main | ナノ
藤原拓海+
※拓海姉(皆川彼女)






「私、この家出るから――」


茜色の夕陽がうっすらと箱根の山に影を落としていく。遠くに聳える富士の山に随分遠くに来たモンだと思った。セッティングを出し終えたハチロクのボンネットで水を飲みながら、不意に昨日の夜の出来事を俺は思い出す。



「拓海…?」



それは、酷く懐かしい声。プラクティスの最中ハチロクのセッティングを変えてもらってる時だった。振り返れば驚きに見開かれる双眸と目が合う。咲良だ。


「姉貴…」
「久し振り、ね」


元気にしてた?と尋ねる咲良の表情はどこかぎこちない。――2年前、高校を卒業すると同時に咲良は「家を出る」という言葉を残し出て行った。何のために何処へ行ったのかなんて知らない。ただ漠然と、咲良はしっかりしてるし大丈夫なんだろうと思ってる。


「姉貴は、何でここに?」
「実は…拓海に会いに来たの」
「はァ?」
「なんてね!」


引っ掛かったと言わんばかりにクスクス笑った。昔から咲良は俺の事をからかうのが好きで、全然変わらない。一緒に居た頃は腹が立ったそれも妙に安心した。


「今付き合ってる人がね、明日バトルするからって。その応援」
「彼氏?つうか、バトルって…」
「――咲良」


バン、とドアを閉める少し大きな音が駐車場に響く。視線の先にはヘッドライトを背に立つ男――皆川、だったか――が静かに佇んでいた。射抜くような鋭い視線がちらりと俺に向けられる。


「あ、英雄。もう終わり?」
「俺達は地元だしな。それに向こうだって、その方が色々都合が良いだろ」
「小柏くんは?」
「少し前に帰った」


目の前のやり取りと…咲良のその表情を見る限り、この皆川と言う男がさっき言ってた「彼氏」なんだ。


「咲良、そいつは…」
「ん、私の弟。英雄はもう帰る?」
「いや…スープラに居る」
「分かった。ありがと、英雄」


にこりと笑う咲良の頭を軽く撫で、奥に停めてある車へ向かう。本当は二人きりにしたく無かっただろうが、それでも久し振りの弟との再会に水を差すような真似は避けたのか。血は何にも勝る強力な絆だ――こんな時咲良との間にある繋がりを感じる。


「…ねぇ、拓海覚えてる?2年前に私が家を出てった時のこと」
「んなの忘れるわけねーだろ…」
「私が高3の時、だっけ?」


私も若かったなぁ、と一人苦笑した。


「英雄とは高3の春に出会ってさ。ほら友達と一緒にレース観戦に行ってたでしょ?その時の英雄がもう、格好良かったのなんのって…」
「ふーん」
「一目惚れ…ってヤツ?それからはとにかく英雄にアタック」


何だか少し意外だ。咲良は昔から大人しくて、俺とは違い文句一つ言わず親父の仕事を手伝っていたから。その咲良が自分からそんな事をするなんて。


「告白してOK貰ったのが夏休み。あの頃は嬉しくて、とにかく英雄と一緒に居たいって思ってたな」
「だから、家を出たのか?」
「ん、そーいうこと…」


遠い昔を懐かしむような、けれど甘い輝きを放つ瞳。あんな一緒に居たのに、咲良はこんな目をするのだと俺は初めて知る。――しばらくの無言の後、不意に咲良は俺の後ろに停まっているハチロクへと目を向けた。昔から家にあったこのクルマは、それでも咲良にとって随分久し振りに見た物だろう。


「ハチロク、まだ現役なんだ?」
「今は俺のクルマだよ」
「父さんは?」
「インプレッサに乗ってる」
「…似合わないね」


「…父さん、元気?」
「あぁ、ピンピンしてるけど」
「そっか」


もうしばらく会ってない。2年前に出て行ってから、咲良は一度も家に帰っては来なかったから。あんな出て行き方をした手前、咲良はなかなか帰って来にくいのかもしれないけれど。相変わらずの親父の様子を伝えるとホッとしてた。


「たまには帰って来いよ」
「え?」
「何を遠慮してんのか知らねーけど、実家だろ。普通に帰って来いよ。…たぶん親父も喜ぶし」


顔にも言葉にも出さないが、それだけは何となく分かる。俺の言葉に一瞬目を開き、けれどあの頃と何一つ変わらない笑みをフッと浮かべる。



「ありがとね、拓海…」



俺の頭を撫でる手は小さくて、2年という歳月の長さを感じた。それから少しお互いの近況報告をしていると松本さんの声がかかる。それは咲良と過ごす時間にピリオドを打たれた合図でもあった。


「何かごめんね、邪魔しちゃって。英雄も待たせてるし私帰るね。危ない事して怪我しちゃ駄目だよ」
「そんなの、今さらだろ…?」
「あはは、そうだったね」


咲良の言葉に一瞬視線が泳ぐ。言った本人は何気なく口にしたのだろうけど、それでも咲良の言葉は俺の胸に小さなしこりを残した。姉貴が家を出て行ったあの日の感情に似てる。



「……拓海?」



驚いたような瞳がこっちを向く。とっさに咲良の手を掴んでいた。


「ほんとに…帰って来いよな」
「まだ言ってるの?」
「何度でも言わないと、姉貴本気で帰って来るつもりねーだろが」


そして俺はこんなにも咲良に執着し依存してたのだと思い知る。無意識に力をこめていた手を払おうともせず、そっと手を重ねた。それはまるで駄々をこねる幼子をあやすような優しさを含んで。


「来月、高校のクラスメイトの結婚式があるからさ…その時に帰る」
「ほんとか?」
「ん、拓海と約束」


すっと目の前に出された小指。あぁそうだ、咲良はいつもこうして俺と約束した事は絶対に破らない。白く細いそれにそっと絡め、指切りした。


「…じゃあね、拓海」


今度こそ咲良は俺の背を向け、駐車場の片隅に停まっている車へと真っ直ぐに歩いてく。不意に視線を下に落とした。右手の小指にはまだうっすらと咲良の温もりが残っている。それは確かに彼女がそこに「居た」と言うシルシ――。


「藤原、そろそろ行くぞ」
「分かりました」


真夏の温い風が頬を撫でた。二人の約束を知るのは、ただ箱根の山のみ…今日も静かに夜が更けてく。


さようならを繰り返す惑星
(希望は空と大地と君の中に)



―――――
拓海のお姉さんです。
あくまでも家族愛なんですよ。
皆川さんは…何となく?

title:カカリア

戻る