壁面を這うサーチライトがまったく検討違いのところを探っているのを見て、星空の下すこしだけほほえんだ。
 今夜の仕事はなんなくクリア、お目当ての絵画もばっちりこの手のなか。自分で言うのもなんだけど、実に鮮やかな犯行だったと思う。
 地上はポリスがうじゃうじゃ、見つかれば面倒なことになるし、いつも通りさっさと撤収するに限る。やわらかい夜風に髪をなびかせ、帽子を被り直したら、燕尾をひるがえして闇へと溶け込んだ。

 怪盗Rといえば、もうおそらくこの街で知らない人はいないだろう。
 最初のころは街をおびやかす悪党だと言われもしたけれど、今じゃ市民から絶大な支持を受ける英雄的存在にまでのぼりつめた。巷の噂じゃファンクラブなんてのもあるらしいし、怪盗Rをとらえた写真は高値で売り買いされるとかなんとか、R本人も知り得ないようなものさえ出回っていたりもする。
 盗まれた絵画はもとあった場所へ、奪われた宝石は持ち主へ。騙しとられた金は刑務所という利子つきで返してもらい、宝物のガラクタはいちばん大事にできる人に。輝くものは涙から、尊きものは人さえも。頼まれれば月をも盗む、それがRの基本的理念である。
そうしていつの間にかついた正義の怪盗、という二つ名をポリスはひどく嫌っているけれど、俺自身悪い気はしていなかった。もともと自分のためにはじめた怪盗業が他の誰かの役に立って、悪人がこらしめられる代わりに笑顔がひとつ増えるなら、それはとてもすてきなことだ。
 今夜のターゲットであるこの絵画は、街外れに住むとある未亡人が先月騙しとられたもの。もちろん犯人にはさっき捕まってもらったので、あとはこれを持ち主に返して今夜の仕事は終了だ。このすがたのまま出歩くのは危険でしかないから、……本来ならばまっすぐ家に帰るべきなのだけど。
 頭をよぎるのはとある笑顔。それが向けられるのは俺ではなく怪盗Rで、つまり、このままでなければ意味がない。

「うーん……」

 予告状を出した夜、顔には出さずともあいつは期待しているはずだ。
 俺だってもちろん会いたくて会いたくてたまらないけど、いつまでもこんな逢瀬を重ねていていいわけがないこともわかってる。
 駆け抜ける屋根の上、ふたつに結った髪が空を切る。東の時計塔を過ぎれば、絵画の持ち主の家はもうすぐそこだ。葛藤するふりをするくせに数分後の自分の行動が簡単に想像できてしまって、ため息をつきながら脚を早めた。


 ノックは決まって三回。
 どたばたどたばた、中であわてて走ってくる音が聞こえておかしいやらうれしいやら、ばたんと勢いよく開かれた出窓に胸は高鳴る。

「Rさん!」

 花の咲いたようなこの顔がとても愛しいのだけど、そんなそぶりは微塵も見せずに部屋の中へするりと入り込む。琥珀色のひとみをきらきらさせて見つめてくる少年の、そのくちびるに人差し指を押し当てた。

「……ちょっと声が大きいな?」

言うと、ハッとしたように両手で口をおさえるからかわいいのなんのって、べつに怒ってやしないと頭をわしゃわしゃ撫でてやる。

「す、すみません……」
「いいよ、まあ大丈夫だろ。……今日は勉強しなくていいのか?」

 さも平然と問うけれど、まじめなこいつが机に向かっていない理由なんてとうに知っていた。言わせたいというか言われたいというか、俺もつくづくわるいやつで、こんなわるいやつに捕まってしまったのがかわいそうにもなってくる。だけど俺のそんな気持ちは知りもしないで、耳まで真っ赤にしながら「だってRさんが」とかなんとかもにょもにょ言ってるこいつもこいつで、結局はおたがいさまだ。

「待っててくれたんだよな」

 いい匂いのする髪を一束すくいあげて毛先にキスすると、顔から蒸気がふきだしそうなほどほっぺたを染めて「わ、わるいですか」なんて、そういう反応をするせいで会いに来るのをやめられない。

「……そ、それで、今日の仕事はどうだったんです」
「うん? ああ……」

 幼い子どものような無邪気な顔で俺の話に聞き入ってくれるのがうれしくて、仕事帰りにこの部屋を訪れるのがお決まりになりつつある。
 Rとしての最初の出会いはもう一ヶ月近く前、夜の街で強盗に身売りをさせられそうになっていたのを助けたとある夜。その数日後、俺が仕事中に珍しくミスをやらかし怪我をしたときにこの部屋で匿ってもらって、そのお礼として数回窓からお邪魔した、それが逢瀬のはじまりだった。
 こいつの名前は狩屋マサキといって、歳は俺のひとつかふたつ下くらい。栄養が足りてないからか身長は低めだけど、経営者になるのが夢らしく毎晩勉強に励んでいた。はじめのころは口調も荒く生意気で、邪魔だの帰れだの言われていたけれど、今じゃこんなふうに会える日を待っていてくれたりもする。素直じゃないけれど根はやさしいいい子で、いろんな表情を引き出すたびに当たり前のように惹かれていった。

「―じゃあその絵は、本当はなんの価値もないんですか?」
「そうだ。まわりの者が好き勝手騒ぎ立てて、夫人はさぞ迷惑しただろうな。ただ静かにあの思い出の絵と暮らしたかっただけなんだから」
「へえー……」

感心したような声をもらして、マサキは脚をぱたぱたさせる。腰かけたベッドはふかふかしていて、出窓から差し込む月明かりだけがふたりを照らしていた。

「じゃあRさんはまた、利益のない盗みを?」
「……まあそうなるな。でも今夜は楽しかった。警部が直々にお越しで、俺の手で必ずお前を捕まえる! ってムキになって言うもんだから、彼の血糖値が心配で仕方なかったよ」

 その日の仕事の内容を報告するのは、誇らしいようでちょっと恥ずかしい。マサキはどんな話でもうなずきながら真剣に聞いてくれて、ときにはわらって、驚いて、そうして俺に憧れや好意を抱いてくれている。
 ……本当はこんなこと、いけない。
 俺は怪盗で、マサキは善良な市民なのだ。俺と会っていることがポリスにバレたら、きっとマサキもただではすまないだろう。まわりを注意深く確認しているとはいえ、怪盗姿でちょくちょくあらわれるなんて、通報してくださいと言っているようなものだ。俺だって控えるべきだとは思うけれど、それでも。
 マサキと過ごす時間はゆったり、やさしくて心地がいい。あとさき見えない職業柄、心からくつろげる空間というのは本当にだいじなものだった。部屋に満ちたこの匂いも、あたたかい手のひらも、すこしだけさびしそうに別れを惜しむ表情も、また来たいと思わせるには十分で、なんだかんだ言いながら俺はまた引き寄せられるようにこの部屋を訪れるのだろう。

「Rさん、がんばるのはいいんですけど、あんまり無茶はしないでくださいね」
「心配してくれるのか?」
「そ、……そりゃ、だってまた血だらだら流して飛び込んでこられても困りますし!」
「あー……、あれは本当に迷惑かけたな」
「あ、いや、べつにそういう意味で言ったわけじゃ……ただ、Rさんが捕まっちゃったらやだなって。それだけです……」

 消えるような語尾に顔を覗き込むと、びくりと肩を震わせ目をそらされる。
マサキは学校に行ってないから、同年代の友人がいないのだと言っていた。俺が唯一歳の近い話し相手なんだとうれしそうに言われて、ときめかないほうがどうかしている。

「……捕まりやしないさ。俺は天下の怪盗Rだぞ?」

 わざとらしくかっこつけて言うとマサキは目を見開いて、それからくすくすわらって、そうですねとほほえんだ。
 いつもつんとすましてばかりいるこいつの笑顔が見たくって、まじめな顔してばかなことを言ってみたりやってみたり、街の女の子たちが怪盗Rのこんな姿を見たら幻滅してしまうかもしれない。大多数の支持よりひとりの笑顔を盗みたいだなんて、そこらにいる他の盗人が聞けば笑うだろう。それくらい、俺にとってはどんな宝石より魅力的だったし、連れ出してまるごと手に入れたいと思う気持ちも、ぜんぶぜんぶ恋い焦がれる故だと、もう気づいてはいる。伝えることの出来ない想いばかりが募っていって、どうしようもなくなってまたごまかすように頭を撫でるけど、くすぐったそうなその仕草がまた胸を焼くから延々おんなじことのくりかえし。
 いっそ好きだと言ってしまえばいいんだろうか、もう何度も考えたけれど、そのことばの先にハッピーエンドが見えたことは一度だってない。

「……さて、それじゃ、もう遅いし今日はそろそろ帰るな」
「……はい、えっと……また」
「ああ。……また来る」

さよならの代わりに手を振って、名残惜しいけれど背を向ける。入ってきた窓から外へ、静まりかえった街の空気をすうっと吸い込んだ。あんなに騒がしかったポリスもどうやら大人しく本部に帰ったらしい。
ツーステップで再び屋根の上に降り立つと、風で浮いた帽子を押さえ、下にいるマサキの顔をそっと思い浮かべてから、自分の家へ向かって駆け出した。
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