俺だって、なにももとからこんな性格だったわけじゃない。
 むかしは純粋で無邪気で、友だち数人と公園に集まって鬼ごっこだとかかくれんぼだとか、いろんなことをするのが好きなふつうの子どもだった。みんな俺をマサキって呼んで、いつもわらって、ただ楽しくて。毎日まいにち日が暮れるまで遊んでは、家に帰って母さんに叱られて、それから抱きしめられた、いまはもうかすれかけたあのころの記憶。

 泣いても叫んでもどうにもならないことがあるって知ったのは、雨ばかり続いた小学五年の冬。遠ざかっていくふたつの傘が目に焼き付いてはなれなくて、何度もなんども夢に見てはうなされて飛び起きる日がつづいた。すでに関係の出来上がってた園の子たちにまざろうなんて気にはなれなくて、誰も使わないすべり台の上でひとり、ひざをかかえているばかりで。

 世の中は理不尽だ。頑張っていればかならず報われるってわけじゃない。なんの努力もしてない人が宝くじにあたったり、一生懸命練習したスポーツ選手が身体を壊したり、そんな不公平があふれてる。ひたむきになることをばからしいとまで思わないけど、でも、むだになるかもしれないのになにかに真剣にはなれなかった。人間関係においては、とくに。信じても裏切られるなら、置いていかれるなら、はじめからだれも好きになんてならなければいい。



 中学に上がって早々、園の厚意で転校することにになった。音楽をやりたいなんてわがまま、まさか本気にするなんて思ってなかったから、驚いたと同時に申し訳なくなった。新しい学校は雷門という名前で、つい最近たてかえたばかりのおおきくて広いきれいな校舎といっぱいの緑、あふれるにぎやかなわらい声。相変わらず友だちを作る気はなかったけれど、きらわれるのもめんどうだからてきとうに、愛想よく見えるようにとりつくろって"狩屋マサキ"を演じて。部活はもちろん音楽系にした。授業もやすみ時間もつまんなかったけど、ひやっこい金属の弦に触れてるときだけはたのしかった。
 音楽は人間みたいに裏切ったりしないから、好きだ。




 窓の外では運動部が走り回っていて、いーちにー、さーんしー、リピート再生のように聞こえてくる。放課後の誰もいない教室に譜面と台を持ち込んで、思いのままに音を奏でながら、ゆったり時間が流れていくのを感じていた。期間は短くても経験者だったおかげで色んなひとが誘ってくれたけど、結局どこにもイエスと言わずひとりで好きなように弾いて好きな時間に帰る。協調性なんて知らないし誰かと組んだところでうまくやっていける自信もなく、まあつまりは、すっげーめんどくさかった。

「……さくーらいーろーの、こうていを」

 きみとあーるく、ゆうーぐーれの。
 ちいさな声で口ずさむ歌詞をつたない音に乗せて、すこしずつ。
 春の歌が好きだ。明るくて軽快なメロディーを聴いてると、ちょっとだけいい気分になれる。「あーせばーんだ、このてのーひーらを、」 きみはわらってにぎりしめた。

 じゃんじゃかじゃんじゃか、間違えないように弾くのにせいいっぱいで正直うまいのかへたなのかもわかんないレベル。自己満足さえ味わえたらそれでいいし、プロになりたいとかそんな大それた夢も持ってないし。好きな歌を、好きなように、好きなだけ。
 くっだらないこんな世の中でこれからも、きっと毎日いろんな感情を抱えながら生きてくんだろう。そのなかで俺は、いったいいくつを言葉にできる? 五線の上はあまりにも自由で、もし飛び込むならここがいいと思った。いっそ四分音符のひとつにでもなってしまいたい。

 ……なーんて、ポエミーでこっぱずかしい。「いまはもう、なつーかしいーだけーのきーおく」 窓枠に四角く切り取られた空が青くて青くていやになりそうだ。もうずいぶん散ってしまった桜の樹は緑の葉を風に揺らし、夏にむかって季節ははしりだす。「……いつーかまたどこかできーみにあえたなーら」 目に映るものはなにもかも色があって、ちょっとうらやましい。俺はあの日からずっと灰色なばかりで、願うように天を仰いだって空の色がおちてくるわけじゃなくて。

「かわらないえがおーで、わらーってくれーまーすかー」

 つないだアンプからこぼれる音はやがて空気にまざって、ほどけては消える。風がぶわり、窓から吹き込んで、とめていなかった楽譜がぱらぱらとめくれた。あーあーあー、もう。でっかいため息をこぼして歌うのを止めたとたん、ひとりの教室は静かすぎるほど静かになってちょっとびっくりした。弾いてるとわかんないけどけっこううるさいのかもしんない。ピックを机に置いて楽譜を元のページに戻そうとしたとき、ふと視線をかんじて目を上げたら、教室の戸口のところに学ラン姿の生徒がひとり、俺を見つめて立っていた。

 …………うげ、きかれてた?

 知らない顔だから声をかけるわけにもいかず、気まずいしはずかしいしなにこれどうしよう、内心あたふたしてるところに「なあいまの」ってその人が言いながら近づいてきて、不安と後悔と羞恥がごちゃまぜになって思わずギターのネックを握る手のひらに力が入る。

「もしかして、dearieっていうインディーズバンドの曲?」
「……は」

 ばさばさばさ。とめそこねた楽譜がまた風でめくれて、きったない字でタイトルの書かれた表紙がさらされた。あざやかな色した髪をなびかせて、「あ、やっぱり」って、なんだかうれしそうな声をして。

「うわなに、これ手書き譜? 耳コピってこと?」
「えっ、あ……いちおう」
「へぇー、すげー……」

 ぶっさいくなおたまじゃくしの踊る譜面を手にとってまじまじ見つめられるとなんというかどきどき、心臓はあばれてるし気が気じゃなかった。そもそもこのひと、だれだ? せっかく転入してからひととの関わりを最小限にとどめてたのに、まったくへんなのにつかまってしまった。こそっと足元を見たらうわばきの色がちがって、うわあ、しかも年上かよ。

「あ、あの」

 機をうかがうように声をかけたら、「ああごめんごめん、つい」 ちょっと照れたみたいなえがおでかえってきて、ありがとって言いながら楽譜を手わたされた。しろくてながいきれいな指がやけに印象的だった。

「一年生?」
「は、はい」
「そっか、ごめんな? びっくりさせて。俺、二年の霧野。図書室にいたらさ、好きな曲きこえてきたから気になって」

 バンドも曲もドマイナーなのにこの学校で俺以外に知ってるやつがいて、しかも弾いてるなんていてもたってもいられなくて。
 霧野とかいうその先輩はいわゆる美形というべきなのか、顔だちがととのっていて、あのバンドいいよな俺だいすきなんだ同志がいてうれしいよおまえ名前なんていうのよかったらもっと聴かせてくんないだのなんだの言われてるあいだ、ぼーっとながめていてもぜんぜん飽きないくらい。

「おーい、きいてる?」
「あっ、あぁえと、狩屋です」
「狩屋、かりや、かりや……。ん、覚えた、狩屋な。よろしく狩屋」
「は……はぁ、よろしくお願いします」

 へんなひとだ。
 まぎれもなくへんなひとで、こんなひと今まで会ったことはないはずなのに、なんとなくなつかしいかんじがするのはなんでだろう? どっかですれちがっただけか、いやでも単にそれだけじゃあないような。このひとがにかっとわらうたび、胸のあたりがこう、ぐってなるのはいったい、なんだ?

「な、狩屋、つづき。歌って」
「え……や、その、俺あんまりうまくないですし、まだ練習中だし」
「いやいやいやさっきのじゅうぶんうまかったからな? 先輩狩屋くんのお歌ききたいでーす」
「う、うえぇ……ていうかファンなら自分も歌えるでしょう。なんならギター弾きますからあんた歌ってくださいよ」
「えっ俺がうたうの? いいけど」

 よっこらしょ、近くの机に座った霧野先輩はわくわくきらきらした目でこっちを見ていて、こんなの公開処刑でしかないと思いつつもう一度譜面を開いて今度はしっかり端をとめて、ギターのストラップをくいと肩にかけなおした。じゃあいきますよ、言ったもののばかみたいに緊張して、だれかに聴かせるなんてほとんどはじめてだからピックをもつ指はすこしだけふるえてる。
 なんどもなんども練習した、この曲のはじまりのしずかなギターソロ。あまくせつない春と別れ、再会を願う恋の歌。ラジオのインディーズ特集、何気なく聴いていた俺の耳に残ってはなれなかった曲。

「……すこしだーけ背がのーびた、」

 ひかえめに、けれどたしかな芯をもって、先輩が歌詞をたどる。すきとおったとてもきれいな声、とぎれないように俺も音符をひとつずつすくいあげて並べた。「しがーつの、朝はまだすこーしさむくてー」 きこえていたはずの運動部の声や風の吹く音がやんで、教室にしみわたるふたつを聴きながら、ああこれが集中ってやつかと思った。まるで世界にふたりきりみたいだ。

「どうしようもなく、きみをおもーいだすよー」

 しろい指が譜面をめくってくれる。ちらりと顔をみたら、はにかむようにほほえまれて、わきあがる感情はやっぱりさっきとおなじく、なつかしい、って。いつ、どこでだろう、わかんないけど俺、このひとと会ったことがある。ぜったい。なんでわすれてんのかな、なんかすごくすごくだいじなことのような気がするのに。
 胸にたまるもやもやはもどかしくて、でもいやなかんじはしなくて、ぽっかりあいた穴をうめてくれそうなあたたかさだった。思い出せたならきっとそれはいい記憶なんだろう。

「さくーらいーろーのこうていを、きみとあーるく、ゆうーぐーれの」

 先輩の澄んだ歌声がサビに入ったそのとき、頭のなかにある景色が浮かんだ。誰かとならんで中庭を横切る春の日。となりのひとはわらっていて、俺はすこしだけすねたみたいな顔でなにかつぶやいた。風が吹いて、舞い上がる鴇色の髪をおさえたしろくてながい指。

「狩屋?」

 突然とまったギターにびっくりしたのか、先輩が俺の名前を呼ぶ。その声を、俺はたしかに知っていた。「先輩……霧野、先輩」力のぬけた手からピックがこぼれて床に落ちる。

「ねぇ、俺たち、前にも会ったことありませんでした?」

 見開かれたあおい目はどんな空よりあおく、あおく。知ってるのに、知ってるのにわからない、このひとは俺のなんだっけ? かんちがいじゃあないよね先輩、俺と先輩、会ったこと、あるよ。たぶんどっかべつのところで。「……驚いたなあ、」 うしろあたまをがしがし掻いて先輩が笑う。

「俺もそれ、思ってたんだよ。はじめて見るやつのはずなのにさ、なんかなつかしくて」
「先輩も?」
「おー、なんだろな、なんていうか……おまえを見てるとこう、無性にワシャワシャしたくなる」
「え、な、なにそれ」
「狩屋はならない?」
「なりませんよ」

 へんなの。俺が言ったら先輩はまた笑って、机からおりて床に転がったピックを拾ってくれた。「子どものころに会ったのかとか考えたけど、そういうのじゃないんだよなー」 うーんとうなる先輩に思わず同意の声をあげる。
 まるでベールのむこうのような、見えそうで見えない、でもそこにある、なにか。手をのばしてもつかめなくてよけいに気になった。

「まあこれも縁なんだろな」
「えん?」
「おう。つまり俺とおまえはつながってたってわけだ」

 つながり、……かぁ。あらわすならそれがいちばん妥当かもしれない。けずれたピックを受け取ってもう一度ギターをかまえなおして、「先輩つづき」 やりますかってきくまえに親指をたてられてちょっとにやけてしまった。ゆっくりでいい、いつか思い出したいと思う。

「じゃー、サビからね」

 再びあふれでた音はさっきよりもあかるくたのしげで、こころもおなじくらい軽かった。春はもうすぐおわってしまうけれど、すこしくらいこれからに期待したっていいのかもしれない。




20121029 miyaco
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -