ゆらゆらと不規則に揺れる体。覚えのある感覚に、落ちていた意識がゆっくりと引き戻された。


「………」


光も届かない薄暗い室内は、未だはっきりしない意識の下では1メートル先を見るのも困難。けれど鼻を掠める黴臭さと頭上を叩く足音に、ここが船だと分かる。ぎゅっときつく後ろ手に縄で縛られた身体をなんとか起こす。


「わ、たし…は…」


確かに自分の病室に居たはずで、そこから記憶を手繰り寄せる。朧気に浮かび上がるのは微かな薬品の匂いと…誰かの声。それはどこか悲しそうで、哀しそうで。理由も分からず何故か胸がちくりと痛んだ。


「私、どうなるのかな…?」


海賊に利用されるか、それともオークション行き?どっちにしろ今より酷い扱いを受けるに違いないだろう。


「………」


もう、クザンさんには二度と会えなくなるのだろうか。考えて僅かに眉間に皺が寄った。一体何を私は悲観的になっているというのだろう。それより今は現状打破が優先だ。


「私だって、海兵なんだから…っ」


きゅっと、唇を噛み締める。



「――……でよ」
「っ!」



その時だった。コツリと靴音が暗い空間に響き、話し声が耳に届く。目を凝らせばやがてぼうっと朧に揺れるランプの灯りが見て取れた。


「…お、気が付いたみたいだな」
「あなたたち、は?」


私の姿を捉えるなりニィと口端をつりあげる。その声と表情にぞわりと全身に悪寒が走った。


「立て!俺と一緒に来い」


そう言って私の腕を乱暴に掴み、無理矢理立たせる。きつく結ばれた縄が食い込んで、手首に走った痛みにひとり小さく顔をしかめた。薄暗い中を一歩踏み出すたびキシキシと床が軋む。


「………」


雰囲気からすると、人攫いと言うより海賊?甲板に一体どれだけ居るのか知らないけど、せめて海に。


「子猫ちゃんのお目覚めだぜ」


海に、逃げる事が出来るなら――。そこまで考えて、瞳に射す光の眩しさに思わずぎゅっと目を瞑った。ゆっくりと目蓋を持ち上げて、視界に捉えたのは20人ほど。


「おはようさん、倉庫の床はそんなに気持ち良かったのかい?」
「海軍の秘蔵っ子ってコイツ?」
「何だ、普通じゃん」


一斉に向けられた視線は酷く不快なもので、負けじと睨み付ける。けれどそれは何の挑発にもならず目の前の男たちはただ笑った。


「いっちょまえに海兵気取りか?」
「本当にこんな女に、そんな大層な力があんのかい?デマだろ」
「俺が知るかよ。とにかくオークションじゃ人魚と同じくらい人気の商品なんだ。売れりゃあ良いんだよ」
「………っ」


やっぱり彼らの狙いはヒューマンオークション。シャボンディで行われるそれは海軍も手を出せないと聞く。中でも人魚は高額で取引されるため狙う者が後を断たない。今でも私は覚えている、身を裂くような激情を。


「買い手なら、いくらでもつく」


この世界に未だ存在する、人身売買や差別。どうしようもないと分かっていても悔しかった。


「にしてもポラリスの奴もほんと馬鹿だよなァ。あいつ俺が商船の乗組員だって本気にしてるんだぜ」


びくり、肩が跳ねる。それはここで聞くはずの無い名前。驚きのあまり、私は隣に立つ男へと顔を向けた。


「ど、して…」
「そう言えばお前は全然知らなかったな。俺たちに身柄を引き渡したのは何を隠そうポラリスの奴さ!」
「そんな、嘘よ!」
「ポラリスと俺は同郷出身でな。いくら顔馴染みでも、海軍の将校サマに海賊だなんて言えるか?」
「……っ」
「今回の事だって持ちかけてきたのはアイツの方さ。これ以上見ていられないから、逃がしてくれってな!」


――…すいません

そうだ、そうだった。ここに来てようやくあの声は少佐のものなのだと思い至る。あまりに哀しいそれは、優しい彼そのものだ。


「ポラリス、少佐…」
「恨むんならヤツを恨みな」


裏切られたとか、そんな事を思ってるんじゃない。そうじゃなくて。


「良いか、アリエル。お前はお前の運命に振り回されず、ただ自分が信じたことを…人と海のあるべき姿を…」


海の護り手として、人と海を繋ぐことこそが私の使命だと思っていた。でも現実は何一つ変わらずに、ただ周囲の人間に迷惑ばかりかけ続けて。ポラリス少佐に、こんな手段を取らせた事が私は辛かった。


「……………っ!」


頬を静かに滴が伝い落ちる。こんな結末、誰も望んでいなかったのに。




「まーた泣いてんの?」




ほんとに、アリエルは泣き虫だね。そう笑った声は嘘ではなくて。甲板に佇むその姿を認めた時、どうしようもなく、涙が溢れた。


106回目のさよなら未遂


「クザンさん…」


船にあがってみれば、また泣いてるアリエルの姿。やっと見付けたのに、彼女は相変わらずで笑みが零れる。ただやはりアリエルが泣くところなんか見たくない。だから彼らには悪いけど彼女は返してもらうから。


(title:風雅)

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