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小柏カイ×






「はい、お疲れー」


七月の始め、初夏のサーキット。焼け付くような暑さと喉の渇き、何よりも汗で蒸れるレーシングスーツの不快感は最悪だった。プロのレーサーとしてこのレーシングチーム・カタギリで活動を始めたのは数ヵ月前のこと。栃木の田舎を離れ各地のサーキットを転戦する毎日だ。


「喉渇いてるでしょ?」
「お、サンキュ」
「相変わらずキレてるわねぇ」


車も親父のSW20ではなく、MR-Sへと乗り換えてる。もちろん使い勝手は違うがこいつもなかなか良い。


「マシンの調子はどう…?」
「咲良のセッティングは別に良いんだけど、路面の熱でタイヤがズルズルになっちまってよ。最悪だな」
「あー、サーキットの宿命だね」


そしてプロになった俺には、専属のメカニックが着いた。今話している彼女、咲良がそれ。つなぎの袖を捲りエンジンルームをチェックしながら、俺の溢す愚痴に苦笑する。ちなみに咲良は俺と同時期にこのカタギリに仲間入りした。


「まぁ、良い機会だし。これを機にタイヤマネジメントを学びなよ」
「タイヤか。いろは坂の頃は全然気にした事も無かったぜ…」
「ふふっ、それがプロとアマの差」


――プロになって、自分がどれだけ狭い世界に居たのかを認識する。それは俺も例外ではない。公道レースがくだらなく思えた。今まで積み上げた自信が、完膚無きまでに打ち砕かれる。


「それもそうだよな」


一度だけ、どうしてもプロが辛くなって逃げ出そうと思った時もあった。


「…つうか、腹減ったな」
「あ、もうすぐお昼じゃん!」


そんな情けない俺だけど、咲良が居たから今ここにある。…と言っても、レースで勝てずに卑屈になってた俺のケツをひっぱたかれただけだが。とにかく咲良に感謝してた。何よりも大事にしたい、そんな風にも思える。


「なあ咲良、この後暇か?」
「…デートのお誘い?」
「っ、良いからどうなんだよ!」


咲良と言う女は不思議な奴だ。仕事に関しては本当にプロで、彼女が駄目だと思った物は頑として譲らない。


「私はカイ次第なんだけど?」
「俺は午前中で終わり」
「じゃあ私もチェックして終わり」
「…良いのか?」
「だってカイのマシンもカイも、メンテは私の仕事でしょう…?」


けれど時折、こうして猫のように擦り寄って甘える時がある。口元に笑みを浮かべ、ぴったりと体をくっつけた。こんな時に限ってスーツの上は脱いであり、寄せた体の柔らかな膨らみが、薄い布越しに確かに当たる。


「っ、ちょ…咲良?!」
「ふふっ、カイってば可愛い」


そのまま唇が重なった。最初は軽く触れるだけ。そこから何度か重ねる内に深い物に変わっていく。時折漏れ聞こえる咲良の声が甘く響いて体の奥が痺れた。


「んっ、カイ…」
「咲良…すっげえ綺麗」


悩ましげに寄せられた眉に潤んだ瞳、赤く熟れた唇は酷く官能的で。


「俺、ヤバいかも」


ぎゅっと咲良を抱き締める。遠くで皆川さんの80スープラのエンジンが咆哮をあげる音が聞こえた。ここはまだサーキットで、まだみんな仕事中なのに。


「私のEKに行く、カイ?」
「いや…我慢する」
「意外と真面目なんだ」


そこがカイの良い所なんだけど、と咲良は笑った。白く細い指が優しく頭を撫でる。それが心地良い。


「…こんなとこ皆川さんに見付かったら怒られると思う?」
「俺、もう一本走らされるかも」
「あはは、それは大変ね」


けれど背中に回した腕を離そうとはしなかった。何故か今だけはこうして咲良と抱き合っていたい、そう思う。


「その時は、私も付き合うから」
「おう、サンキュ…」


長いホームストレート、2JZ-GTが滑らかに吹け上がる音が聞こえた。彼がこのピットに帰って来るまであとどれくらいかかるのだろう。そんな事を考えながら気が付けば再び咲良の唇を奪っていた。


非生産的な僕らの存在
(砂糖は甘いという間違った認識)



―――――
プロレーサーの小柏カイ。
あくまで色々私の想像ですよー。
てか普段何してるの?

title:カカリア

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