逃げていったおおきな野良犬のうしろすがたを見送って、一安心したのもつかのまだった。猫もしくはそれに近い小動物かなにかだと思っていたそれは、ぼろきれみたいなタオル一枚巻きつけたからだを震わせ、黄玉に似たひとみふたつでこっちを見ていた。

「……へっ?」

 なんともまぬけな声が出る。
 これは、まさかほんとに、……いやいや夢でも見てるんだろう。きっとそうだ、そうに決まってる。じゃなきゃこんなの。

「か、……かり、や……?」

 推定五十センチメートル。
 丸められたせなかはたしかにちょっと猫に見間違えなくもない。
 浅葱色の毛並み、伸びた華奢な手足、「きりのせんぱい」ってよわよわしく俺を呼び返す声。あまりにも、あまりにも見覚えのあるそのすがた。

「どうしよ、せんぱい、どうしよう……」

 そんなばかなことがあってたまるかと頭のなかでつぶやいたものの、こうもはっきり目の当たりにしたらもはや疑いようがなかった。

「おれ、ちっちゃくなっちゃった……」

 狩屋がいまにも泣き出しそうにそう言って、いよいよ受け入れを迫られる。
 霧野蘭丸、十四歳、冬。
 かわいい後輩が、恋人が、突然お人形サイズになってしまいました。







 狩屋とけんかしたのは昨日の帰り道のことだ。
 発端はいつもとかわらない、くだらない言い争いからで、ばーかばーかちーびちーびなんてがきくさい暴言を吐きあって、仲なおりするまえにわかれ道についてしまって。先輩なんてだいっきらい、と捨て台詞のように残して走ってった狩屋の背を見送って、明日学校でかまってやればすぐ機嫌なおすくせにって思ってわらいながらためいきをついた。
 でも、次の日。つまり今日。
 狩屋は朝練に来なくて、連絡もなくて。そういうとこはきっちりしてんのにおかしいなとメールを入れても返事はなく、昼休みにこっそり電話をかけても出ることはなく。天馬たちにきいても知らないって言うし、もしかしたら熱でもだしてぶっ倒れてんじゃないかって、部活のあと狩屋んちに行ってみようと帰り道をいそいでいた。そしたら、野良犬がみちばたでなにかに吠えたりつかみかかったりしていた、から。
 とくに考えもせずに追い払ったら、まさか、それが狩屋だなんて。



「……うまい?」

 問いかけたら、口いっぱいにほおばっている最中の狩屋はこくこくとうなずいた。
 昼に買ったものの食べなかった菓子パンをちぎって与えてみたところ、おなかがすいていたのかもりもり平らげていく。
 なるほどちゃんと体内のいろんなところは機能してるらしい。構造まで人形になったわけじゃなく、ただ単にからだが縮んだだけのようだ。

「朝からなんにも食べてなかったんでたすかります」

 両手をひろげて次を要求するので、持ちやすいくらいの大きさにちぎって渡してやりつつ、ちっちゃな口や手やその他もろもろをまじまじと見つめてみる。
 もともとちいさい狩屋だけど、いまはさらに三分の一くらいだろうか。五十センチといえば生まれてまもない赤ちゃんくらいのサイズだと思うけれど、あんな頭でっかちじゃなくて、なんというか、狩屋がそのまんまちっちゃくなったというか。

「先輩、飲み物もらえません?」
「えっ? ああ、うん。お茶でいいか?」
「べつになんでも」

 あむあむ一生懸命食事中の狩屋から目をはなすのが名残惜しいとは思いながらも部屋を出て、二階のリビングにおりたところでやっと我に返った。
 ……いや、いやいやおかしい。
ナチュラルに家に連れて帰ってきてしまったけどおかしい。
 これまでいろんなことを認知してきた身としても、これはさすがに。あーでもどうだろう、ちょっとまえのタイムジャンプや偉人とのミキシマックスに比べたら、まだこっちのが現実味はあるか?

「ねえよ……」

 ガラスのコップにとくとく麦茶を注ぎながらひとり、つぶやいた。
 狩屋がちっちゃくなるだなんて。そもそもわけがわからん。
 お盆にコップふたつと適当にお菓子を乗せて、食器棚の引き出しから細めのストローを一本取り出す。
それに、いまはよくても、母さんや父さんが帰ってきたらあいつを隠さなきゃならない。いつもとに戻るかもわかんないし、かと言ってあんなすがたでもういちど外に放り出すわけにもいかない。

(どうすればいいんだ、こんなの……)

 階段をのぼりながらもくもくと考える。
ひとに相談できるようなことじゃないし、狩屋本人だって不安だろう。ああああ、もう、解決策がまるで思い浮かばなくていっそすがすがしい。

「狩屋あー、ストローだったら飲めるか……って、どうした。なんか見える?」

 後ろ手に扉を閉めると、出窓にのぼって外をながめていた狩屋がふりかえった。

「んーん。……おっきいなって思って」
「そりゃ……おまえがちっちゃいんだからしかたないだろ」

 さっきまで狩屋が座っていたテーブルの上にお盆を置いて、ベッドわきの出窓に近寄る。

「ひとりで登れたの」
「がんばりました」
「おりれる?」
「……」
「おいで」

 抱きかかえるように持ち上げたら、そのちいささと軽さにすこしおどろいた。ぎゅう、としがみついてくる狩屋はあんなによく知っている狩屋なのに、いまはまったくべつのいきものみたいだった。

「おまえ、からだ冷えてるぞ。ヒーターの近くにいろよ」
「……ん」
「どっちみちそのかっこじゃ寒いよな」
「着れるものないですもん」
「俺の小学生のころのとか、たぶんどっかにあると思うから探してくる」
「……、はい」

 大人しくなってしまった狩屋をふたたびテーブルの上に座らせて、とりあえず学校のジャージを肩からかけてやった。ぜんぜんサイズがあってないからずるずるで、へんてこなマントを羽織ってるみたいに見える。

「先輩んちの麦茶、すき」
「そっか」

 白いストローをちゅうちゅう吸っている狩屋をしばらくながめてから、着れそうな服探さなきゃとまた部屋をあとにした。



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