おにぎりを口いっぱいにほおばっている狩屋にお茶のペットボトルを差し出すと、ありがとうございますをよくわからない発音で言われた。そんなに一気に食べなくてもおにぎりは逃げないぞ、わらって言ったら「だっておいしいんですもん」と返ってくる。自分のぶんのお茶を開けて一口、かわいた喉にひんやり冷たい。シーズンじゃないからかたいして人もいない休憩所でふたり、すぐそこの売店で買ってきた昼ごはんをひろげる。
 いくらゆっくりまわったと言っても、そう何時間もかかるようなものじゃない。水槽の脇の長い説明文を狩屋がひとつひとつ読み上げているのを見つめながら、出口につくのが名残惜しくてたまらなかった。ちょうど昼すぎだからとそのまま出口をでて近くの休憩所に腰をおろしたわけだけど、さてここからどうしようか。

「せんぱいの、なんだった?」
「ん? おかか」
「そうじゃなくて! シール貼ってあったでしょ?」

 なんのことかと思えば、おにぎりを包む白い紙をとめていた丸いシールのことらしい。どうやらおにぎりひとつひとつにちがう柄のものが貼られているようだ。

「あーイルカだぁ! いいなあー」
「狩屋のは?」
「ペンギンとアシカ」
「おまえのもかわいいじゃん」

 言いながらぺりぺりはがして、ほれ、と手渡す。えっいいの、と目をかがやかせて受け取った狩屋はいそいそとケータイの裏にシールを貼って、みっつ並んだ丸を満足そうに見つめた。持って帰んの、きいたら、「今日の記念です!」 とにこにこうれしそうで、ああ、この顔。ほんとにかわいい。

「狩屋、イルカすき?」
「だいすきですよ」
「……午後にさ、イルカショーあるけど」
「ほんと? 行きましょ!」

 やったあイルカショー、みてみたかったんです。むじゃきにそう言う狩屋にわらってみせながら、あたまをのぞかせはじめた核心に胸が痛む。
 きっと、狩屋はなにも気づいちゃいない。午後からもおまえといられることがどんなにうれしいか。口のはしについた米粒を取ってやるとき、そのままちゅーのひとつでもかましてやりたいとどれほど思ったことか。平和でのんきな狩屋のあたまのなかをぜんぶ俺でうめてしまえたら。
 積もり積もった想いは、さっさと告白してしまえ! とうるさいくらいに叫んでいる。俺だってそうしたい。みっともないうぬぼれじゃなければ、狩屋が首を横に振ることはないだろう。でもだからこそ、ごめんなさいと言われるのがこんなにこわい。……いや、いいんだ、ふられるのはべつに。問題はそのあと、今みたいな関係にもどれるかどうか。せっかくここまでなかよくなれたのに、告白してぎくしゃくしたり、遠慮されたり、そんなことになるならへんにすきだなんて伝えないほうがいいのかもしれない。欲ばりを言わなければたぶんずっとこのまんま、進むことがなくても悪くなることはないはずだ。

「せんぱい?」

 食べかけのやきそばのパックを持ってぼんやりしている俺をふしぎに思ってか、狩屋がひかえめに声をかけてくる。なんでもないよとあたまをなでてやったら、すこしくすぐったそうにしながらも大人しくわしゃわしゃされていて、うれしいけれどなんだか複雑なきもちになった。どうしておまえは俺を拒まないの。そういう反応をするってことは、俺の都合のいいように解釈してもかまわないってこと? もう、やめてくださいよ、って手を振り払われていたころがなつかしい。あのときと今をくらべたら、狩屋のなかでの俺の立ち位置はどれくらいちがうんだろうか。

「……帰り、さ。観覧車乗る?」

 この水族館からも見える、おおきなおおきな観覧車。夜になるとライトアップして、たちまち恋人たちのせかいになる。ドラマチックなムードだとか、そういうのを期待してるわけじゃないけど、一世一代の告白なのだ。ちょっとくらいかっこつけてみたい。

「でも、あれってお金いるんじゃ……俺、そんなに手持ちないです」
「それくらい出すから」
「わ、わるいし」
「わるくないよ。……それとも、乗りたくない?」

 我ながらいじわるな訊きかただった。狩屋がうなずけないのを知っている。

「乗りたい、ですけど……」
「じゃあ乗ろう。暗くなったらでいい?」
「……、はい」

 それでもまだ気乗りしてなさそうなのでどうしたんだろうと思っていたら、ちいさな声でなまえを呼ばれた。「うん、なに?」 うつむきがちな顔をのぞきこむと目をそらして、それからまた合わせて、ぽつり。

「観覧車って、ゆれる?」

 心底心配そうに言うから思わずわらってしまって、不満そうな声でわらいごとじゃないんですよと怒られた。

「だいじょうぶだよ、急に立ち上がったりでもしなきゃ思ってるほど揺れない。狩屋、高いとこはヘーキだよな?」
「はい」
「んじゃあいけるって。ていうかおまえ、観覧車はじめてだったんだ」
「……だって、家の近くになかったんですもん」

 しょーがないでしょ、キッとにらんでくる狩屋のあたまをぽんぽんなでて立ち上がる。ビニール袋にゴミをまとめて口を縛ったら、のこりのお茶を飲みながら狩屋もゆっくり腰を上げた。

「さーて飯食ったし、まずはリクガメいくか!」
「リクガメ?」
「おう。なんか屋上でリクガメふれあい会っていって、さわったりできる体験やってるらしくて」
「へえー……せんぱいさわりたいの?」
「すっごいさわりたい。あとカメ型のメロンパンが売ってるらしい」
「食べる!」
「今食べたばっかだけどなー」
「おやつです、おやつ」
「はいはい」

 備え付けのゴミ箱にビニール袋を落として両手があいたら、どちらからともなく手をつないだ。「そういえば、ラッコ館とペンギン館てのが離れにあってな」 切り出すはなしのひとつひとつ、狩屋は目をきらきらさせて食いついてくる。時間があったらもういっかいくらい本館をぐるっとまわって、そこから本日最終のイルカのナイトショーに行って、そのあとだ。水族館の外、ちょっと歩いて、すぐそばの観覧車。散々迷ったけれど、やっぱりすきだと伝えたい。たとえうまくいかなかったとしても、もうこの想いは抑えこめないくらいおおきくなってしまった。
 狩屋、狩屋、すきだ。たのしそうなおまえの横顔を、今日一日だけじゃなく、これからずっととなりで見ていたいって、本気でそう思うよ。


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