「ポラリス少佐」


そうしてポラリス少佐のプチお説教が済んだ頃。後片付けをしていたであろう海兵の1人が声をあげた。


「どうした?」
「それが…」


未だ怒り足りないのか、不満を露にしていた表情が海兵の言葉に一瞬で変わる。険しさの中に困惑を含んだ、琥珀色の瞳がちらりと私へ向けられる。


「何かあったの、少佐?」
「…海賊船の中を調べていた海兵からの報告なのですが」


小さく、言葉を濁した。それだけで良くない事があったのだと分かる。クザンさんの表情もいつものやる気のないそれではなく、隙の無い海兵のソレになっていた。…初めて見るかもしれない。


「案内してくれる?」
「良いですが、アリエルさんは」
「あぁ…」


見下ろす瞳が「一緒に来る?」と静かに私へ尋ねてくる。


「私も、行って良いですか」


この先にある事から目を背けてはならないと…何となく思ったのだ。海兵の義務だとか、そんな理由ではなく、何かに呼ばれてる気がして。


「離れちゃ駄目だよ。…少佐」
「こちらです」


傍らに立っていた海兵からランプを受け取り、薄暗い船室へ入る。昼間でも灯りが無ければほとんど何も見えないそこは陰湿で、全身にまとわりつく空気に不快感が込み上げた。少佐が持つランプの光を頼りに奥の方へ進む。


「ここです、大将」


時間にしたらほんの2、3分。それよりもずっと長く感じたのはどうしてだろう。


「倉庫…?」


暗い階段を下って辿り着いたのは、狭く小さな倉庫だった。少し黴臭いのは湿気のせいか。先に入ったポラリス少佐とクザンさんの後に続いて扉をくぐる。大きな樽や瓶が並ぶそこはどうやら酒の保管に使われたらしい。


「っ!…ちょっと」
「だから最初に、私は大将へ窺ったはずでしたが?」
「聞いてないんだけど」


ぴたと足が止まり、怒気を孕んだ声が響く。少佐の言葉に小さく唇を噛むのが見えた。


「クザンさん?」


恐る恐る声をかけてみるも、返ってくるものは無い。それほどまでに酷く余裕がないということなのだろう。ランプの炎に合わせて静かに揺れる影、意を決して前を覗き込む。


「………ぁ」


散らされた柔らかな蜂蜜色の髪、伏せられた眼を縁取る睫毛は未だ乾いておらず、碧の鱗に覆われた下肢は朧気な光に反射して煌めく。年の頃はきっと私と変わらない。


「人魚…人攫いか」


胸元に突き立てられたナイフは、深くその身体を抉り。勘違いでもなんでもない。――間違いなく、そう私は彼女に引き寄せられたのだった。


「恐らくシャボンディ諸島のオークション会場へ行く途中に、大将と遭遇したのでしょう。捕まってバレれば罪に問われる…だから彼女を殺した」


ここは元々、隠し部屋のような造りになってる。もちろん倉庫として使っていたのは間違いないようだが、本来の目的とは違う。淡々と事実を語る少佐の声はこれが現実なのだと私に突き付けた。同時にどうしようもない無力感が襲いかかってくる。


「アリエル」
「…大丈夫です、クザンさん。ちゃんと分かっていますから」


仕方のないことだった。力の無い私には、彼女の境遇をどうすることも出来なかった。それくらい分かってる。


「……―――」


ならせめて、無力な私は葬送の歌を…儚くも散らされてしまった目の前の彼女の魂のために送ろう。迷わず、苦しむことの無いように祈ろう。

この身は唄うことしか出来ない。


「…私は、何故生きているのでしょうか?何のため…に」


海と、そこに生きる全てのモノたちを守るための存在。それが私だと言うなら、それが私の生まれてきた意味だと言うのならあまりにお粗末すぎた。きゅっと拳を握り締める。


「アリエルのせいじゃない。だから気にしなさんな」


宥めるように優しくクザンさんは語りかける。重ねられた掌は温かかった。


「クザンさ、ん…」


こんな私でも出来ることはきっとあるはずだからと。見つめる瞳に、ようやく落ち着きを取り戻す。後悔したって仕方ない。


「取り敢えず戻ろっか」
「後はこちらで処理しますね」
「よろしく」


これ以上の感傷に浸るのはあまり良くない。ポラリス少佐は小電伝虫で上に居る海兵と連絡を取っていて、時期にここへ来るだろう。私が留まっていても邪魔になるだけだ。


「ごめんなさい」


今の私には何も出来ないけれど。これ以上、こんな事がないよう。



「――ゆる、さ…ない」
「っ?!」



投げ出された手に触れた時だった。訴えかけるようなそれは、脳内に直接響く。絶望と怨嗟に満ちた昏い声。


「ゆる、さない…ゆるさない、許さない、赦さない!」
「いや…やめ、て…嫌ぁ」


死ね、死ね、みんな死んでしまえ。まるで呪咀のように繰り返されるそれは間違いなく彼女の願いだ。滅びへの祈りは憤怒と変わり、身を焦がす呪いと化する。胸のうちに沸き立つ感情がただ私は恐ろしかった。


「アリエル?」
「クザン、さ…」


私の異変を察したクザンさんが戻ってくる。脳裏にちらつく幻影、その手にはナイフが握られて。伸びてくる腕とそれが重なる。…あぁ、私は死ぬ。


嫌ぁあああっ!
「アリエル!」


深く斬り抉られた幻想(ゆめ)を視ながら――それでも助けを求めて縋るように、眼前の影へ腕を伸ばした。


マーメイドの涙の海で


「たす、け…て」


ぐらりと力を失い、倒れこむ身体を受けとめる。意識を失う寸前、アリエルが溢した言葉がやけに耳についた。


(title:影)

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