事後処理をポラリス少佐に任せ、急いで海軍本部へ戻る。慌てている俺の姿がそんなに珍しいのか、驚く海兵を余所に走った。
「アリエル…アリエルは!」
待っていたのは併設された病院のスタッフではなく、普段あまり見ることの無い科学研究所の職員だった。彼らは俺の前に現れるなりアリエルを連れて中に消え、姿を見せない。痺れを切らして俺が捕まえたのはたまたま外に出て来た研究員だった。
「アリエル?あぁ、彼女ですか」
ようやく思い当たったという風に、ぽつりと呟く。残念ながらいくら大将なんて肩書きがあっても、研究所の職員でなければ中へは入れない。
「心配には及びません。処置は先ほど済んで、今は落ち着いてます」
アリエルは無事という言葉に、安堵の息を漏らす。白衣の彼女は鬱陶しいと言いたげにこちらを見た。こう言ってはなんだがここの研究所の職員たちは無愛想で、何だか気味が悪いと話していた海兵たちの言葉を思い出した。普段から何をしているのか分からないのもあるのだろうが。
「確かに」
こういった所は少し…いやかなり、不快に感じるかもしれない。
「でも何で研究所なの?別に病院じゃ駄目だったの」
それにしたってどうして、ここに連れて来られたのか。倒れただけなら、病院へ運べば良いだけの話であり。つまり、あれは「普通」ではない何かが起こったということだ。
「…大将殿は、乙姫のことについてどこまでご存知なのでしょうか?」
ふと、目の前の彼女は尋ねる。アリエルではなく、乙姫のこと。それはきっと純粋に彼女の好奇心から来ているのだろう。
「人並みだよ。それ以上のことは知らないし興味も無いから」
俺が興味を持ったのも心惹かれて止まないのも、ただの1人の女の子としてのアリエルであり他は要らない。知りたいとも思わない。あの縋りついてくる腕も、懇願するような瞳も乙姫としての彼女であると言うなら、それらは俺にとってただ不快でしかなかった。
「つまり大将殿は、今彼女に起きていることに興味はないと?」
「…乙姫に関することなんだ」
そう言えば彼女は肯定も否定もせず沈黙する。つまりイエス、今回のことは乙姫そのものに関係する話だ。彼女は腕時計を確認すると踵を返して研究所へと歩きだす。
「っ、ちょっと…!」
「知りたくありませんか?」
乙姫のこと。ぽつりと漏らして研究所へ消えた彼女を意を決して追った。
――乙姫。ここより遥か遠く、倭の国に伝わるおとぎ話の登場人物の名を冠する彼らは、海のために在る存在だった。海を守るために生き、そして彼らは静かに消えていく。
「乙姫の出現は古く、空白の100年末期にまで遡ることになります」
研究員の彼女に着いていくつかのセキュリティエリアを抜けていく。中では何十人もの研究員たちが、研究に明け暮れていた。ぱっと見ただけでは、何をしてるのか分からないがそこは気にしない。
「彼らは何百年という時の流れに身を置きながら、絶えることなくその存在を現してきました」
「そんなに古い血筋なんだ」
「ある種の伝説と言って差し支えない存在ですよ」
世界政府の成立よりも前から世界と共に在る乙姫、その血を引いているアリエル。一見するとか弱い彼らが何故ここまで続いてきたのか。
「乙姫とはつまり海そのものです」
「海そのもの?」
「能力者である大将殿には悪魔の実の力が備わっている。…同様に乙姫もある能力を有しているのです」
何故、世界政府は保護するのか。
「彼女たちは海と、海に生きる全ての生物たちと対話し心を通わせることができます。そしてその歌は海を癒す力を持っています…故に海の守護者」
不意にアリエルの口ずさむ歌が脳裏を過った。どこの物とも分からない、異国の言葉で綴られたメロディ。しかしそれは甘く優しく。
「ですが時としてその力は、世界を根底から揺るがすほどの危険性も孕んでいます。今から800年ほど前、世界は危機に直面しました」
「800年前?」
「乙姫の力の暴走…世界は海に呑まれ消えようとしていたのです」
生命を守る力。それが誤った方向にベクトルを向けたとき、刃へ変わる。
「最初の乙姫…始まりの聖女と呼ばれる彼女が引き起こしたそれは、想像を絶するものでした」
あぁ、なるほど。ここにきてようやくセンゴクさんの言葉が理解できた。乙姫の力は確かに恐ろしい。だがそれを利用すれば、味方につけられたら…これほど心強いものはなかった。
「乙姫のことは分かった…政府が保護する理由も。ただ俺が知りたいのはアリエルがどうしてあんなことになったのか、って事なんだけど」
そうだ。乙姫の能力やその強大さは十分理解出来たのだが、肝心の部分には触れてない。そう言えば彼女はぴたりと足を止めた。つられて止まれば、目の前の扉の存在に気付く。プレートには「第7保管庫」と表示され、倉庫と分かった。
「聞くところによると、今回大将殿が拿捕した海賊船には人魚が捕らえられていたそうですね」
「…それがどうしたって言うの」
「一概に言えませんが乙姫は18歳の頃を境に、本来持つ能力に目覚めていきます。人の身でありながら、海と心を通わせる者。それは魚人であろうとも例外ではありません」
意識を失う直前。確かにこちらを見ているはずの瞳はその実俺を映していなかった。違う「何か」を見ている。
「それって」
「あくまで切っ掛けに過ぎません。ですが確実に目醒めかけてます」
あれはあくまでその前兆、アリエルが乙姫となるための。乙姫としての能力を通して幻視した人魚の悲哀、フラッシュバックと反動によるキャパオーバーに耐えきれずアリエルの意識は切られた。そういうこと。
「…にしても、詳しいね」
中将より下の人間には一切伏せられている乙姫の存在。それにしたってこちらが与えられる情報は少ないのに。当たり前と言えば当たり前なのかもれないが、彼らは「詳しすぎ」る。
「乙姫に関する研究は以前より行われてきましたが、現在判明している事の大部分は近年分かったものです。ドクター・ベガパンク、彼の功績は量りきることができません」
「ドクター・ベガパンク…」
ここ最近、海軍の保有する科学技術は飛躍的な進歩を見せている。海楼石を応用した軍艦しかり、それらの裏には必ずある人物の影がちらつく。それがドクター・ベガパンク。
「乙姫の能力とそのメカニズム、更にはその血統に至るまで彼の手で解き明かされました。分からないのは始まりの聖女のことだけ」
「何でさ?」
「標本が無いからですよ」
IDカードを通し、長いパスワードを打ち込む。いやそれより、今なんて。
「っ、標本…?」
確かめるように漏れた言葉は、弱々しく擦れ。それが何を意味しているのかなんて何となく察しが付いてたのに気が付けば尋ねていた。
「えぇ、標本です。これまで世界政府が保護してきた乙姫たち…その全てがここに保管されているのです」
先代の乙姫も、そのまた先代も。キィという音を立てて無機質な金属扉が開かれる。
「…ご覧になりますか?」
世界の答えを識るモノ
「……………」
ぱかり、ポケットから取り出した懐中時計の蓋を開ける。決して進まない…時を刻むことを止めた針。いつだってそう、世界は無慈悲で無理解だ。
(title:ポケットに拳銃)
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