走りながら腕時計をちらりと見て、ああああ、ほんとやばい。黄色は青だったと思い込むことにして横断歩道を全力疾走、すれちがうひとたちの目線をいくつも背中にかんじつつ。
 自分から誘っといて遅刻かますなんてさいあくだ。時間がなかったせいで髪はぼさぼさだし、服もてきとうだし、すきな子と念願のデートだってのにこりゃないんじゃねーの? って格好で。もーだっさいもっさい、こんなんじゃとうとう愛想つかされるかもしんない。ポケットにつっこんだケータイはやけにおとなしくて、もしかしたら呆れて帰っちゃったんじゃないかと不安になる。いや、いやいや、ネガティブシンキングはやめよう。なんだかんだでばかみたいにやさしい子だから、きっとそんなことしないはずだ。きっと。おまえをしんじてるぞ! ――じゃなくて、走れ、走れ俺の脚。いつもなんのために鍛えてんだ? ん? はんぱなくこれのためじゃなかったような気しかしないけどかまうもんか、あいつが、あいつが俺を待っている。たぶん。

 曲がり角を飛び出したら向かってきた自転車とぶつかりそうになって、ぎゃあすいませんと叫んだものの振り返ってるよゆうもたちどまる時間もない。なんで俺、あいつのことになったらこんなに必死なんだろう? 走って走って商店街を抜けて、思い浮かぶ理由はたったひとつ、そりゃあもうすきだから。じつにかんたんなはなしだ。
 駅が見えた瞬間から目をこらして探す、さがす、あおい髪。コンクリの柱にもたれて、寒そうに自分の両手のひらに息をかける、あのちっちゃくてかわいい子。俺のすきな子。

「かりやあ!」

 おおきく手を振って叫んだらびくりと肩を震わせて、まあるいひとみがこっちを見る。体育の授業ですら出さないような本気の走りを何分もつづけたのと、帰らずに待っててくれた安心とで力は抜けて、かけよってすぐぜえはあ言いながら膝に手をついた。

「せ、せんぱい? だいじょうぶ?」

 とまどいつつもそろりそろり背中をなでてくれるその手がたまらなくいとしくて。狩屋おまえ、ほんといい子になっちゃったね? 最初のころのクソ生意気なおまえも今ではなつかしいくらい。

「ご、ごめ……っ、待った?」

 息を整えるよりも先にそれが気になってたずねたら、狩屋は一瞬きょとんとして、それからちいさくわらってみせた。「ううん、俺もいま着いたとこ」 なーんて、やさしい嘘までつけるようになって、俺は少なからずすくわれて、だまされたふりして「そっか、ならよかった」ってわらいかえす。あー狩屋かっわいい、ほんとかわいい、だいすき、なあもうけっこんしよ。あたまんなかじゃなんでも言えるのに、いまだにすきも付き合っても口に出せてない俺っていったい。

「あ、そうだ、きっぷ買っときましたよ。これであってますよね?」

 はい、と手渡された俺のぶんに泣きそうになる。うわかっこわるぅ、ほんとなら俺が十分前にここに着いて狩屋を待って、ほらおまえのぶん買っといたぞってやるべきだったのに。

「ごめん、帰りのは俺が買うから……」

 しぼりだすようにそう言ったら狩屋はくすくすわらって、あかるい声で「はぁい」と返事してくれる、それだけでしんぞうのあたりがぎゅうぎゅうしめつけられてくるしい。なんなのこれ、なんでこんなにすきになっちゃったんだっけ。

「じゃ……行こっか?」

 精一杯かっこつけて手をさしだすと、そうっと重ねられたちっちゃい手のひらがいつもよりつめたくってとたんに申し訳なくなった。何分くらい待ってたんだろうなあ。待ち合わせが昼の一時だったから、軽く三十分近く? 考えれば考えるほど自己嫌悪でいっぱいになって、「おぉう……」とうめきにも似た音が口からもれた。どうか、どうかおまえの目にうつる俺がまだ、魅力のある男でありますように。

「たのしみですねえ、すいぞくかん!」

 むじゃきなはしゃいだ声に自然と頬はゆるんで、その代わり胸のうちで今日こそはといよいよ覚悟を決めた。さんざん遠回りしたあげく勇気がでなくてずっと言えなかったけれど。 狩屋、すきだよ、俺と付き合って。 おまえの笑顔も涙も俺だけのものにすることばを、今日、かならず。



*




 そもそものはじまりはよく覚えていない。気づいたら狩屋のそばにいるのがあたりまえになってて、さいしょはなんとなく、弟ができたみたいだなーって思ってたような。連絡網だからって言ってメアドを交換して、そっからときどきメールするようになって、いまじゃこっそり授業中までやりとりした日もある。そっけない文章のなか、たまーについてる絵文字や顔文字をみるたび、かわいいとこあるなあなんてひとりでわらって、にやにやしてるのを神童に見られたときはどうにかごまかした。
 本格的になかよくなるまで、そんなに時間はかかんなかったと思う。たいして近くはないけど、方向がいっしょだから帰り道がよく重なって、そのうちふたりで帰るのがふつうになってって、買い食いしたり寄り道したり、雨の日狩屋が傘を忘れたから俺のにいれてやったり。それで何がどうなったのやら、俺はいつのまにか狩屋がすきですきでしょうがなくなってしまってて、男同士ですなんて問題をすっとばして惚れ込んじゃったおかげでこうして毎日のようにうじうじもだもだしているわけだ。まったくもっていみがわからない。

「おおぉお、すっげー……」

 ぶあついガラスにはりつくように柵から身を乗り出して、狩屋が声をもらした。
 入口を通ってすぐ見える、この水族館のメインの大水槽のなかには、大小さまざまのさかな、さかな、さかな。海をそのまま切り取ってはりつけたみたいな、ちょっと現実味のないせかい。
 ちいさい背中の二歩うしろで遊泳する魚たちを見上げて、いろいろと感じるものもあるけれど中学生の貧相な語彙ではあらわしきれなくて、ことばをえらばないまま喉にしまいこんだ。

「せんぱい、せんぱい、おさかな!」

 振り返った狩屋が俺を呼んで、すぐそばではしゃいでる小学生とあんまりかわんないくらいの調子で言うもんだから、思わずわらってしまう。べつにむずかしいことばっか考える必要はないんだよなぁ。近づいてそのとなりに立って、さかなだなーきれいだなーって返したら「うん、すごいきもちよさそー、いいなあ」って宝石かなにかみたいに目をきらっきらさせて、ちょっとこんな顔は見たことないからびっくりした。

「……狩屋、さかなすきなの?」
「あれっ、言ったことありませんでしたっけ? 知ってるから誘ってくれたんだと思ってた」
「え、……あぁ、うーん」

 あいまいにぼかしてこたえると狩屋はふしぎそうにくびをかしげて、それからまた水槽のほうに向き直った。デートスポットに連れてきたらすこしはいいムードになれるかも、とかなんとか下心を抱いてたのがはずかしい。純粋によろこんでもらえたならそれは俺にとってもうれしいことだし、こんなふうにわくわくきらきらしてる狩屋を見れるなんて思ってもみなかった。告白やらなんやらは抜きにしても、今日はめいっぱいたのしませてあげよう。

「あ、ほら巡回ルートあそこからだって。せんぱい行こう?」

 袖を引いたちいさな手と自分の手をからませて、うながされるまま大水槽のまえをはなれる。もうここはいいのかきいたら、あとでもっかい来るって返ってきて、そっか、じゃあゆっくりまわろうか。部活中は見せないこどもっぽいえがおで狩屋がうなずいて、ほんとにゆっくりゆっくり、そしたらすこしでもながくおまえといられるかなって、俺はさかなそっちのけで狩屋のことばっかり考えてる。

「わ、みてせんぱい、このおさかなへんなかお!」

 ちいさい水槽にくっついて狩屋がわらう、それだけで胸のうちにあったかいものがあふれていく。

「ほんとだなー狩屋そっくりだな」
「ちょっと、それどういう意味ですか!」
「ははは、じょーだんだって。……かわいいなぁ」
「ねー、かわいいですよね」

 さかなじゃなくておまえに言ったんだけどね。にぶいというか無頓着というか、ひとのことにはよく気がつくくせに、自分のこととなると急にうとくなるから困る。まわりくどい言い方をして、気づいてくれるのを待ってる俺も俺だけど、狩屋おまえすこしくらいは俺のきもちわかってる? すきでもなきゃせっかくの休日にこんなとこ誘い出すわけないだろ、なあ。

「カメラ持ってきたらよかった」
「ケータイで撮れば?」
「んー、あんまり機能よくないから、こんな暗いとこじゃきれいに写んないと思う……」
「また今度来るときに持ってきたらいいじゃん、カメラ」
「えっ? あ、……えっと……」

 うつむいて言いよどむのでなんだなんだと思っていたら、おずおず遠慮がちに見上げてきて、「せんぱい、また誘ってくれるの?」って、そんなの。

「ん、まぁ……部活休みの日に予定合えばいつでも」
「ほんと? やった!」

 うれしそうにわらう狩屋を見ながら、おまえが望むのなら毎日だって連れてきてやりたいと思った。もし、告白して付き合えたとしたら、そのときは水族館だけじゃなくて、もっといろんなところにふたりで行こう。いろんなものをいっしょに見よう。アルバムにしまいきれないくらいたくさんたくさん、おまえとの思い出がほしい。

「あ、せんぱい! おっきいおさかなだ! 岩かと思っちゃいましたよお」
「ほんとだな。狩屋よりでかいんじゃないか?」
「もーっ、さっきからそんなことばっかり!」

 だってしょうがないじゃん、さかなよりおまえを見てるほうが面白いんだから。もちろんそんなこと言えるわけもなくてわらって返すけど、つないでる手のひらがじんわり汗ばんできて、もしかしたらこのきもちはもうばれているんじゃないかと不安になる。なあ、狩屋、なんで手ぇつないでくれんの? はぐれないように? それともなんにも考えてない? 小学生の遠足じゃあるまいし、男子ふたりが手をつないで歩くなんてふつうは拒否されてもおかしくないのに、狩屋はしっかり俺に手を握られたまんまで。ばかな先輩は、脈があるのかもと少なからず期待してしまうけど。

「あはは、ピンク色のおさかなだ、かわいい! これはせんぱいみたいですね」

 ……いっそさかなにでもなれたら、おまえは無条件で俺をすきになってくれるんだろうか。



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