カンカンカンと音を立て金属製の階段をのぼりながらポケットを探る。もう春になるとはいえ夜はまだ寒く、鍵を持つ手は冷たくかじかんでいた。口元をマフラーにうずめ、狩屋はもう寝たかな、今日は何を食べたんだろうと思いつつ玄関の扉を開ける。
 起こさないように小さくただいまを言って靴を脱いだとき、部屋の電気が煌々とついているのを不思議に思った。狩屋は明日学校ある日のはずだから、いつもなら早くから布団に入っているのに。

「狩屋ー?」

 適当に荷物とコートを放って声をかけても反応がない。一瞬色んな心配をしてしまったけれど、当の狩屋は布団にくるまるようにしてすうすう寝息をたてていた。電気つけっぱで寝てるなんて珍しいなーなんか疲れることしたのかなと思い、近づいてまだあどけなさの残るかわいい寝顔をながめていたら、ゆっくり目を開けた狩屋が俺を見て「ふぇ」と気の抜けた音を発する。

「お、悪い、起こしちゃったな。寝てていいぞ」
「んんー……」

 やわらかい猫っ毛をわしゃわしゃ撫でると狩屋はぐーっと伸びをして何度かぱちぱち瞬きをし、きりのせんぱぁい、と若干間延びした滑舌の悪い声で呼ばれた。はいはいどうした? 笑いながらたずねるとなぜか口元をぐにゃりと歪ませて、みるみるうちに両目から大粒の涙をこぼすもんだから俺はわけがわからなくてえっ何、ほんとにどうしたの。頭を撫でながら大丈夫大丈夫と繰り返してみてもぜんぜん泣き止んでくれなくて、いよいよ焦りは最高潮に達する。何、なんかあったの? なるべくやさしい声で問いかけると狩屋は鼻をすすって先輩が、先輩がぁと言ってまたぼろぼろ涙を落としてはシーツに染みをつくっていく。

「よしよしごめんな狩屋、俺が何かしたなら謝るよ」
「ちが、そうじゃ、なくてえ」

 きりがないので布団をはがして抱え起こして、ぐらぐら揺れる力の入ってない身体をつよく抱きしめた。狩屋はまだちょっとぐすぐす言っていたけど、背中をとんとんと叩いてやってたらだんだん落ち着いてきたらしくすがるように抱きついてきて、こんな状況にも関わらずかわいいなあなんて呑気なことを考えてしまった。そうじゃないだろ俺。あの狩屋がすっごい泣いてんだ、何かほんとにそれくらいショックなことがあったに決まってんだろ。

「先輩、霧野先輩……」
「うん、狩屋、俺がなに?」
「ばいばいって」
「ばいばい?」
「俺んとこ離れて、ウィーンに行っちゃった」
「ウィーン? ……えっ、オーストリアの?」

 何を言ってるんだこいつ? 俺もとい霧野蘭丸は今たしかにここにいて、ここは日本の東京で、オーストリアのウィーンなんかじゃない。誰がどう考えてもウィーンじゃない。ていうか俺んちはごく一般的な中流家庭だったから海外旅行すらしたことがないぞ。でも狩屋は本気で泣いてるわけで、えっ俺もしかして無意識にオーストリア行ってきたっけなとちょっと不安にもなってくる。いや行ってないけども。無意識にオーストリアってそれどんなだよ。普通にあり得ないよ大丈夫だよ行かないよ。

「狩屋、それは夢だぞ? 俺は今ちゃんとお前の目の前にいるよ」
「んなことわかってますよぉ……」
「そうか? ならいいんだけど」

 完全に泣き止んだ狩屋は機嫌が悪いのか低い声で先輩のばかぁ、遊び人、朝帰り常習犯、と思ったことをそのまんま言葉にしてぶつけてくる。そのうちなんとなく理解してきた、つまるところ狩屋は寂しかったんだろう。まあ最近バタバタしてあんま狩屋との時間作ってやれなかったからなあ。何も言ってこないから気にしてないのかなーなんて思ってたけどただ言い出せなかっただけなのか。相変わらず感情を見せるのが下手くそだな、でも今回はお互いさまか? 俺だってデートの約束なしになっても狩屋がすねたり怒ったりしないからもう俺のこと好きじゃないのかもって思っちゃってかなり寂しかったし。

「……それにしても何でウィーン?」
「今朝、テレビで神童先輩が」
「は? 神童……あーそっかあいつウィーンに留学中だったな。映ってたんだ?」
「コンクールで、最優秀賞って」
「へー、さすがだな……最近連絡とってないからなんにも知らなかったけどがんばってんだなー……」

 狩屋が赤くなった両目をこすっているからさりげなく手をつかんでどかして、目尻に残る涙にくちびるを押し付ける。「俺が神童んとこに行くんじゃないかって思った?」水分が多いせいでうるうるした瞳はなんだか小動物みたいだ。こくんと小さくうなずく狩屋をもう一度抱き締めて、ばかだなあ、と耳元で言ってやったらまた泣いてしまった。あーあ、もう、ほんとにばか。俺がばか。

「どこにも行かないよ、なあ狩屋、行くんならお前とふたりで、お前の行きたいとこに行くよ」
「……、じゃあ、こないだ結局行かなかったディズニーランド」
「おー、まかせろ。年パス買って嫌んなるまで遊び尽くすぞ」

 冗談めかして言うと狩屋は泣きながら笑って、先輩となら何万回行っても楽しいよ、なんてかわいいことを言うからたまらなくキスしたくなって、ほんとにたまらなくなったから布団に押し倒してキスした。いまだに息継ぎが苦手な狩屋が酸素を求めて俺の胸を叩くまでちゅう、ちゅうと角度を変えては舌を絡めて、たまってた涙がぽろっと伝って落ちていくのを見た。「蘭丸せんぱっ、ね、もっと……」キスを? それともこの先を? 下の名前で呼び合うのはまだ少しお互いに恥ずかしくて、そういうことをするときにしか出ない。狩屋は充分その気になったみたいだけど、それは俺も同じことだった。

「でも俺風呂入ってないよ」
「俺も入ってない……」
「もしかして今日ずっと寝てた?」
「うん」
「ごはんは」
「朝だけ」
「……お前なあ」

 はい中止! と宣言して身体を起こしたら狩屋がえっと声を上げて、物欲しそうな目で見つめてくるから早くも決意が揺らぎそうになったけれど、健康と快感を天秤にかけたら健康が勝つ大真面目の霧野先輩だ。狩屋くん、眠くてもごはんはちゃんと食べなきゃいけません。

「せんぱーい……」
「そんな顔してもだめ。はい起きるー」

 不満そうな狩屋を起こして座らせて、さあ晩ごはん作らなきゃなと立ち上がって台所に向かうとなにやらぶつぶつ文句が聞こえてきた。

「ちゅーしてきたのは先輩なのに」
「お前がしてほしそうな顔してたから」
「えぇー? いやいや先輩が突然してき」
「おぉー卵結構残ってんなー。狩屋オムライス食う?」
「食う!」

 簡単に釣られて勢いよくかけよってきた狩屋が可笑しいやらかわいいやらで笑って、そういやもう日付変わる直前だったとか、ここは格安のアパートで壁が薄いこととかを思い出したけど、そんなことよりも狩屋が愛しいので笑いつづける。時間ないからただのケチャップライスでかんべんなーって言ったら、もうなんでもいいから先輩はやくはやくって狩屋お前やっぱりまだがきくさいぞ。ファミレスのキッチンで働く俺はなかなか料理の腕があがってきてて、数分後にはちっちゃい折り畳み式のテーブルの上にふわふわとろとろのオムライスがふたつ。孤児院で育ったせいかこの年になっても手を合わせていっただっきまあす! って元気に言ってる狩屋を見るのはちょっと久しぶり。そういやいっしょにごはん食べることも少なくなってたっけなあ。これからはもっともっと大事にしてやんなきゃと思った矢先、猫舌の狩屋が熱い熱いと叫ぶから冷蔵庫に走るはめになる。きんきんに冷えた麦茶を飲み干してため息をついて あーうめぇ! ってそれ麦茶にたいして? オムライスにたいして?

「なあ狩屋」
「ん〜? なんすか先輩」
「好きだよ」
「っう、おぉ……、びっくりした、なんですか急に」
「いや言いたくなったからさ」

 ほんとに好きだよ、大好きだ、マサキお前を愛してる。連射のごとく続けたらことごとく食らった狩屋が頬を真っ赤に染めて、なんなんですかぁ先輩まじわけわかんないですとかなんとかもごもご言ってるのが聞こえたけど笑って流して、あー俺の作ったオムライス美味い美味いって言ってばくばく食べていたら狩屋もまたスプーンを動かしはじめた。

「俺も好き……」
「うん? なんか言ったか?」

 とぼけて返したら今のは絶対聞こえてたでしょ! と怒られてまた笑って、狩屋といたら俺ずっと笑ってるなとなんとなくそう思った。仕事場も大学も楽しいけど、この部屋とは居心地のよさがまるで違う。疲れて帰ってきたらかわいい寝顔が待ってたり、朝起きたら無意識のまま狩屋が服をつかんできてちくしょーああもう俺今日学校行きたくないって葛藤したり、講義中も仕事中もひまなときは大概狩屋のことを考えてる。依存っていうかなんていうかみっともないから教えないけど、正直狩屋がいなかったら俺はなんにもがんばれやしないんじゃないだろうか。

「ごちそうさまでした!」

 ぱちんと両手を合わせて狩屋が言う。皿を片付けながら先風呂入ってこいと声をかけたらえーいっしょに入りたいって返ってきて、なんだやけに甘えてくるなと思ったら中学のときみたいな意地わるい笑顔を浮かべていた。こいつ何か企んでんなと勘づいてばかやろーユニットバスにふたりで入れるかと一蹴したらちぇっとわざとらしく舌打ちされる。ザーザーとシャワーの音が聞こえてきたとき皿洗いも終わってひまだったのでまあいいかと思って風呂場に乱入したらギャー変態と騒がれた。おいこらお前いっしょに入りたかったんじゃなかったのか。

 結局洗いあいっこだとか恋人くさいことをしているうちに気分も上がってきて、バスタオルで身体を拭きあって目が合ったらキスして、風呂場から出たら急いでパジャマを着て寒い寒いなんて言い訳しながらさっさと布団に潜り込んで。電気を消したら狩屋がちょっと怖がって、先輩真っ暗でするの? と不安げに漏らすから、暗いのより霧野先輩のほうが怖いぞと教えてやったらくすくす笑われる。いやほんとに怖いんだぞ霧野先輩は。

「先輩なんかちっとも怖くないですよぉ」
「そうか? 最近ぜんぜんしてなかったからたまってるんだけどなー」
「え」
「二回三回くらいじゃ終わってやんないから覚悟しといてくれよ」
「うわあ……それは怖いや」

 霧野先輩見かけによらず野獣だからなあ、なんてまだ笑っているので、霧野先輩じゃないだろと言って首筋に舌を這わせたら、鼻にかかった高い声で「ぁ、蘭丸せんぱぁい……」ってそれわざと煽ってる? 着たばっかりのパジャマのボタンを上から順に外して胸をまさぐったら あっ、とか やっ、とか、いつもよりだいぶ素直なので思わず欲情した。ズボンも下着も一思いに脱がしてしまって、もはやさっき着た意味なんてどこにもない。とろんとした瞳で見上げられるとぞくぞくして早くも入りたくなる。

「ほら、脚開いて」
「ん……」

 恥ずかしがりながらも従順なさまがかわいくてめちゃくちゃにしてやりたくなるけど、明日学校ある日だから優しくしてやんなきゃなあとも思った。

 内緒ではじめた貯金はまだまだ目標金額に程遠い。でも狩屋が寂しい思いをするならバイト減らしたほうがいいかな、いややっぱりいつか家は欲しいし、せっかく免許取ったから自分の車も買いたい。狩屋は基本的に何も欲しがらないからそのぶん俺がいろんなことをしてあげたい。普通の家庭のようなしあわせはつかめなくても形だけ、せめてこころはしあわせにしてやりたい。年を取っても笑って毎日楽しく過ごせたらそれだけできっと。

「先輩、」

 伸びてきた腕が首に絡んで俺の身体を引き寄せて、切なそうな顔でキスを強請る。自分勝手な先輩に振り回されて、でも大好きで我慢ばっかりしている、こんなかわいそうでかわいい子を手放してなんかやるものか。狩屋をしあわせにするのは俺で、俺をしあわせにするのは狩屋じゃなきゃだめなのだ。ごめんなマサキ、こんなひどいやつに捕まったお前はたぶん一生本当のしあわせにはなれない。「好き」キスに埋もれてしまった言葉をすくい上げてもう一度重ねて、ふたりで生きれたらそれが俺たちのしあわせなんだって思った。




20120224 miyaco
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