main | ナノ
舘智幸×






ちらりと一瞬バックミラーで後ろを見遣り、インテグラがまだ着いてきているのを確認した。まるでレーシングエンジンのような渇いたサウンドを響かせる。そこには時折ウエストゲートの抜ける音が確かに混じっていた。


「………」


そろそろゴールに近い。この一つ先のヘアピン、同じFF車でもターボ仕様のインテグラは出口のトラクション不足で失速するはずだ。果たしてそこを抜ければやはりインテグラとの間が開く。


「相変わらずだな」


小さく苦笑し、ハザードを出して道端に寄せた。少し遅れて来たインテグラも俺の車の後ろへと停める。ボディの色は純白のチャンピオンシップホワイト。


「またトモに負けちゃった」


およそVTECには邪道とも言われるターボチューンを敢行したそれから、姿を現したのは小柄な女性。負けたと言いつつ彼女…咲良の顔はとても満足そうだ。ドアを閉めてこちらへ寄り、俺の隣でボディに寄り掛かる。


「何度も東堂社長から言われているだろう。熱くなりすぎると咲良は冷静に状況の判断が出来なくなる」


彼女はせっかく良いものを持っているのに、だから酒井や後輩の大輝とのバトルで競り負けていた。


「だってトモとのバトルだよ?東堂塾史上最強って言われる走り屋の、しかももうすぐプロになるような人間と走れるって言うんだから興奮もするって」


たぶん東堂塾最初で最後になるかもしれない女性の塾生、天宮咲良。颯爽とインテグラターボを駆る彼女は塾生でも比較的速い部類の人間である。東堂塾に入ったきっかけは…そもそも酒井が当時担当していた客だったか。お互いにインテグラ乗りであっという間に意気投合したらしい。元々はただの車好きだった咲良を東堂塾へ引き込んだのも酒井である。


「それにしても、やっぱりトモには適わないや。ストレートで詰めても低速コーナーで離されちゃうもん。酒井とか大輝ならまだ追い付けるんだけどなぁ。てか上りならインテRのターボで良いとこまで行けるはずなのに」
「だから社長も冷静になれって言ってるんだろう?そこの処理の仕方次第で、レース展開も変わってくるんだ」
「……痛いトコ突くなぁ」


咲良の強さは、徹底的に鍛えられた繊細なペダルワークにあった。VTECターボは下手な奴が乗ると上り坂ではトラクションが稼げずホイールスピンするのが関の山で、FF特有のハンドリングの癖ももろに出てくる。しかし咲良の場合はその扱い難いインテグラターボを、得意のペダルワークで乗りこなしているのだ。


「…春になれば、トモとこうして走る事も出来なくなるんだね」


不意に彼女がぽつりと呟く。微かに寂しさの混じるそれに、まるで自分が悪い事をしているかのような錯覚を覚えた。後輩だけど同い年の咲良は他の塾生とは違う、俺の特別。


「どうしたんだよ急に?」
「ん、何か寂しいなって思って。いつもトモの後ろを追い掛けていたから」
「あぁ…そうだな」


振り返ればいつだってそこに居た、咲良とインテグラR。気付けばそれが当たり前で、いつしか安心感さえ抱くようになっていた。東堂社長にはあまり甘やかすなと何度も言われたけれど、咲良の頼みだったらつい何でも聞いてしまう。それはたぶん、俺が咲良を。



「ト、モ……?」



――好き、だからだ。まるで幼い雛鳥のように俺の後ろを着いてまわる咲良が愛しくて堪らなくて。悲しげに目を伏せた咲良をこの腕の中に閉じ込める。


「追い掛けなくたって良い」
「ちょっ、トモ…?」
「追い掛けなくて良いから、今度は、俺の隣で一緒に歩いてくれないか?」


俺の背中ばかりではなく、俺と同じ世界を咲良に見てほしい。咲良が見てるのと同じ世界を、俺も見てみたい。彼女の歩幅に合わせればもう振り返らずに済むから。咲良の温もりを右手に感じながら俺は前に進む事が出来る。


「っ、私…歩くの遅いよ?」
「俺が咲良にペースを合わせてやる」
「途中で立ち止まっちゃうかも」
「その時は俺も止まるさ」
「…トモは甘やかしすぎだね」


よく言われるよ。腕の中で微かに震える咲良をきゅっと抱き締め、淡い桜色に色付く、その唇へそっと口付けた。


「咲良…好きだ」
「私も、智幸が好き」


願わくば繋いだこの手が、これから先もずっと俺と共にありますよう。


静かな夜は冷たくて
(溢れんばかりの愛で温めあおう)



―――――
東堂塾時代の舘智幸夢。
ストイックにプロな彼が好き。

title:カカリア

戻る