飲ませてくれて、時折パンを口に寄せられそれをかじる。
パンもスープも全て胃の中に収まった後、エレンはカフェオレが入ったカップを私に渡した。
取っ手がついている方を私に向けて、私はそれを受け取る。
取っ手に指を引っ掛けて両手で包むように持てば、カップを持つのは案外難しい事では無かった。
唇にカップの端をくっつけて少し傾ければ、甘めのカフェオレの味が口の中に広がる。
エレンは何時も砂糖は控えめだから、私用に作られた物だ。
その心遣いとあたたかさが身に染みる。
それにしても、こうされるとまるで介護されているみたい。
流石にエレンの目の前で逃げれる筈なんて無いのだから、こんな時くらいは外してくれればいいのに。
此処から出て、玄関のドアを開けて、外に出れるなんて無理だろう。
其処まで考えて、今私が着ている服を見る。
昨日のまま。ただ、下着はきちんと身に付けられていて衣服は正されているが。
此処には着替えが無いのだから、これではこのまま同じ服で過ごす羽目になる。
そんなの、流石に耐えられない。
どうにかして家に帰りたいが、エレンを放って置ける訳も無いしそもそもエレンが私をあっさりと解放するなんて事も有り得ない。

「じゃあこれ片付けてくるから、大人しく良い子で待ってろよ」

そう言ってエレンはトレイを持ち腰を上げた。

「あっ、ま、待ってエレン!」
「…どうした?」
「あ…、え、と」

しまった。つい、声を掛けてしまった。
エレンは立ち上がってキッチンまで戻ろうとした状態で、体を斜めに構え顔を此方に向ける。
どうしよう、どう言ったら良いのだろうか。
一度家に帰らせて?いや、直ぐ駄目だと言われる事が目に見えてる。
ちょっとだけ外にエレンと買い物に行きたい、という口実で服を買いに行くのも良いかも知れないと思ったが、私のバッグは今何処にあるのだろう。
そう考えているとエレンが先を促すように言葉を発す。

「…何かあるのか?」
「わ、私のバッグって今、何処にある…?」

声を掛けて引き止めてしまったのは私なのだから、取り敢えずは何か言わなければ。
そう思って口から出たのは、私のバッグの所在を尋ねるものだった。
少しの間静寂が流れ、エレンはゆっくりと口を開く。

「…別に必要ないだろ?」
「え」

必要ない、というのはどういう事だろうか。
バッグの中には色々な物が入っている。
それこそ必要ないと思える物は皆無で、そういう物を入れているバッグ自体も気に入って買ったものだ。
そして、ゲーセンでエレンに取ってもらったストラップだって付けているのに。

「必要ないだろ、使わないんだから」

使わない、なんて事は無い。
だって、新学期になったら学校でも使う機会があるかもしれない。
そもそも必要ないと言うという事は、必要になる機会が訪れる事は無いという風にも取れる。
エレンはそう言っているつもりなのだろうか。

「でも、大事なものも入ってるし…」
「大事なものって、何だ?」
「え、色々あるけど…。ポーチとか財布とかスマホとか…」

私が思い付くものを羅列していくと、エレンはふいっと顔を逸らした。

「…エレン?」
「…ポーチと、財布だけなら持って来てやる」
「う、うん」

スマホは駄目なのか、と口をつついて出てしまいそうになったが、寸での所で止める。
きっと、この状態から逃れようと誰かに連絡されるのを危惧しているのだろう。
エレンを放って置ける訳ないからそんな事はしないけれど、それを信じられる状態では無いだろう、今のエレンは。
此方を振り返らないままエレンは寝室から出て行って、ぱたりと扉を閉めた。
段々足音が小さくなって、キッチンからは蛇口から水が流れる音と食器同士がぶつかる音。
それも直ぐに止んで、エレンは再び寝室に戻って来た。
手には私のポーチと財布をもって。

「ほら」
「…ありがとう」

差し出された物を受け取って、膝の上に置く。

「何か他に欲しい物あるか?」

エレンはそう言って、私の隣に腰を下ろした。
欲しい物なんて、いくらでもある。
それらは私の家にある物が殆どなのだけれど、今の流れなら、言っても大丈夫だろうか。
ごくりと唾を飲み込んで、口を開く。

「欲しい物って言うか、一度家に帰りたいんだけど…」
「…どうしてだ?」
「服とか、ほら、色々ね?取りに行きたいの。こっちにちゃんと戻って来るから…駄目?」
「…」

エレンは無言になって、俯いた。
やはり、駄目だろうか。
そう思ったけれど、次の瞬間エレンの口から放たれたのは了承の言葉だった。
ただし、と条件が付いたが。

「俺も一緒に行って良いなら」

勿論その位の条件、全然良いと要求を呑んだ。
が、今は若干後悔している。
私のマンションまでは歩いていける位の距離で、人も疎らに居るくらい。
そんな道程で、私とエレンは手を繋いで歩いていた。
勿論それくらいなら恥ずかしいで済むから良いのだが、一つ、普通じゃない事がある。
それは、私とエレンが繋いだ手…互いの手首に手錠が嵌められている事だ。
幸い長袖だからあまり手錠は見えないが、こんなの、普通の人に見られたら確実に変な人扱いだろう。
確かに外は広い。その分逃げられる可能性は大いにある。
だけどまさか、こんな事をされるとは。
絶対逃げないからと言っても頑なとして私の言い分を受け入れて貰えなくて、こうしないと絶対に外に出さないと言われる始末。
仕方なく受け入れたが、何時誰に見られるか気が気で無い。
普段だったら直ぐの筈なのに、今は私のマンションに辿り着くまでが長く感じる。
やっとの思いでマンションの前に着くと、繋いだ手に更に力が入った。
まるで、絶対離さないとでも言うように。
そしてエレンが先導して、私が借りている部屋へと向かった。
鍵を開けて、中に入って。懐かしい空気にほっとして。でも、また暫くはこの部屋ともお別れだ。
成る可く早く戻って来れる事を期待して、必要な物だけをバッグに詰め込む。
そう、本当に必要な物だけを。
何時までもエレンの家に居るつもりは無い。普通に付き合えるようになるまで、少しの間だけエレンと過ごすのだから。
何でもかんでも持って行くと、これから先ずっとエレンの家に居ると決めたみたいで、軟禁されているような今の状況を受け入れたみたいで。
そんなの、受け入れたら絶対駄目だ。私の為にも、エレンの為にも。普通が一番良いに決まってる。
今、エレンがどんな精神状態に置かれているか分からないからあまり言えないが。

「…」

私にはあまり危機感と云う物が無いのか、マイペースで、のんびり屋で。何時も心に余裕があるというか、物事を楽観的に捉えていると云うか。こんな、普通だったら怯えてしまうような事に冷静でいられるのが、今は有り難かった。
冷静に物事が考えられるなら、きっと、悪い方向には行かない筈。そう思って、心に余裕がある今を嬉しく思った。

「…それだけで良いのか?」
「うん。これだけ」

コンパクトに纏められた荷物を持って、玄関まで歩を進めていく。中には着替えや、洗顔料等のフェイスケア用品にシャンプーやボディソープ等のバスアイテムを入れている。衛生用品も。成る可く荷物を最小限にしたからか、エレンはそれだけで良いのかと疑問に思っているようだ。

「他に必要な物無いのか?」
「これだけで大丈夫だよ」
「でも後からまだ必要な物あったって言われても対処出来ないぞ」

そのエレンの言葉に、少し引っ掛かる。まるで、もう二度と此処には戻って来ないみたいな言い方だ。
勿論自分はそんなつもりはない。いずれは此処に戻って来る。エレンとの関係は切らずに、だ。

「…大丈夫。戻ろ、エレンの家に」
「…ああ」

あくまでエレンの家だ、彼処は。私の家は此処で、エレンの家は彼処。
がちゃりと鍵を閉めて、元来た道を辿る。
私が帰る場所は此処なのだ。それを、忘れちゃいけない。
どんどん遠ざかっていく私の家を名残惜しく思いながら、エレンの家に着いた。
エレンは玄関の鍵を開けて私の荷物を寝室に置くと、そのまま私の手首も再びベッドに繋ぐ。やっぱり、エレンの家に戻るとこうなるのか。これも何時かは外せるようになれば良いのだが。
長時間ベッドの上と言うのは結構きついし、身体も鈍ってしまう。それに何より、私を繋いだままと言うのはつまり、エレンにとって私は何時逃げ出すか分からないと思われていると云う事で。
早くそんな事は無いと分かって貰える日が来たら良いのに。
私はエレンが好きで、エレンを放っておくなんて出来るはずが無いのだから。

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