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小柏カイ×
秋、紅葉の季節のいろは坂と言うのは本当に最悪だ。紅葉狩りに訪れる観光客の車で明智平の駐車場に繋がる第二いろは坂は渋滞どころの騒ぎではない。ノロノロとすら進まないのである。朝六時には既にこの状態だった。
「………ん」
穏やかな土曜日の昼前。呑気に布団で眠っていた俺の耳に、少し高めのクラクションを鳴らす音が一回二回と届く。
「おはよう、カイ!」
「咲良、か…」
「て言うかもうお昼だよ」
窓を開け、下を見ればコルドバレッドのカプチーノが目に入った。黄色いナンバープレートのそれは間違いなく軽だ。そこから降りてきたのは咲良、これでも一応、俺の――彼女。
「えと、お邪魔します」
「随分時間がかかったんだな」
「もう渋滞が酷くてさぁ」
「お前…いろは坂から来たのか?」
「そうだけど?」
寝起きの俺の髪を「あ、寝癖」なんて呑気に弄る。
「あれほど混むって言ったろ?」
中禅寺湖の畔に位置する俺の家は、第二いろは坂を上ればすぐだ。でもそれは観光シーズン以外の話。明智平を目指す車が押し寄せる上り坂は地獄以外の何物でも無い。呆れて溜め息を吐いた。
「だって紅葉綺麗だし…」
「だからってな、咲良」
「そ、それに!カイって言ったら、やっぱりいろは坂だなって思って」
…その言葉はズルい。途端にかぁと顔が熱くなって、何も言えなくなる。それはつまり俺の事を思いながら運転していたと言う事だろうか。咲良の表現はストレートで、ドキドキする。
「…紅葉、見に行くんだろ」
着替えてくるとだけ残し、リビングを出て二階へ上がった。
「――わ、凄い綺麗!」
サクサクと足元で音が鳴る。家を出て中禅寺湖の畔を歩きながら俺と咲良は紅く色付く葉を眺めた。頭上から何とも無しにひらひらと紅葉が時折降り注ぐ。
「んなに走ると転けちまうぞ」
膝の上まで覆う黒のブーツが一歩踏み出す度に葉を散らした。まるで子供のようにはしゃぐ咲良を見ながら、思わず苦笑が込み上げる。紅葉なんかでよくここまで喜ぶ人間も居たものだ。
「だってカイ、紅葉だよ?」
「俺は毎年見飽きてるっつうの」
「えー、良いなぁ」
そんな事を呟きながら、手元のデジカメで一つ一つ風景を収めていく。
「…いろは坂も綺麗だったけど、ここもすっごく綺麗なんだね」
東照宮、華厳の滝、もみじラインと栃木には紅葉の名所が多くあるが、このいろは坂周辺は絶好の紅葉狩りスポットと言っても過言ではない。もちろん中禅寺湖の湖畔も例外ではなかった。そんなの当たり前だろと返せば咲良は首を小さく横に振る。じゃあ一体何だと言うのか。
「咲良…?」
「あのね、何て言うか…景色が全然違うの。たぶん…カイが居る、から」
「…っ、何だよそれ」
頬を刺す朱の色は、全身に染まる紅葉の赤に似ているのだろうか。お互いがはっきり分かるほどに顔は赤い。
「…何か言ってよ」
「んな事、言われても…」
「恥ずかしいじゃん」
馬鹿と呟き、飛び込んでくる。そのまま二人で倒れこんだ。ふわりと地面の紅葉が巻き上げられてはらり落ちる。
「カ、イ…」
「…そんな顔すんなよ」
見上げれば視界いっぱいに咲良の顔。緩くウェーブ掛かるブラウンの髪をそっと掻き上げてやれば、ふるりと黒の瞳が揺れた。――それが俺を煽る。頬へと手を滑らせ撫でた。
「冷てぇな、咲良」
「…あっためて、ほしい、な」
「っ、だからそう言う事」
言われると止まらなくなる。堪らなくて咲良を引き寄せ、強引に唇を奪った。甘い甘い、蜜の味がする。
「何してんだろな、俺たち」
咲良がどうしても見たいと言うから紅葉狩りに来たのに、気が付けば地面に寝転がってこんな事をして。全く目的が変わっている。でも別に嫌じゃなかった。
「ほんとだね」
俺の上に乗っていた咲良が、ころんと隣に横たわる。ほんの少し寂しくて手を繋いだ。視線の先にはいっぱいに色付く紅い葉とちらほら見える黄色の群れ。見慣れたはずのそれが何故かとても美しくて思わず「あ」と息を飲む。
「…咲良の言う通りだ」
「何が?」
「すっげえ綺麗」
こんなにも世界は鮮やかで眩しい。
「来年も、カイと見たいな」
「あぁ…そうだな」
きゅっと繋いだ手を握る。そのまましばらく赤と黄が織り成すコントラストの海で、二人静かに寄り添っていた。
廻り廻る季節と共に
(溢れんばかりのプレリュード)
―――――
カイと二人で紅葉狩り。
いろは坂は本当に凄いらしいです。
渋滞に捕まると最悪ですよね。
title:アンシャンティ
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